特別対談 辻 真先×阿津川辰海
日本でいちばんのミステリな「老人」と「青年」!?
1986年の単行本刊行から37年、『村でいちばんの首吊りの木』初の文庫版が、このたび小社から発売となりました。辻真先さんが「自薦短編ベスト5」にも挙げる表題作ほか三編を収めた本書の文庫化を熱望してこられた阿津川辰海さんをお迎えし、特別対談が実現! 文庫巻末に20ページの大ボリュームで掲載した対談から、本作品誕生秘話や映画化の裏話を抜粋して、お届けします。(構成・写真/編集部)
●辻でさいしょの大人の小説
辻 今日はようこそおいでくださいました。阿津川さんとお会いするのは、いつ以来になりますか。
阿津川 4年ぶりです。2019年8月に全日本大学ミステリ連合(以下、ミス連と表記)の夏合宿が熱海で開催され、ミス連の現役生と共に先生の講演を聞いて、ご挨拶した時が初対面でした。
辻 光文社から『焼跡の二十面相』が出た後で、『たかが殺人じゃないか』の原稿を書いていた頃かな。
阿津川 はい。講演で『たかが殺人じゃないか』に「読者への質問状」が付くと伺って、大いに興奮したことを憶えています。
当時のミス連幹事で、当日司会をしていたのが、現在早川書房に勤めている井戸本幹也君です。彼がその時、辻先生に「自薦短編ベスト5」をお聞きして、挙げていただいたのが「村でいちばんの首吊りの木」「うえっ! ディング・マーチ」「オホーツク心中」「轢かれる」「上役を静かにさせる法」という5作品でした。今回の文庫化で「村でいちばんの首吊りの木」、そして『思い出列車が駆けぬけてゆく 鉄道ミステリ傑作選』(創元推理文庫 2022年)収録の「オホーツク心中」「轢かれる」と、5作中3作が現役の新刊で読める状態になり、ファンとしては嬉しい限りです。
今回、『村でいちばんの首吊りの木』をあらためて再読して衝撃的だったのが、「あとがき」に書かれていた、表題作は大人向け小説誌からの初めての依頼で執筆されたという事実です。「小説推理」(双葉社)の1979年7月号に掲載されたのですね。
辻 1972年に朝日ソノラマから『仮題・中学殺人事件』を出した後、小説はずっとソノラマの子供向けでした。それ以外だと、双葉社とどっちが先だったかな、同じくらいの時期に徳間文庫の編集長前島さんから声が掛かって、『宇宙戦艦富嶽殺人事件』という長編を書きました(1981年)。『宇宙戦艦ヤマト』のパロディで、『仮題・中学〜』のような「超犯人」スタイルでやってほしいという注文でしたけど、大人向けという認識がこちらにもなくてね。はっきり大人向けっていうことでは、「小説推理」が最初でしょうね。
阿津川 私は辻先生のコミカルな文体が好きなんですが、「村でいちばん〜」は、手紙ということもあって文体がすごく抑制されて、それがミステリーとしての魅力にもなっていると思いました。手紙のやり取りのみで構成されている点や、なぜこのタイミングの手紙ではこのように書いておかなければいけないのかという必然性の処理も含めて、先生の短編の中では、私もベスト5に挙げたいくらい好きです。
辻 そのころ僕は40代後半だったし、年齢を考えると落ち着いた文章を書いて当然なんでしょうけど、やっぱり書きやすかったのは、二番目の「街でいちばんの幸福な家族」かな。女子学生のせりふは、気楽に書けましたね。
阿津川 二編目は家族の中で語り手がスライドしていく小説ですが、確かに、女子学生のパートは辻先生のいつもの味わいが出ていたと思います。
辻 「村でいちばん〜」は映画化が決まっていたのだけど、百枚の中編一本だけでは原作本として売れない。それで、中央公論社の新名さんに相談して、「別冊婦人公論」に百枚の「街でいちばん〜」を載せてもらったんですよ。さらに、雑誌が世に出る間にもう一本中編を書いて三百枚あれば本に出来るね、と、三番目の「島でいちばんの鳴き砂の浜」を書き下ろしました。
阿津川 1986年春号に「街でいちばん〜」が載って、4月にはもう単行本に……すごいペースですね! しかし、全編レベルが高く、急ピッチで二編目、三編目が作られたとは、とても思えないです。私、この三編目「島でいちばん〜」もすごく好きなんです。自然の星々だったり砂浜だったり、無生物が次々に語り手として登場し、少しずつ事件の様子が分かってくるという趣向ですね。中学生の頃に宮部みゆきさんの『長い長い殺人』(光文社)という、財布が語り手をつとめる話を読んで以来、こういう構成の作品が大好物でして。
