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「謎」は向こうからやってくる

新津きよみ『なまえは語る』刊行記念インタビュー
「謎」は向こうからやってくる

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新津きよみさんの文庫『なまえは語る』は、「名前」を題材にした短編を1冊に編んだ個人アンソロジー。なぜ「名前」だったのか、ご自身の体験も振り返りながら、お話を伺いました。
文/杉江松恋 撮影/泉山美代子

新聞取材がきっかけ

――新津きよみさんの新刊『なまえは語る』は、これまでの作品から人の一生についてまわる名前に関するものを集め、書き下ろしを加えるという一人アンソロジーと言ってもいいおもしろい短篇集ですね。どういうきっかけから始まったのでしょうか。

新津:あとがきでも書いたのですが、一昨年の年末に朝日新聞デジタルから選択的夫婦別姓制度についてどう考えるかという取材の申し込みがあったんです。そのとき記者の方が「新津さんの作品には名前にまつわるものが多いと感じました」と取材の理由をおっしゃったんですね。そんなに私の作品を細かく読んでくださっている方がいらしたということに感動して自分でも読み返してみた、というのが出発点です。それで編集者と協力して作品をピックアップしてみました。それに書き下ろしを加えた形ですね。

――巻末の「こだわり」ですね。

新津:私の手元に「新津蔵書」というはんこがあるんです。90歳で亡くなった父は書斎の本にすべてそれを押していました。大人になったら自分もそれに倣おうと決めていたんですけけど、成長していく中で女性は結婚するとだいたい姓を変えるということに気づいて「そうか新津蔵書印は使えないな」と残念に感じたことがあったんです。

「明日籍を抜きます」と宣言した日

――結婚においては女性が自分の姓を捨てることが一般的であるのが日本の現実ですよね。

新津:最新の数字では96%だったかな。ほぼ女性が改姓するのが当たり前という風潮ですよね。選択的夫婦別姓制度が採用されたほうが、選択肢が増えるっていうことで生きやすい世の中になるのは間違いないと思うんです。私もちょっとした理不尽を体験したことがあるんですよ。結婚して1、2ヶ月経ったころかな、近所でお葬式があって、義理の姉に「長男の嫁として黒いエプロンをつけてお手伝いに行ってくれ」って言われたんです。私はそのお宅と面識すらないんですよ。締め切りも迫っていたし「お義姉さんがお世話になっているなら、あなたが行けば」って言ったら「私は姓が変わっているから折原家から行かないといけない」って言うんですね。それが衝撃で夫に「明日にも籍抜くから」って言ったんですよ。

――新津さんの夫は作家の折原一さんですね。折原姓のせいで行かなければいけないんだったら、新津きよみならその義務はないと。同じような体験をされる女性は無数にいると思います。ドメスティック・ミステリーといって、家族を軸とした人間関係を描くジャンルがあります。家族、夫婦の当たり前は実はよく考えてみるとおかしい、ということはいくらもあって、そういうことからミステリー的なアイデアが生まれる場合もあると思うんですね。新津さんは家族の物語を書かれる機会が多いですが、そうしたことに着目するきっかけというのは何だったのでしょうか。

新津:兄が2人いることが大きいかもしれません。父は開業医で特に男尊女卑の家ということもなかったんですが、やはり男に跡を継がせようとするんです。母も非常に活発で能力のある人だったんですが、父が医院を開業した途端に裏方に回るというか、内助の功みたいな生き方になりました。母が家にいないと、父はちょっとおもしろくなさそうな顔になるんですよ。そういう関係が私にとっては反面教師だったのかもしれない。ただ、父は私が作家を目指すことは嬉しかったみたいですけどね。自分も医師にならなかったら小説を書きたかったみたいで。後で母に聞いたら30歳までは自由にさせる、って言っていたそうです。デビューしたのが30歳でぎりぎりでした(笑)。

日常のなかに転がっている題材

――ミステリーにもいろいろな題材があると思いますが、その中で夫婦や家族の話を選ばれたのは何かきっかけがあったのでしょうか。

新津:娘を産んで子育てがあったので、いろいろなところに取材には行けない、ということがまず制約としてありました。それで保育園に行ったり、学校でPTAをやったりしているうちにおかしいと思うようなことが日常的に目につくようなことが増えて。それで題材が日常の中に転がっていることに気づいたんです。そういうことをミステリー仕立ての物語として書けば普段関心がない男性にも届くかもしれない。女性の読者が「あ、私の言葉にできないイライラってこういうことだったんだ」って気づいたら、それはそれで一歩前進だと思いますし。ミステリーの技法、驚きを入れて、そっちに視線を向けさせて、その中に夫婦関係のこういう部分はおかしいよ、というようなことを巧妙に練り込んでいく。そういう作戦を取ってきました。それに気づいたのもここ数年のことなんですが。

