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とことん宮沢賢治づくしの辻ミステリ 村上貴史(ミステリ評論家)

2022年8月文庫新刊 辻真先『殺人の多い料理店』作品解説
とことん宮沢賢治づくしの辻ミステリ 村上貴史(ミステリ評論家)

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■宮沢賢治
 本書の主人公である可能克郎は、かつて編集者だった後藤秀一という年下の知人から宮沢賢治をどう思うかと問われ、知ったかぶりしながら「詩情ゆたかな人格者じゃないか」と答える。さらに、こうも語る。

「雨ニモマケズの詩を読んでもよくわかる。農業を研究し、詩作に精出し、天文に興味を抱き、童話をつくり、セロを弾いた。花壇を設計した。宗教に傾倒した。四十歳前に亡くなった人としては、実に充実した生涯を送ったといえる」

それに対して後藤秀一は、雨ニモマケズの詩は賢治の死後、手帳につけられていたのがみつかったものだと述べたうえで、「彼は、はじめからそんな崇高な人格者だったのでしょうか?」と問い返す。

それが本書の序盤でのこと。そして可能克郎は、宮沢賢治と縁の深い事件に巻き込まれていくのである。

宮沢賢治生誕百周年を翌年に控えた1995年12月。夕刊サンという“がさつな新聞”のデスクを務める可能克郎は、新雑誌の宮沢賢治特集の取材で盛岡を訪れた。後藤秀一が営むレストランで開催された宮沢賢治の朗読会で、克郎は奇妙な出来事を体験する。朗読劇の台本に、賢治の作品ではない童話が紛れ込んでいたのだ。何者かがそんな細工をしたのである。いったい誰が、そして何のために?

のっけから宮沢賢治づくしである。賢治のゆかりの地での賢治の作品の朗読会。しかも会場のレストランは『銀河鉄道の夜』に登場する「銀河ステーション」という名前だ。そればかりではない。朗読会場のレストランを営む後藤秀一も、妻である女医の朱美も、そして会場に集った後藤夫妻の友人たちは、大学時代に“羅須地人クラブ”という宮沢賢治の研究会を作るほどの賢治ファンだったのだ。そんな賢治づくしのなかに、賢治の童話の偽物が紛れ込む──なんともチャーミングな謎で、本書は幕を開ける。

そして翌年、賢治生誕百周年の年に、羅須地人クラブのメンバーが死んでいく。一人目は倉村恭治だった。クラムボンというあだ名で呼ばれる男だ。関東平野の外れにある小都市、鷹取市で緑地部長をしている彼が、山梨県で溺死体で発見されたのだ。クラムボンといえば、宮沢賢治の「やまなし」に登場する存在である。それも「クラムボンは死んだよ。」「クラムボンは殺されたよ。」というかたちで言及されているのだ。警察は事故と結論付けようとしているようだったが、克郎は殺人の可能性を疑う……。本書は、こうしたかたちで登場人物や事件が宮沢賢治と深くかかわりを持ちながら進んでいく。死体を転がしつつ、各章のタイトルに賢治の作品名(たとえば「銀河鉄道の夜」「図書館幻想」など)を冠し、それと呼応するエピソードを各章に織り込みながら、だ。辻真先らしい凝った造りのミステリなのである。

しかもそこに宮沢賢治に関する知見がちりばめられている。冒頭に記した「雨ニモマケズ」の情報もそうだし、「図書館幻想」の章では、『復活の前』の怖さと魅力が紹介されている(これはほんの一例)。また、宮沢賢治に関する“童心豊かな幻想作家”という可能克郎の思い込みが変化する様を、本書は描いているが、読者のなかにも同様に認識を改める方もおられよう。それもまた本書の愉しみの一つだ。

そのうえで、結末で明かされる真相が極めて印象深い。一連の事件の根っ子にある殺人事件において、被害者が殺されるに至った動機がユニークで、しかも宮沢賢治の世界ともしっかり繋がっているのだ。さらに、本書の犯人役の行動にも特徴がある。こちらもこちらで“宮沢賢治”っぽさに満ちている。なんとも嬉しくなるミステリなのだ。

■辻真先
 本書の「文庫版あとがき」で著者本人が語っているように、この小説は文学を題材とした三部作の第一弾で、1996年に発表された。第二弾が北原白秋を題材とする『赤い鳥、死んだ。』で97年の作品、そして第三弾が島崎藤村が題材の『夜明け前の殺人』(99年)だ。

『赤い鳥、死んだ。』は、北原白秋に憧れていた童謡作家の北里百男が、ようやく売れ始めた矢先、36歳で殺人事件に巻き込まれたあげく世を去るという物語だ。白秋の『桐の花』事件に重ねるかたちで、北里が描かれている。その重ね方が濃密で、結末をより衝撃的なものとしている。探偵役を務めるのは百男の21歳年下の弟で、相棒を務める少女とともに物語をグイグイと牽引してくれる。しかも、構成にも仕掛けがある。冒頭に“第五章”が置かれているのだ。辻真先らしさに満ちた一冊だ。

第三弾は、島崎藤村の『夜明け前』を原作とする舞台の上演中に起きた変死事件を、二つの時代を重ねて綴ったミステリだ。この作品の目次も凝りに凝っている。なんと『藤村いろは歌留多』の「い」「ろ」「は」から最後の「す」までずらりと並んでいるのである。本年2月に文庫化されたばかりなので、是非現物をご確認戴きたい。90年代の日本社会の変化を鋭敏に捉えたミステリとして満足度は高い。

