2022年10月文庫新刊『監禁探偵』作品解説
前代未聞の安楽椅子探偵 大山誠一郎(作家)
親にマンションを買い与えられた一人暮らしの青年、山根亮太は、向かいのマンションに住む若い女性、里見玲奈に心を奪われる。亮太はベランダに出る彼女を盗撮するだけでなく、間近で接したいため、彼女の行きつけのコンビニエンスストアで店員のアルバイトをすることに。ある日、アルバイトを終えた亮太は、玲奈の下着を盗むため部屋に侵入し、彼女の他殺死体を発見してしまう。自室に逃げ帰った彼を、もう一つの頭の痛い問題が待っていた――亮太は三日前、渋谷の街でアカネと名乗るロリータファッションの少女を拾ったが、彼女とトラブルになり、アカネがなぜか持っていた手錠で彼女を監禁する羽目になっていたのだ……。
安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティヴ)という言葉があります。事件現場には足を運ばず、捜査員や事件関係者などから話を聞いて推理し、事件を解決するタイプの探偵のことです。
ミステリにはこれまで多くの安楽椅子探偵が登場してきました。史上初の安楽椅子探偵と言われるプリンス・ザレスキー(不幸な恋のため故国を追われ、英国で隠遁生活を送るロシア貴族)。隅の老人(いつも喫茶店の隅の席に座り、女性新聞記者に向かって事件の謎解きをしてみせる謎の老人)。ブロンクスのママ(ニューヨーク市警殺人課に勤める息子の話を聞くとたちどころに事件を解決する女性)。ミラノ・レストランの給仕ヘンリー(レストランで例会を開く〈黒後家(くろごけ)蜘蛛の会〉の会員たちが難問に首をひねったあと、控えめに真相を語る初老の給仕)。バー・三番館のバーテン(私立探偵が持ち込む難事件を即座に解決するバーテン)。退職刑事(現職刑事の息子の話を聞いて事件を解決する老人)。宝生(ほうしょう)家の執事・影山(刑事であるお嬢様から話を聞くと、お嬢様をディスる言葉とともに事件を解決するスーパー執事)。安楽椅子探偵アーチー(喋る安楽椅子が探偵)。犯人当てドラマ「安楽椅子探偵」シリーズの「安楽椅子探偵」(特別な笛を吹くと現れ、「純粋推理空間」で事件を解決する銀仮面)。――ざっと思いつくだけでも、個性あふれるさまざまな安楽椅子探偵がいます。
その系譜に新たに加わったのが、本作『監禁探偵』のアカネです。十八歳ぐらいの美少女で、第一話で登場したときの恰好は、栗色のツインテールにピンクロリータファッションという鮮烈なもの。ただし彼女は、決して安楽な状況で推理するわけではありません。なにしろ第一話では、服を取り上げられ、手錠で拘束されるという監禁状態で推理するのですから。
そして第二話でも、アカネは車にはねられて入院し、車椅子生活を送るという、ある意味監禁に近い状態で推理することになります(このように探偵が入院してほとんど身動きできないまま推理するというのは安楽椅子探偵のバリエーションの一つで、「ベッド・ディテクティヴ」と呼ばれています。ジョセフィン・テイの『時の娘』や高木彬光の『成吉思汗(ジンギスカン)の秘密』、『邪馬台国の秘密』、『古代天皇の秘密』などが有名です)。そして第三話では……未読の方のために伏せておきますが、どの話でも通常の安楽椅子探偵のように安楽・安全な状況にいるわけではないのです。
アカネが安楽・安全な状況にいるわけではないというのは、身体的なレベルに留まりません。「探偵」という立場も安全ではないのです。たとえば、第一話では、事件の姿が二転、三転する中で、亮太に犯人だと疑われたりもします。安楽椅子探偵が犯人だと疑われるなど、前代未聞ではないでしょうか?
