12月の新刊『黄金の糸 幕末甲州金始末』によせて
「黄金の糸」の周辺 渡辺房男
甲府から静岡方面に向うJR身延線の途中に下部(しもべ)温泉駅がある。
古くからの温泉地で、かつて武田信玄が戦場で負傷した兵たちの療養に使ったらしい。山間の静かな温泉で、甲府から家族とともにここへ出向いたことが何度かある。
この下部近くの山には武田氏統治時代から「湯之奥金山」という金山があった。その麓に金山から発掘された資料を展示し、甲州金の由来を説く「甲斐黄金村・湯之奥金山博物館」がある。
甲州金の現物を始めとする展示資料によって、金山から掘り出された金鉱石が甲府の金座に送られて鋳造され、戦費や攻略用として使われたことがわかる。さらに、長らく所在がわからなかったその甲斐金座の遺構が平成二十四年十月、道路の拡張工事の際に偶然にも発見され、微量の金が付着した石臼や溶かした金を載せる素焼きの土器などが出土した。執筆途中でもあったので、金座の場所を甲府城近くのこの場所とした。
また、小説の主な舞台となる内藤新宿は、わたしたち甲州人にとって馴染み深い町である。中学高校時代、早朝中央線に乗って新宿に出て、繁華な町筋にある映画館で封切りの洋画を観て大都会東京の雰囲気を味わった情景が思い出される。その頃から、日本の歴史に興味を抱き始め、甲州が江戸期を通じて長い間幕府領であり、直参旗本たちが甲府勤番となって支配していたことも知った。さらに、取材を進めながら知ったのは、甲州金座で鋳造された甲州金が維新後の明治四年まで通用を許された独自の地方通貨であり、通用金の分金や朱銀と引き替える両替屋が内藤新宿にあったことである。その具体的な記述が江戸期に出版された名所案内に記載されていた。このように、江戸・東京と甲州・山梨が地理的に近かったことに加えて政治経済的にも密接な関わりがあった事実を構想から取材、そして執筆に到る過程で次々と知った。取材過程で知り得た事実と虚構をどのように組み合わせてひとつの世界を構築するか、それが歴史小説の根幹にあると思っている。
さらに、小説の舞台であり、かつて取材した群馬県の富岡製糸場が平成二十六年六月に世界文化遺産に登録されたことも偶然とはいえ意義深いものがある。
富岡製糸場のある群馬県や長野県などと並んで、わたしの故郷山梨県も江戸時代から絹糸の生産が盛んな土地柄であり、わたしの父もかつて甲府市内で製糸業を営んでいた。父が製糸業を始めたのは戦後五、六年の頃で、実家のある甲府市には当時数多くの製糸場があった。幼かったわたしは好奇心から時折、製糸場を覗き回り、繭を熱い湯で煮て糸を紡ぎだす作業を見たことがある。小規模の製糸場で、わずか二列の糸取り台が並んでいるに過ぎなかったが、作業台に送り込むための熱い湯を沸かすボイラー用の煙突、汗まみれで糸を取る女性従業員の姿が今でも脳裏を過ぎる。幼かったわたしには廃業の理由がわからなかったが、数年後に製糸場は閉じられた。コスト高で採算が取れなくなったのか、市内の製糸業は衰退し、わが家と同じく廃業となった製糸場も多い。地域産業の興亡を示すひとつの事例であろう。
「黄金の糸」……。
幕末維新期、金貨から絹糸へと奇妙な運命を辿った甲州金の?末にわたしの郷土への思いを汲み取って戴ければ幸いである。