2022年10月文庫新刊『タクジョ!』作品解説
いま最も信頼のおける小野寺作品は決して裏切らない。 内田 剛(ブックジャーナリスト)
小野寺史宜が紡ぎだす世界はすべてがゆるやかにつながっている。そして飾らない人間味と人肌の温もりに満ち溢れている。読めば読むほど味わいが増していく魅力がたまらない。理不尽なこの社会で生きるのは大変だ。人間関係だって一筋縄ではいかない。閉塞感のある空気、ままならない日常。でもそれが紛れもない現在(いま)なのだ。何でもない毎日がこの著者の手にかかると鮮やかに色づいていくから不思議でならない。出会いと別れを繰り返し僕らはこの瞬間に生きている。それは当たり前のことではなく奇跡の連続なのだ。喜怒哀楽の感情すべてが凝縮した偶然と必然が織りなすドラマ。小野寺文学には理屈ではない奇跡への過程が細やかに再現されている。フィクションである小説は想像の産物である。でもこんなにも肌に合うのはなぜだろう。誰もがきっとストーリーの中に自分の姿を見つけ共感の嵐を体感するからに違いない。
タイトルとなる「タクジョ」は女性タクシー運転手のことだ。理系女子は「リケジョ」、歴史ファンの女性は「レキジョ」。女性の活躍が目立つ分野は押しなべて勢いがある。タクシーと女性、この二つの要素を物語の主軸にもってきた点が非常に心憎い。タクシーは誰にとっても身近であって同時に特別な存在であろう。徒歩や自転車でもなくバスや電車でもない。タクシーを利用する時には必ず理由がある。最寄り駅の電車の事故、体調不良での通院、手回り荷物の多い時、仕事の待ち合わせに遅れそうな時など。つまりはピンチの時に助けてくれる乗り物がタクシーなのだ。さらには運転手が女性であったらなんとなくホッとさせてくれるのではないだろうか。どうしても気持ちが騒(ざわ)めいた状況でタクシーに乗り込む機会が多いので女性特有のホスピタリティに癒されるのだ。
タクシーという乗り物自体には親近感があるのだが、タクシードライバーという職業に対するイメージはひとそれぞれだろう。脱サラして第二の人生として選ぶケースも多いようであり、女性の比率が約3パーセントというからどうしても男の職場の印象も強い。女性というだけで違和感をおぼえる方もいる。タクシー業界に身を置いているだけでなにか特別な事情があると勘繰られてしまうのだ。そのあたりの生々しい状況は本書を読めば手にとるようにわかる。
「わたしは隔日(かくじつ)の女。」
実に引力のある冒頭だ。つかみが完璧である。深夜勤務のあるタクシードライバーの勤務時間は朝八時から翌朝四時ころ。一日の労働で二日分働く計算だ。女性であっても同じである。一日おきに休みが入るシフトだから「隔日の女」なのだ。不規則で過酷だが上手に時間を使えば休日を堪能することもできる。ポジティブに考えればそれほど悪い条件ではない。ほぼ一期一会のお客さんを一日約三十人乗せ、深夜帯もあれば密室ゆえの緊張感も半端ない。接客のストレスは貴重な休日に思う存分に解消するしかないだろう。
『タクジョ!』の主人公は東京都江東区生まれで母と二人暮らしの高間夏子(二十三歳)。都内の東央タクシーに新卒で入社し区内の営業所に配属される。慣れない環境や巻き起こるトラブルと対峙しながらも信念をもって真っすぐに生きる。ひとりの女性の成長譚としてだけでなく、タクシー業界の裏側を知るお仕事小説として楽しめる。おそらく綿密な取材をされたのだろう。細部にわたってリアリティがあり自然体なのがとても良い。特殊なルールはもちろん、タクシーあるあるネタも満載で読めばきっとすぐに誰かに話したくなるはずだ。初乗りのワンメーターは1・052キロまで、一日に走れる距離は最長で365キロ(東京から名古屋くらい)、営業エリアは決まっていて越境できない、車は一台を二人で使うなど。タクシー運転手の人知れぬ苦労話を目の当たりにすることができる。知ってしまえば間違いなく今度タクシーに乗る時には優しくなれる。そう、この優しさの分かち合いも小野寺作品に共通する長所なのである。
車の運転が好きなだけでなく女性にも安心してタクシーを利用してもらいたいという正義感から職業を選んだヒロイン・夏子。しかし彼女が抱えるリアルな悩みはビジネスだけでなくプライベートにもある。小6の時に両親が離婚したからこそ、自分自身の結婚の問題は切実なものがあった。人生は仕事だけじゃない。子どもを包みこむ温かな家庭だって実現させたい。むしろ仕事よりもたくさんの時間を高間夏子というひとりの人間がひたむきに生きている。この生活感もまた読み逃すことのできない重要なポイントだ。