――新津さんは引き出しになるキーワードのようなものがあって、そこから作品が生まれてくると以前に書いておられたのを覚えています。

新津:1つから3つぐらいをだいたい組み合わせるんです。ノートがあって、そこに今自分が気になっていることを書いています。

――さっき題名の出た新作の「こだわり」は「シンメトリー」「表札」「同性婚」という3つの掌編から成る作品ですが、やはりそのノートから生れた作品なんですか。

新津:元は新聞の切り抜きです。私新聞フェチなんですよね。今は3紙取っています。前は4紙だったんですけど、新聞がたまり過ぎて困るって夫に言われて(笑)。新聞はデータが正確じゃないですか。さっき言った結婚で女性のほうが改姓する場合が96%という事実だとか。そういうものを集めるのは好きなので、切り抜いて線を引いておくんですよ。創作ノートにも切り抜きが挟まっています。「こだわり」は2021年の朝日新聞に載った投稿に興味を惹かれて、投稿したご当人ではなくてお友達はどう感じただろうな、という風に考えを膨らませていきました。そうやって違ったタイプのキーワード、アイデアが溜まったんで、じゃあ3つとも書いちゃおうということにしたんです。意外に早く書けちゃって。2週間ぐらいでできました。

名前にまつわるこだわり

――「表札」は70歳を迎えるのを機に話し合って夫婦別姓でいくことにした女性の話です。年賀状を旧姓で出したら「離婚したのか」と心配して友人から電話がかかってくるという。

新津:私もそういう経験をしたことがあります。手紙を新津きよみで出したら戸籍名で返事が来たんですよ。うちは表札も2つあるし、大丈夫、届くよって言っても「でも、ご主人が見たら嫌な気持ちじゃないかしら」みたいに怖がる人がいて、ええって驚きました。

――勝手に忖度してくれちゃうわけですね。一旦夫の姓に変えたら生涯そうするものだというこだわりを、実は女性の側にも持っている人はいるということかもしれません。過去作についても伺いたいですが、たとえば「時効を待つ女」は名前についてのちょっとした盲点が鍵になっています。そういう風にミステリーとしての話を考える際に新津さんが使われる切り口みたいなものの一つに、実は名前があったんだんだと思うんですね。

新津:そうなんですよ。意外に多かったです。「名づけられて」は、私は見落としていて編集者の方が拾ってくださったんです。長篇にも『ダブル・イニシャル』(2012年。角川文庫)といって名前を扱ったものがあります。姓と名前のイニシャルがMMみたいにゾロ目の人が連続で殺されていくんですね。それと『同姓同名』(1999年。ハルキ文庫)というのは結婚してタナカミドリになった主人公と旧姓タナカミドリの人生が交錯するという話です。そう考えると名前にはかなりこだわっているみたいなんですよね。

意外な盲点は向こうから飛び込んでくる

――ぽんと長篇が2作も挙げられるというのは確かにそうかもしれませんね。短篇ミステリーの仕掛けは、世間の人が持つ先入観を利用して作ることが多いと思うんです。新津さんの場合、それはどういう形で出てくることが多いですか。

新津:幾つかキーワードを書いてるうちに、そこにこれが結び付くんじゃないか、みたいな形でできることはありますよね。この本で言えば「再燃」がそういう風にできた短篇です。

――さっき出た新聞の切り抜きで知った情報なんかが、そういう着想の元になるんですね。

新津:そうですね。たとえば、配偶者が亡くなったら旧姓に戻せるということも知っている人が意外に少ないんです。でもいざ戻そうとすると、なんで今さらって周囲の人からは言われるかもしれない。そこのリアクションを書くのがおもしろいんですよ。

――そうやってお話ができていくわけですね。新聞を始め、いろいろな知識の仕入れ先があると思います。

新津:アンテナを張っていると向こうから飛び込んできますね。以前、「解剖実習」(『巻きぞえ』所収。2012年。光文社文庫)という短篇を書いたことがあるんですけど、それも献体の手続きってどういう風にするのかな、と考えていたら親戚の人が「私、献体登録している」って教えてくれたんです。登録すると病院から年に1回、ありがとうございますって手紙が来るそうなんですよ。それは使わせてもらいました。

自分のステージごとにテーマが生まれる

――この10年ほど、新津さんはひとつのテーマを設定した短篇集をお書きになっていますよね。そういうテーマを決めた短篇集を続けられるようになったのは、何かきっかけがおありなんですか。

新津:もともと短編好きなんですが、両親が高齢になって1ヶ月に1回実家と行き来していることも影響していると思います。行動が短編の周期に合ってるんです。新幹線とバスで2時間半ぐらいかかるんですけど、それに揺られてるうちにいろいろ思い浮かんできて、行き帰りで短編の構想がひとつできたことがあります。帰ってきて、じゃあ次の帰省までに書こうかなって、2週間ぐらいで書いちゃった(笑)。私は、自分が年を取っていく中で、そのステージごとに起きる問題からテーマが生まれるというタイプの物書きだと思うんですよ。少し前に『セカンドライフ』(2020年。徳間文庫)という本を出したんですが、それは自分がもうすぐ定年の年齢になる60歳ぐらいから書き始めたんです。私の周囲には定年になってなぜか急にボランティアに目覚める人が多いので、今は定年ボランティアというテーマで書き始めてます。

●プロフィール

にいつ・きよみ
長野県大町市出身。青山学院大学文学部仏文科卒業後、商社勤務などを経て1988年に作家デビュー。女性心理サスペンスを基調にした作品を多数手がける。『二年半待て』で2018年徳間文庫大賞受賞。近著に『始まりはジ・エンド』『セカンドライフ』『ただいまつもとの事件簿』『妻の罪状』などがある。

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