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時代考証、伏線回収、意外な犯人…三位一体の時代ミステリ極上の一品 縄田一男(文芸評論家)

2023年7月の新刊 平谷美樹『虎と十字架 南部藩虎騒動』ブックレビュー
時代考証、伏線回収、意外な犯人…三位一体の時代ミステリ極上の一品 縄田一男(文芸評論家)

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 私は平谷美樹さんの『虎と十字架 南部藩虎騒動』の書評レビューを書くにあたり、さっきからニヤニヤが止まらない。
 何故なら、この作品が平谷さんのこれまで書かれた時代ミステリの最高傑作であり、それを一般読者の方々より一足先きに読むことが出来た歓喜にうち震えているからに他ならないからだ。

 物語の発端は『徳川実紀』巻八の寛永三年此年条に記されている南部信濃守利直が、家康がカンボジアから贈られた虎を拝領、その二頭の虎は、乱菊丸、牡丹丸と名付けられ城内で飼われていたが、二頭は脱走。この捕物に徒目付米内平四郎が指揮を執ることになった。平四郎は上司の工藤為右衛門と共に行方を追うが、若殿南部重直は「虎狩りなど、このような機会でもなければできぬことだ」と浮き足立っている。

 だが兄政直が死去したばかりであり、拝領の虎を殺したとなれば幕府からどのような因縁をつけられるかわからない。そもそも今回の脱走は虎籠番が鍵を閉め忘れたために起こった体を装われており、虎籠番の切腹も、これが自刃ならば、立って首を斬って死んだあとに腹を切ったという奇っ怪な状況が浮かび上がってきた。

 さらに厄介なことに、その夜の虎の餌は人――責め殺された二人の切支丹の死体だった。そして虎と共に切支丹の死骸も消えて無くなっていたのである。
 近頃、領内の朴木金山に頻繁に切支丹が逃げ込んでおり、ことここに至って金山の周辺には切支丹きっての知恵者後藤寿庵と京の山師丹波弥十郎らが出没することもしばしばとか。

 勘のいい読者ならこの事件の背後に、南部藩のお家騒動か、もしくは切支丹騒動の二つを見立てるだろう。さらにはミステリファンにはたまらぬ雪の上の足跡なども加わり、そこに虎を逃がして城内、城下の人々の命を危うくし、家康公から賜った虎を一頭撃ち殺したとなれば、謹慎程度では済まないという封建時代の事情も重なってくる。
 また、虎籠の中にこれみよがしに置かれていた南部家の家紋・向鶴の笄等々。

 誰が何を画策しどう動いているのか。普通ミステリはページを繰っていくと次第に謎が解き明かされていくものだが、この一巻はその逆で、どんどん謎が膨れ上がっていくものだから始末が悪い。

 そして花巻城主であった若殿重直の兄政直の毒死に始まる連続怪死事件はどうつながるのか。平四郎が配下の者たちといずれをつなげるにしても環が足りぬのうと話し合っている箇所はミステリファンならゾクゾクするところだろう。
 そんな中、平四郎は切支丹よりも虎籠の扉を開けたい動機を持っている、南部家中を転覆させる機会を狙っている連中に肉迫していく。

 作者はこれまでにも多くの優れた時代ミステリをものしてきたが、恐らくは本書が最高傑作であろうことは既に述べた通り。
 ここまででも読者は作者の仕掛けにきりきり舞いさせられるだろうが、本書の懐はそんなものではない。
 平谷美樹はミステリ最大の妙味を実によく心得ているではないか。

 作品は大団円に向かって一つ一つの謎を丁寧に解いていくが、ラストのこの一巻の意外な犯人が明らかになるシーンはそんなものでは及びもつかない。
 私は、この意外な犯人を知らされて、はたしてその可能性があるかどうか最終章を何度か読み直した。そしてその可能性は充分あり得ることを確認した。これは、時代ミステリ史上最も意外な犯人と断言出来る。

 かのホームズも言っているではないか。――全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となると。
 この一巻は、時代考証、伏線回収、意外な犯人の三位一体が成された極上の一品なのである。

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