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新たなトラベルミステリー 西上心太(書評家)

2023年2月文庫新刊 西村 健『バスへ誘う男』作品解説
新たなトラベルミステリー 西上心太(書評家)

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 バスに乗り街に出て、街を見つけ、人と出会い、人と繫がっていく。
『バスを待つ男』から本書へと続く、〈路線バス〉シリーズはそんな話である。本書の初刊は二〇二〇年で、書き下ろし作品として出版された。本書のことを述べる前に、一作目のおさらいをしておこう。
『バスを待つ男』に登場する〈私〉は、バスに乗ることを目的とする男だ。
〈私〉は警視庁捜査一課で長年捜査に従事した元刑事で、警視庁を退職後に勤務した関連法人も数年前に退き、すでに七十歳を迎えた年金生活者である。ローンで買ったマンションに妻と二人暮らし。二人がまだ若いころ、小学校四年生の一人娘を交通事故で亡くしていた。〈私〉は捜査に打ち込むことで悲しみを紛らわすことができた。一方の妻はしばらく放心状態が続いたが、もともと得意だった料理に打ち込むことで立ち直り、週に一度自宅で料理教室を開くまでになった。そこで退職後に居場所を失ったのが無趣味な〈私〉だった。図書館に通ったものの続かない。それを見抜いた妻が出したアイデアがシルバーパスを利用したバスの旅だった。都営の交通機関のすべてに乗車できる年間フリーパスが、東京都在住の七十歳以上の住民であれば20510円で取得できるのだ。しかも〈私〉が住む錦糸町は、鉄道と多くのバス路線が行き交う地でもあった。
 こうして〈私〉は街に出てバスに乗る。そのたびに街の新たな一面を見出し、人と出会い、バスに乗る楽しさに魅せられていく。
 その行き先で〈私〉は不審な行動を取る人物や、不思議な現象に遭遇する。それらの小さな謎を帰宅後に妻に話すと、彼女はたちどころに納得のいく解釈を提示してみせるのだ。大東京を路線バスによって経巡る小さな旅を追体験できる楽しさ。元刑事だからこそ有する鋭い観察眼と正確な報告に、妻の持つ鋭い分析力と推理力が加わった二人三脚の謎解きの妙。この二つの魅力で読ませる新たなトラベルミステリーが誕生したのだ。
 ここからは本書の趣向に触れるので、第一章(少なくとも14ページまで)を読み終えてから、目をお通し下さい。
 作者は本書の第一章にある趣向を凝らしている。特に第一作の記憶が新しい読者ほど驚くに違いない。
 第一章「バスへ誘う男」の〈私〉は、老婦人をエスコートして東京駅から東急電鉄の等々力駅までのバス旅をする。喫茶店で一服後、老婦人と別れた〈私〉は、同じバスに乗っていた男に話しかけられる。彼もまたバス旅を楽しむ同好の士であった。意気投合した二人は一献傾けることになった。食事はいらないと先方へ連絡する相方の様子を見た〈私〉はこう心の裡で呟くのだ。
「妻を亡くした私にはこのような心遣いは必要ない」
 すっかり〈私〉を一作目の語り手である元刑事だと思っていたので、初めて本書を読んだ時に「ええ! あの名探偵だった奥さん、亡くなってしまったの!」と驚き慌てたことを告白しておく。シャーロック・ホームズをライヘンバッハの滝に転落させたコナン・ドイルのことが頭に過り、作者に対して一瞬憤りを感じたほどだった。
 だがよく読むとそうではないことがわかる。〈私〉に話しかけた男の方が、『バスを待つ男』の語り手である元刑事だったのである。思えば本書の〈私〉はタブレット端末を駆使しているし、老婦人との会話の端々からも、元刑事のキャラクターにそぐわないことを感じとれるはずなのだ。だが作者のいたずら心のある企みに、すっかり騙されてしまったのだ。
 14ページの「私は、炭野と申します」という自己紹介の台詞によって、炭野が前作の〈私〉であり、本書の〈私〉でないことがわかるのだが、誤読を誘発させるように書かれている。ここで気づかなかった読者はあと数ページ読み進めてから、おやっと思ってこのページに戻ってくるはずだ。
