2023年3月の新刊 堂場瞬一『ザ・ミッション THE MISSION』ブックレビュー
できる“広報”は○○を作らない――現実とフィクションの戦いの行方 額賀澪(作家)
2023年3月22日朝、どれほどの人が手に汗を握ってテレビにかじりついただろう。どれほどの人々が「ああ、WBCの決勝はどうなってるんだ? 村上は打ったのか? 大谷は投げたのか?」とやきもきしながら、会社や学校に行っただろう。私はこの日ほど、自分が専業作家であることをよかったと思ったことはない。
できすぎなほど、面白い大会だった。不調に苦しみ抜いた果てに準決勝のメキシコ戦でサヨナラ打を放った村上宗隆も、初の日系人選手として侍ジャパンにやってきて大活躍した「たっちゃん」ことラーズ・ヌートバーも、この大会の主人公としてマウンドで吠えた大谷翔平も――こうしていちいち挙げる必要がないほど、侍ジャパンの活躍は皆さんの記憶に焼きついているに違いない。
オリンピックやワールドカップなど、巨大なスポーツイベントを観ていると、「あ、今、世の中が変わった」と思える瞬間がある。今回のWBCはまさにそうだった。
3月22日、侍ジャパンの優勝の瞬間、日本は少し元気になって、野球をやってみたいと思った少年少女が大勢いたことだろう。「ああ、自分も頑張ろう」と人々に思わせる瞬間がスポーツにはある。そう感じさせてくれた。
そんな中で刊行されたのが堂場瞬一さんの『ザ・ミッション』である。
主人公は、プロ野球チーム「横浜パイレーツ」を子会社に持つ食品メーカー・JPミールの広報部員・三上翔太。かなりのMLBフリークで、大リーグの本拠地30球場をすべて訪れたこともある。しかし、日本のプロ野球はそこまで強い興味がない。
そんな彼が横浜パイレーツの球団広報へ出向を命じられ、メジャーリーグから古巣へと復帰したスター選手・石岡健の専属広報を任せられるところから物語は始まる。しかも三上には、「引退後に横浜パイレーツの監督に就任してほしい」と石岡を説得するという極秘任務まで与えられていた。
広報とは、実に難しい仕事だ。実は私もかつて広告代理店で働いていたことがある。当時のメイン顧客は大学の広報部だった。
大学という巨大な組織の広報をサポートするのが私の仕事で、そこで数多くの広報部員と出会い、一緒に仕事をした。有能な人もいればそうでない人もいたが、「こういう人を見習って社会人をやっていこう」と思えた人の仕事ぶりは、今も印象に残っている。
その中でつくづく、広報部員とは敵を作ってはいけないのだと学んだ。敵とは何もマスコミのような外部の人間だけではない。組織の中にも敵を作ってはいけないのだ。
不思議なものだ。こちらは大学の志願者数を増やすために広報しているのに、協力的でない教授陣が必ずいる。いやいや、少子化のこの時代、受験生が集まらないといずれあなたは授業も研究もできなくなるんですよ? どうしてこんなに非協力的なのですか? と思うのだが、そこで怒ってしまっては広報の仕事は勤まらない。冷静に理論的に、相手が広報活動に敵対心を抱かぬように接する。
『ザ・ミッション』で、主人公・三上は取材対応にまるで乗り気でない石岡に手を焼く。衝突もする。あなたは野球選手で、マスコミがあなたの声を聞きたいと言っているんだから、ちょっとくらい質問に答えてくれたっていいじゃないか。そんな冷たい対応じゃマスコミの心証も悪くなって、成績が振るわなくなったときにネガティブな記事ばかり書かれますよ? 三上だけでなく、読者の多くがそう思うはずだ。
しかしそれは、あくまで広報である三上から見た世界にしか過ぎない。
組織の中にはさまざまな人間がいて、その一人ひとりに生活があり、人生観があり、人それぞれの気性や得手不得手がある。「組織の人間なのだから、広報活動に協力して当たり前」ということはない。
できる広報部員とはそのことをよく理解していて、不用意に我を通さず、敵を作らず、組織の中とも外とも良好な関係をのらりくらりと構築し、上手い具合に人を動かす。世間にアピールすべき組織の姿を的確に広報していく。そのためには時として嘘もつく。広報が伝えるべきは組織の本当の姿ではなく、世間から「こう見られてほしい」という姿だからだ。
頑固なまでに取材を嫌う石岡に反発していた三上も、徐々に石岡の抱えた事情や彼の内面を垣間見ることになる。
ホームである横浜での試合後、いつも早々に帰宅する彼は一体何をしているのか? メジャーへの復帰を画策しているのは本当なのか? 大体どうしてそんなにマスコミが嫌いなのか? さまざまな「???」を紐解きながら、横浜パイレーツのシーズンは進んでいく。勝った・負けただけでは語りきれない人間ドラマがそこにはある。
そしてそんなドラマは、何も秀でたアスリートの専売特許というわけではない。グラウンドで活躍できない選手にも、そもそもグラウンドに立つことがない人々にも、その人だけが抱えたドラマがある。
大谷翔平や村上宗隆のような存在だけがドラマチックなのではないと、WBCを観た私達はよく理解しているはずだ。決勝ラウンドが行われたマイアミのローンデポ・パーク。アウェーの中で日本代表のためにラッパを吹き続けた名もなき観客の一人にだって、唯一無二のドラマがある。
『ザ・ミッション』の作中には、選手だけでなく、主人公をはじめとした裏方の職員、そして元プロ野球選手が多く登場する。野球に関わり続けている者、別のフィールドで活躍する者――短いシーンの中に、その人の人生が映し出される。それぞれがそれぞれの人生を戦っている。
試合に勝って嬉しい、負けて悔しい。それだけがスポーツの面白さではない。そこに関わる人々の生き様を味わえるのが、スポーツ小説の醍醐味であると、作者の堂場瞬一さんと同じくスポーツ小説を書く作家として、読了後にしみじみと思った。
WBC期間中、「大谷翔平は持ってるなあ~」と幾度となく思ったが、この作品が日本のWBC優勝のタイミングで刊行されたのもまた「持ってるなあ~」である。現実のスポーツは時としてフィクションである小説や漫画に肉薄し、ときどき盛大に凌駕してしまう。今回のWBCなんてまさにそうだった。
フィクションの作り手としては非常に頭が痛い話なのだが、希にフィクションが現実を予言することもある。WBCを楽しんだ私達にも、いつか『ザ・ミッション』のような出来事を目の当たりにする日がくるかもしれない。
あえて詳細は伏せるが、この物語のキーパーソンとなるジャスティスの存在は、不思議とWBCでのヌートバーの活躍を予見していたようだった(もちろん、この小説が書かれたのはペッパーミルパフォーマンスやヌーイングが流行る遥か前なのだが)。
スポーツ小説を書く者は、現実のアスリートの活躍に魅せられながら、常に彼らと戦っているのだ。
ぬかが・みお
1990年、茨城県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。2015年に『屋上のウインドノーツ』で松本清張賞を、『ヒトリコ』で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。その他の著書に『弊社は買収されました!』(小社)、「タスキメシ」シリーズ、『競歩王』、『さよならクリームソーダ』、『君はレフティ』、『完パケ!』、『拝啓、本が売れません』、『風に恋う』、『沖晴くんの涙を殺して』、『世界の美しさを思い知れ』など多数。