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犬を媒介にして生まれる謎――「愛犬ミステリー」を語る

対談 佐藤青南(『犬を盗む』)×酒本歩(『ロスト・ドッグ』)
犬を媒介にして生まれる謎――「愛犬ミステリー」を語る

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まとめ/編集部 撮影/泉山美代子

●「ミッシングリンク」は犬

――今日は、偶然にも同時期に、犬を題材にしたミステリーを上梓された、『犬を盗む』(実業之日本社刊)の佐藤青南さんと、『ロスト・ドッグ』(光文社刊)の酒本歩さんにお越しいただきました。

酒本:佐藤さんが『犬を盗む』というタイトルで刊行されると知って、まず頭に浮かんだのは「内容が被っていたらどうしよう」ということでした。それで先行配信されたApple Booksの連載を読んで、どうやら大丈夫そうだと一安心しました(笑)。

佐藤:感想を酒本さんからDMでいただいたんですよね。そこからやりとりが始まって、僕も『ロスト・ドッグ』を拝読しました。

――おふたりともポメラニアンを飼っているんですよね。やはり、犬を飼っていることが執筆のきっかけなのでしょうか。

酒本:『ロスト・ドッグ』は3作目の作品になります。「3作目が勝負」と言われていたので、できるだけ自分の知っている世界をテーマにしたいと思いました。これまでの犬との暮らしの中で得られたものが、私にとっては特別なことだったので。

佐藤:酒本さんから提案されたテーマなんですね。

酒本:そうです。編集さんのほうから、ペットロスのこととか、いろいろなヒントをいただいてプロットを練り上げていきました。20年来、犬を飼っている経験のなかで一番驚いたのは、医療費の高さです。1回受診したら数万円ということもあったりするので、これは何かテーマになる気がしたんです。佐藤さんの方は、どういったきっかけだったんですか?

佐藤:犬を飼い始めて5年ぐらいになります。2年ほど前から編集さんに「犬をテーマに書いてはどうか」と勧められていたのですが、ずっとためらっていて……。

酒本:どうしてですか?

佐藤:題材としては狭くて、売れないような気がして。でも、ドッグランで犬を遊ばせたり、散歩をしていると、他の犬の飼い主さんから、友達のような感覚で声をかけられることが多いんですよね。相手の素性も知らないのにすごく近い独特の距離感が、もしかするとミステリーの題材になるかもしれない、と考え始めました。

酒本:拝読して、犬をテーマにした意味がある小説だと思いました。犬を媒介にして初めて生まれる人間関係があって……犬がミッシングリンクになっているんですよね。シロはすべてを目撃している。でもしゃべれない、教えられない。その歯がゆさが面白い。各章の冒頭に、短いシロ視点のモノローグがありますが、「このたどたどしい言葉は何を意味しているのだろう」と、すごく誘ってくるんですよね。

佐藤:ありがとうございます。

●言葉を話せないからこそ

酒本:資産家のおばあさんが自宅で殺害される。犬を飼っていた痕跡はあるものの、犬の姿はない……というところからお話がスタートして、刑事、コンビニ店員、愛犬家の作家といった複数の視点から謎が深まっていきます。各章に犬視点のモノローグを入れるのは、最初から構想していたのですか?

佐藤:いや、初稿では、プロローグだけでした。編集さんから「各章のアタマにも入れては」と提案されて、加筆しました。実は、犬の視点で語ることへの抵抗感のようなものがあったんです。酒本さんがおっしゃるように、犬は言葉を話せない。でも飼ってみると、明らかにいろんなことを考えているし、感情豊かですよね。

酒本:ええ、表情の変化もよく伝わってきます。

佐藤:はい。でも、犬の心情をさも理解しているように表現するのは、人間の驕りであるような気もして。動物を安易に擬人化することへの怖れのようなものを抱きながら加筆しました。

酒本:動物視点で書かれている小説は結構ありますが、『犬を盗む』の面白さは、シロ視点のモノローグで、人間を呼ぶ呼称が「アタシ」だったり「オレ」だったり……ここで登場している人間は一体だれのことなのかと、引き込まれました。終盤、「やられた!」と思いましたもん。 私の『ロスト・ドッグ』の方も、意思を示せないペットに対して、人間はどれだけ想像力を働かせてサポートできるのか、一緒に暮らしていくのか、というのが大きなテーマでした。

●高額な医療費とペットの命

――『ロスト・ドッグ』は、心臓病になった愛犬の手術費用が200万円かかることを知ったウェブライターの太一が、セレブ向けの動物病院を訪問するところから物語が始まります。やがて殺人事件に巻き込まれ、思いがけない展開となりますが、佐藤さんは、読んでいかがでしたか?