このようにアカネは安楽椅子探偵としては異色なのですが、他の安楽椅子探偵と同様、とても頭が切れ、弁が立ちます。華奢な美少女の外見とは裏腹に、自分を監禁した男と駆け引きし、からかい、圧倒するだけの知力と胆力の持ち主。一方で、「人の死、狂気、心の病――普通の人が目を背けたくてたまらなくなるようなものに、どうしようもなくアカネは惹かれる」とあるように、心の中に暗黒面を持ち、なぜかキャリーバッグの中に手錠、鞭、縄、ハンティングナイフといった物騒なものを入れている。そして、先の先まで読んでいるかと思うと、妙に無防備で、自ら危険に飛び込もうとする傾向もある。そうしたアンバランスさが魅力的です。
ファンならばご存知の通り、我孫子作品にはそれぞれ白我孫子と黒我孫子とでも呼ぶべき二系列があります。白我孫子作品の特徴は、ユーモア(スラプスティックなものからハートウォーミングなものまで)、基本的には善良な登場人物、ハッピーエンド。シリーズとしては、『8の殺人』などの速水(はやみ)三兄妹シリーズ、『人形はこたつで推理する』などの人形シリーズ、ぼくの推理研究シリーズ、『ディプロトドンティア・マクロプス』などの京都探偵シリーズ、警視庁特捜班ドットジェイピーシリーズ、凜の弦音(つるね)シリーズ、そしてノンシリーズ作品としては『探偵映画』、『眠り姫とバンパイア』、『さよならのためだけに』、『怪盗不思議紳士』などがあります。
一方、黒我孫子作品の特徴は、ダークな雰囲気と展開、好感を持てないことが多い登場人物、しばしば迎えるバッドエンド(ただし、あっと驚くミステリの仕掛けと連動していることが多いので、ある意味爽快感があります)。こちらは、シリーズは腐蝕の街シリーズのみで、ノンシリーズ作品が多く、『殺戮にいたる病』、『弥勒の掌』、『狼と兎のゲーム』、『裁く眼』、『修羅の家』など。同じ作家とは思えないほどの二面性です。
では、本作『監禁探偵』はどちらの系列に入るのでしょうか。第一話の出だしは黒我孫子全開のように見えます。視点人物の山根亮太は、向かいのマンションの若い女性に執着しストーカーと化した男で、短絡的で自分勝手でお坊ちゃん気質。気弱でどこか優しさが残っているのが唯一の救いでしょうか。そんな男がストーキング相手の他殺死体に出くわし、自室には少女を監禁しているというのですから、どう見てもバッドエンドしか待ち受けていないように思えます。しかし、亮太はアカネと過ごし、言葉を交わし、事件を解決しようと奮闘することで、いつの間にかよい方向へと成長します。黒我孫子と見せて白我孫子と言えるでしょう。
続く第二話は、青年医師・宮本伸一とアカネ、二人の視点で描かれます。伸一は亮太とは違い、まっすぐでしっかりとした人物。アカネも、死に深く惹きつけられていることを除けば、その内面はまっとうな印象を受けます(彼女の言葉はしばしば正論で、はっとさせられるものです)。そうした点から、白我孫子に属すると見なせます。
しかし、第一話と第二話、第二話と第三話のあいだにはそれぞれ、「幕間」と題された短いパートがあり、監禁された少女の姿が描かれています。これは黒我孫子の雰囲気全開では? そして第三話に入ると……本作は黒我孫子と白我孫子のあいだで揺れ動いており、果たしてどちらで終わるのか予断を許しません。それも、本作の魅力の一つとなっています。
余談ですが、我孫子さんは一九九七年刊行の『小説たけまる増刊号』(集英社。ひとり雑誌の体裁の短編集)で、作風の二面性を自らネタにしています。我孫子作品は一卵性双生児の我孫子武男(負のオーラを発する青年。好きな作家はトマス・ハリス)と我孫子丸男(よく笑う快活そうな青年。好きな作家はポール・ギャリコ)がそれぞれ書いていた! という設定のもと、二人の抱腹絶倒の架空対談を行っていて、我孫子さんが武男と丸男にそれぞれ扮した写真も載せるという凝りようです(『小説たけまる増刊号』を文庫化した『たけまる文庫 怪の巻』、『同 謎の巻』(集英社文庫)には、残念ながらこの架空対談は収録されていません。ぜひなんらかのかたちで再録していただきたいものです)。
さて、本作『監禁探偵』には漫画版(作画・西崎泰正)と映画版(監督・及川拓郎、出演・三浦貴大、夏菜ほか)もあります。漫画版や映画版がある場合、まず原作の小説があって、それを漫画化・映画化したという流れが多いと思いますが、本作の場合はそうではありません。最初に我孫子さんの原作、西崎泰正さんの作画で漫画版が『漫画サンデー』(実業之日本社)に連載され、二〇一一年に漫画単行本として刊行。それに基づき第一話の山根亮太編が二〇一三年に映画化。その後、小説版が二〇一七年四月から二〇一九年四月まで実業之日本社の小説サイト、Webジェイ・ノベルに連載され、二〇一九年十月に小説単行本が、漫画新装版二冊と同時に刊行されたという経緯なのです。つまり、漫画版→映画版→小説版という、通常とは逆の順序で作品化されたわけで、漫画原作も多く手掛けている我孫子さんならではと言えるでしょう。
映画版は未見なのですが、漫画版は、西崎泰正さんの描くアカネがとても魅力的で、ときにキュート、ときに妖艶、無邪気かと思うと大人びていて、無鉄砲かと思うと思慮深い、矛盾に満ちた彼女の姿を鮮やかに描き出しています。
最後に、本作末尾の「アカネ――another night――」というショートショートにも触れておきましょう。これは、小説版・漫画新装版同時刊行時に、小説版・漫画新装版同時購入キャンペーンのプレゼントとして用意されたもので、本編を踏まえた仕掛けがなされています。文庫化にあたり末尾に収録されたことで、その仕掛けが最大限の効果を発揮することになりました。単行本で本作をすでに読んだ方も、ぜひ文庫版でこのショートショートまで通して読んではいかがでしょうか。