紳士服販売店でバリバリと仕事をこなし女手ひとつで夏子を育てた母・高間想子。家を出たため距離は開いたが尊敬すべき高校教師の父・室山薫平。学生時代に合コンで出会った調子のいい元カレ・福井響吾。人柄がよく安定の公務員という理想的な見合い相手である森口鈴央。イケメンで実は高学歴の気になる職場仲間の姫野民哉。人は誰もが様々な事情を抱えて生きている。職場結婚をした仲間がいればお客さんとゴールインした同僚もいる。仕事と家庭の両天秤で夏子は何を選ぶのか。取り巻く人間関係から学ぶことは数多(あまた)あるのだ。「大事なのは今現在の居場所である」という気持ちを抱えながらも、選択の連続が人生であるということをこの物語は雄弁に伝えてくれる。
描かれるドラマは決して派手ではない。どこにでもありそうな名もなき市井の人たちの物語だ。台本があるとしたら登場人物たちはA、B、Cといった記号を振り分けられてしまうであろう。しかし小野寺史宜はそうしない。一度しか出てこないような人物にも丁寧にフルネームを書きこんでいく。名前をつけられた瞬間にその人から活き活きとした表情がうまれる。名前のないひとはいない。どんな名前にも名づけ親の愛情がこもっている。登場人物ひとりひとりに丁寧に名前をつける著者の想いに激しく心を動かされるのだ。
じんわりと心に突き刺さる言葉もまた豊富にある。例えば元カレの響吾をタクシーに乗せたのはいいが、その道中の会話から別れた時と変化がないと気づいてしまった夏子の心の声がこうだ。
「人はそう簡単に変わらない。変わる必要も、そんなにはない。むしろ、変わろうと思って簡単に変われるような人をわたしは信用しない。」
まさに含蓄のあるフレーズだ。この世は日々、変化しつづけなければならないことと決して揺らいではならないことで出来ている。ふっと気づかせてくれる人生の真理。そのさり気なさがとても心地いい。
タクシーが乗せているのはお客さんだけではない。運転手や会社の人たちなど、その車に関わるすべての人の人生を乗せて走っているのだ。そしてその行く先はあらゆる道をつないでいる。何度でも通う道もあれば初めての道もある。渋滞の日もあれば道なき道をゆくこともあるだろう。どんな高性能のナビでも認識不能な工事中での迂回や行き止まりだってある。まさに予測のできない人生の道と大いに重なるのだ。
次々と登場する地名を追いかけるのもまた楽しい。空港、駅、繁華街、住宅地、交差点、川、橋……車窓から見える景色に運転手との会話。風を切って走るスピード感だけでなく土地の空気や匂いまでも伝わってくる。実際にこのタクシーに同乗しているかのような気分になる。縦横無尽に交差する道によってつながる土地。人生という名のドラマの舞台は思いもよらない場所で繰り広げられているのだ。さまざまな交錯のあとラストで夏子がいったい誰といかなる場所でどんな会話を聞かせてくれるのか注目してもらいたい。
場所の魅力だけでなく時の流れも感じさせる構成もまた見事である。目次からすでに物語と景色が見えてくる。「十月の羽田」から始まり「十一月の神田」、「十二月の五反田」、「一月の早稲田」、「二月の町田」、「三月の江古田」まで。半年間という時系列の中に東京都内六か所の地名が埋め込まれている。しかも地名に共通するのは「田」である。これもゆるやかなつながりを意図した仕掛けであろう。手元に地図を開いて運行ルートを眺めてみるのも一興だ。
物語のスタートが十月であることにも意味がある。夏子にとって新卒でタクシー会社に入社して半年が経過。本社でのマナー研修や教習所で二種免許を取得。東京タクシーセンターで地理試験を受けるなどの準備をして実地デビュー。経験値を増やしつつ壁にもぶつかり悩みも深まっていく。十月一日が誕生日でもあるから節目としてふさわしい絶妙なタイミングなのだ。季節も厳しい冬から希望の春へと向かうという流れも清々しい。
魅力的な著作の多い小野寺作品群の出世作といえば二〇一九年本屋大賞2位となった『ひと』であろう。その後に刊行された『まち』『いえ』とともに「下町荒川青春譚」三部作シリーズとして人気が高いが、この平仮名二文字のキッパリとしたタイトルを『タクジョ!』に当てはめたら間違いなく『みち』になるだろう。そう思っていたら『タクジョ!』の続編が出るという吉報が入ってきた。二〇二二年十一月刊行予定の『タクジョ! みんなのみち』がタイトル。やはり『みち』で頷きながら膝を打つ。季節は四月から九月で『タクジョ!』の登場人物たちがそれぞれ人生を語りだすストーリーだ。コロナ渦ならではの味付けも加わって今を生きる僕たちに身近に感じられて嬉しい設定。さらに小野寺文学の楽しみは他の作品と登場人物や物語の舞台がリンクしていること。一度読んだらあなたも小野寺ワールドの一員だ。新作だけでなく既刊もぜひじっくりと味わってもらいたい。人生を豊かに彩りゆるやかに広がる、いま最も信頼のおける小野寺作品は決して裏切らない。これからも素晴らしい絶景を見せてくれるだろう。