 こうして前作の〈私〉に炭野という名前が与えられ、名無しの〈私〉が交代したのである。今度の〈私〉は元東京都交通局職員という、妻を亡くした一人暮らしの男だ。年回りやシルバーパスを駆使したバスの旅を趣味にしているのは炭野と同じだが、大きく違うのが〈路線バスの旅コーディネイター〉を謳い、依頼主のさまざまな要望に応えている点だ。もっぱら口コミが主であったが、旅の様子をアップしたブログも徐々に知られてきている。
 炭野のバス旅は原則的に行き当たりばったりだったが、今度の〈私〉は依頼人の要求に応える必要がある。「バスへ誘う男」の依頼人の老婦人が抱えていたのは、かつて夫が会社帰りにたまに乗ったバスの路線が存在しないという疑問だった。〈私〉は都バスと私鉄系のバスの住み分けや、共同運行という一般人には、ましてネット弱者の老人には知ることが難しい知識を生かして老婦人の期待に応えるのだ。
 第二章「墓石と本尊」の元足立区職員の男性の依頼は、退職後に疎遠になった足立区内を、なるべく広く隅々まで回りたいという要望である。足立区は二十三区で三番目に大きい区であり、東西を結ぶ鉄道がないため路線バスの数は多い。〈私〉は他の区にはみ出ることをしないという条件を加え、効率的に回れるようなコースを作成してみせる。第三章「さらされ布団」では湾岸地域を結ぶ路線バスの意外な進路に関する蘊蓄が開陳され、第七章「築山と信仰」で紹介される都内の社寺にある富士塚をめぐるコースも興味深い。  周到な事前準備、タブレット端末を使った即座の対応、徒歩の併用など、コーディネイターならではのバス旅の行程に、思わず引き込まれていく。
 しかし本書のテーマは人と街との関わりであり、人と人との出会いであることを忘れてはならないだろう。「バスへ誘う男」の老婦人の第二の依頼は、亡き夫の生きた証しと遠く離れて住む息子一家とを強く結ぶものであった。
『バスを待つ男』で登場したキャラクターが再登場することも注目点の一つだ。元刑事の炭野はもとより、元同僚の郡司、元不動産屋の吉住といった面々である。彼らは〈私〉だけでなく、〈私〉の依頼人たちとも関わるようになり、バス旅を共にすることで、バス旅老人ネットワークの輪をどんどん広げていくのだ。
 またバスに乗るだけではなく、街を歩く楽しみも活写されている。中山道の第一の宿である板橋宿を歩き、その地の神社にある縁切り榎つながりで、炭野や吉住と縁のある若者たちが抱えている問題が浮上する第五章「榎の恩徳」。いつもとは逆に、かつてツアーに参加した客から誘われた〈私〉が、客の趣味である暗渠めぐりにすっかり魅せられてしまう第六章「焼べられぬ薪」など、バス旅と街歩きは相性がいいのである。

 もちろん謎解きも用意されていることはいうまでもない。老婦人はなぜ自分がよく知っているバス路線の旅を〈私〉に依頼したのか。故人の遺志に叶う墓石の向きはどちらなのか。雨の日にもかかわらず、なぜベランダに干された布団はいつも取り込まれないのか。
 これらの謎はバス旅仲間から炭野のもとに持ち込まれ、まふる夫人(そう、夫人の名前も判明する)が、いつもながら見事に解明するのは一作目同様であるのでご安心を。
 物語を読み進めていくと、〈私〉にはバス仲間に言えない秘密があることがわかってくる。この〈私〉が抱える屈託がどのように決着するのかも本書の読みどころである。
 バス旅と街歩きによって新たに発見するその土地の魅力。行く先々で出会う〈日常の謎〉。新型コロナウイルスの蔓延により、外出する意欲が萎縮しがちな昨今だが、本書はそんな気分を刷新する一助になる作品ではないだろうか。本書の文庫化とほぼ同時期にシリーズ三作目『バスに集う人々』も刊行される。こちらも新たな趣向が用意されているので、楽しみにしていただきたい。
 さて明日はちょっとバスに乗ってみようかな。

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