■可能克郎
 さてさて、これまた「文庫版あとがき」に記されているのだが、可能克郎は、辻真先の作品に最も多く登場している人物である。大抵は脇役だ。それを象徴するような文章が、1986年の『霊柩車に乗った狙撃手(スナイパー)』にある。徳島の小さな村の闇を、その町にやってきた五代道春という謎の青年──年齢問わず女性に好かれるし知識は異常に豊か──を通じて描いていくこの小説に、可能克郎は中盤から登場して活躍する(こういう登場の仕方も珍しい)。そして登場直後に、徳島で孤軍奮闘する可能克郎は、こんな心境を語っている。

「これが東京なら、克郎には、仲間というか友達というか、推理の知恵袋がなん人かいる」「妹キリコの古いBFで、牧薩次─通称ポテトとか、ゆきつけの新宿のバー『蟻巣』でときたま合う、トラベルライターの瓜生夫妻とか、ベテランマンガ家の那珂一兵とか、多士済々だ」「電話の一本もかければ、伊豆に住むおばあさん探偵亀谷ユーカリや、ルパンというチンケな犬の飼主、警視庁捜査一課の朝日刑事がかけつけてくれる」

可能克郎(某俳優がモデルと『残照 アリスの国の墓誌』や『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』に記載)が初登場した『仮題・中学殺人事件』の刊行は1972年なので、それからわずか14年後にこの心境が書かれたわけだが、その短期間に、可能克郎はこれほどまでに多くの探偵役と付き合ってきていたのである。その探偵たちについて、簡単に紹介しておこう。

妹キリコと牧薩次が活躍するシリーズは、前述の『仮題・中学殺人事件』が第一作。特殊な設定(第二弾の『盗作・高校殺人事件』であれば“作者は、被害者です。作者は、犯人です。作者は、探偵です。”と作者は読者に対して予め述べている)を成立させる著者の超絶技巧が愉しい作品が並ぶ。瓜生夫妻は『死体が私を追いかける』(79年)でスタート。鉄道ファンとしての辻真先の持ち味が発揮されたシリーズだ。那珂一兵が常連客として通う新宿ゴールデン街のバー「蟻巣」は、『アリスの国の殺人』(81年)で登場し、那珂一兵ももちろん顔を出す。ただしこの作品には可能克郎はおろか牧薩次も可能キリコも登場していない。また、《蟻巣》シリーズとしては第二弾になる86年の『ピーター・パンの殺人』では、可能キリコや牧薩次などが那珂一兵も交えて推理談義をしているのだが、その場には克郎は不在。なので、『霊柩車に乗った狙撃手(スナイパー)』時点の克郎は、おそらく妹キリコを介して那珂一兵と知り合っていたのだろうと推測する次第。ユーカリおばさんのシリーズは『死ぬほど愛した…』で84年に始まり、朝日刑事と愛犬ルパンは『迷犬ルパンの名推理』(83年)にて初登場を遂げている。なお、本書「あとがき」にある『銀河鉄道の朝』は、宮沢賢治風の童話と、“犬が人を殺した”という事件を巡る少年少女とルパンと朝日刑事たちの推理が交互に並ぶ一冊(可能克郎は登場していない)。人間の悪意を犬たちとの関係を通じてくっきりと描きだしている。

前述したように可能克郎は1972年の初登場なので、本文庫が刊行される2022年は、それからちょうど50年後ということになる。主には前述のシリーズ探偵たちに伴走してきたわけだが、本書や『霊柩車に乗った狙撃手(スナイパー)』をはじめとするノンシリーズ作では、主役級の活躍を演じている。例えば、『幻影城で死にませう』(91年)では、クローズドサークルと化した“幻影城”なるホテルでの殺人事件──犯人は自動人形か──において美形で白髪の青年探偵と共演し、『はだかの探偵』(89年)では、深夜サウナのスナックで、常連老人による安楽椅子探偵タイプの推理を味わう。いずれの作品においても、ノンシリーズならではの輝きを堪能できるのだ。また、可能克郎が単独で主役を務める『殺されてみませんか』(85年)は、明確な探偵役が不在の一冊。二重の意味で意外な犯人のミステリで、しかも辻真先がとんでもない人物からヒントをもらって書いた貴重な作品だ(電子版で即日読めます)。また、可能克郎には、妻の智佐子と共に主役(探偵役ではない)を務めるシリーズもある。『ブーゲンビリアは死の香り シンガポール3泊4日死体つき』(84年)を第一作として、あちらこちらへの旅を愉しめる。

辻真先は、50年以上にわたって300冊ほどの作品を書いてきた。その著作は、いわば宝の山だ。様々な主人公たちを擁したその宝の山を踏破するにあたり、可能克郎ほど適切な案内人はいない。彼が登場する作品には絶版となっているものも少なからず存在するが、それらの復刊を期待しつつ(『夜明け前の殺人』が文庫化されたように)、入手可能なものから読んでいくだけでもたっぷりと愉しめる。是非とも可能克郎と共に宝の山に挑んでみて戴きたい。“可能克郎生誕五十周年”でもあるし。

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