佐藤:『ロスト・ドッグ』というタイトルから、『犬を盗む』と同じように犬が行方不明になる物語かと思いきや、「あ、こっちに来たのか」という意外性があって、とても面白かったです。

酒本:ありがとうございます。実はこの中に出てくる心臓病になったポメラニアンの話は、実際に私の身に起こったことなんです。獣医さんから「200万円かかりますけど、どうしますか」と言われ、すごく悩んだんですね。家族でも会議をして。でも結局その手術を選びました。この経験があったからこそ、踏み込んで書くことができるんじゃないかと思いました。

佐藤:確かに、ペットの医療ってすごくお金かかりますよね。僕も飼い始めた当初、びっくりしました。読み始めて、主人公の太一は、犬を飼うには経済力がなさ過ぎるんじゃないかと思ったんですよね。

酒本:ええ。佐藤さんみたいに感じる人ももちろんいると思いますし、主人公に共感しちゃって、「私も命よりも大事なペットのためだったら、借金してでも助けてあげたい」と思う人もいるかもしれない。読者の中でそういう気持ちが入り混ざった状態になることを目指しました。「巣ごもり需要」で、気楽にペットを飼う人が多いと聞きます。飼ってから初めて、お世話をする手間や医療費の高さに気づく。コロナ禍の今だからこそ光を当てたい問題だと思いました。

佐藤:医療をめぐる部分、すごくリアリティがありましたが、かなり取材されたんですか?

酒本:はい。とある獣医師の先生宛にメールを出して、「よかったら教えていただけませんでしょうか」ってお願いしたら、快く返事が返ってきました。5~6回メールのやりとりをして、なんとかリアルに描くことができました。この取材がなかったら、多分諦めていたような気がします。それから、編集さんに雑誌「FLASH」のベテラン記者さんを紹介していただいて、お話を聞きました。

佐藤:太一の元の奥さんで、推理力抜群のやり手の雑誌記者が登場しますね。

酒本:当初は太一に、独りで苦しませ、悩ませ、葛藤させ、そこから成長して事件を解いていく、成長譚みたいなものを書きたかったんですよ。でも、編集長から「それだと無理があるので、太一は甘っちょろい半人前のままでいいから、別にスーパーな探偵役を立てましょうよ」と提案され、生まれたのが彼女のキャラクターでした。

佐藤:やはり丹念に取材をされて、改稿を重ねられたんですね。でもその分のリアリティと厚みがあるミステリーだと感じました。

●犬との暮らしから見える世界

――話は変わりますが、作家として、犬を飼っていてよかった、と思うことはありますか?

佐藤:朝晩、散歩に出なきゃいけないから、そこでいったん仕事を止めます。犬の散歩中は、こんがらがっていたプロットがまとまってくるみたいなことがあるんですよね。あとは、生活リズムが朝型に戻りました。

酒本:私もそうですね。私はペンネームに「歩」とつけるくらいに歩くことが大好きで。歩いていると、まさに佐藤さんがおっしゃったように、アイデアが下りてくることがあります。でも、アイデアを思いつくと集中しちゃうことが多々あるので、犬を連れてると、リードを放しそうになっちゃったりとか(笑)。朝必ず5時半に鳴くので、私も朝型になりました。

佐藤:それから、散歩中でも目に入るものが違ってきますよね。犬を連れた高齢の男性が、小さなワンルームアパートに入っていくところを見たりすると、失礼ですけれど、「おじいちゃんに何かあったら、ワンちゃんはどうなっちゃうんだろう」とか考えてしまいます。

酒本:私もあります。おばあちゃん、2匹も連れて大丈夫なのかなとか。暑い炎天下、お店の前のアスファルトの上で待たされていて、肉球やけどさせちゃわないかなとか。いっそ声を掛けようかと思ったり。

佐藤:その気持ちよくわかります。僕も、今のうちにおじいちゃんと連絡先を交換して、万一のときには連絡をしてほしいって伝えようかと考えているうちに、会わなくなっちゃった。元気にしてるかな……。

酒本:心配しちゃいますよね。私も近所で見かけるワンコに、勝手に名前を付けていたんです。このあいだ、私は東京の葛飾区から千葉へ引っ越しをしたんですけれど、今でも葛飾のそのワンコのことを時々思い出して「チャック今ごろどうしてるかな、かわいかったよね」って家内と話しています。

佐藤:勝手に「チャック」って名前を付けるほど愛着があるんですね(笑)。

――朝、起こされて生活リズムが整い、一緒に散歩してアイデアが湧き、さらに新しい世界を見せてくれる……ワンちゃんとの暮らしはいいこと尽くめですね。お二人の今後の作品も期待しています。

(2022年9月 都内にて)

佐藤青南(さとう・せいなん)
1975年長崎生まれ。「ある少女にまつわる殺人の告白」で第9回『このミステリーがすごい! 』大賞優秀賞を受賞し、2011年同作でデビュー。ドラマ化された「行動心理捜査官・楯岡絵麻」シリーズのほか『お電話かわりました名探偵です』『ストラングラー 死刑囚の告白』『嘘つきは殺人鬼の始まり』『人格者』などがある。2016年『白バイガール』で第2回神奈川本大賞を受賞。

酒本歩(さかもと・あゆむ)
1961年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。経営コンサルタント。2016年、かつしか文学賞優秀賞受賞。『幻の彼女』で島田荘司選第11回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞し、2019年デビュー。このほかの著書に『幻のオリンピアン』がある。

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