辻 僕の作品の中でも、こういうスタイルは珍しいかもしれません。
●辻でゆいいつの映画の原作
阿津川 そして、映画『旅路 村でいちばんの首吊りの木』が、1986年11月1日に劇場公開されたのですね。
辻 もともとは『日本沈没』の森谷司郎監督が表題作を気に入ってくれて、彼が作る予定だったのですが、1984年に亡くなられましてね。橋本プロに引き継がれ、橋本忍・橋本信吾親子の共同脚本、神山征二郎さんが監督という形となりました。
阿津川 橋本忍さんは黒澤明監督作品での脚本共同執筆で知られ、『砂の器』や森谷監督の『八甲田山』など名作を多く手掛けられていますね。
辻 映画評論家で詩人の北川冬彦さんを中心に結成された「シナリオ研究十人会」が、太平洋戦争が終わった後、脚本家を育成する通信教育を始めたんです。僕はシナリオが好きで、戦争中から読んだり書いたりしていたので、ぜひ受講したくて、1947年に参加しましたら、二年上に橋本忍さんがおられたんですよ。僕が丸刈りの中学生だった頃です。橋本さんは多分ご存知なかったでしょうけど、ご縁があったんです。
ただ、せっかく映画になったのに、『旅路』っていう、全然違うタイトルをつけられちゃってね……。
阿津川 現状、この映画につきましては、VHSがあるのみで、DVD・Blu‒ray化はされていません(対談時の2023年5月現在)。VHSは手に入らず、まだ映画は見られずにいるのですが、雑誌「シナリオ」の1986年12月号に掲載されていたシナリオ版を読みました。母親「寺岡美佐子」役は倍賞千恵子さん。そして原作だと手紙の宛先である次男・宗夫が、次女「寺岡紀美子」に変更され、早見優さんが演じました。このような原作の設定変更に関して、ご不満はありましたか?
辻 人気アイドル早見優のスケジュールを押さえられたので、次男から次女に変更されたと聞きました。原作はある種、息子と母親の近親相姦的な雰囲気もある話だから、やっぱりそういう危なさは出さないと駄目なんです。駄目というか、映画として膨らまないんですよ。
阿津川 シナリオ版から想像すると、手紙を送るという語りの演出や、手首のトリックなどは、原作をかなり忠実になぞっている印象です。
辻 ところが、キャスティング以外はあまりに原作通りだから、かえって面白くないと感じたのです。それなら僕が書きたかった。原作通りでいいなら原作を読めばいいんですよ。僕はテレビで脚本も演出も両方やってきたから、尚更そう考えるんですね。小説を映画にする、役者が演じる、漫画をアニメーションにするからには、プラスアルファのアレンジが欲しいところです。
とは言え、製作側からすれば、原作通りやってあげてるのに何を文句言うんだ、となりますし、そこは原作者が口を出す領域じゃないとは思います。僕も製作の裏を知ってるもんですから、「首吊りの木、探すだけで大変でした」なんて話を聞くと、脚本(ホン)に文句なんかつけられなくなります。
阿津川 原作通りだから、かえって面白くない。辻先生のご経験から出た言葉だと思います。最近、漫画のアニメ化などに顕著ですが、原作通りでないと怒る読者がいます。
辻 窮屈ですよね。
阿津川 私の同時代の人たちにも多くて、最近私もすごく窮屈に感じています。むしろうまく脚色してこそだと思います。脚色というか、素材を使ってそれぞれのメディアならではの見せ方で表現したほうが、面白いと思うのですが。
『天使の殺人[完全版]』(創元推理文庫)を拝読した時、びっくりしました。どうして「完全版」なのかというと、大和書房の小説版(1983年11月刊)と、舞台の戯曲版(1983年10月上演)が一緒に収録されているからで、もちろん基本設定は共通していますが、両者は内容がまるきり違っているーー。
辻 そうですね。舞台は「銀座みゆき館劇場」で上演して、赤川次郎さんや野間美由紀さんが見に来てくれました。双子の女優さんが天使1・2となって分身の術を使う場面とかね、舞台ならではの面白みが出せたと思います。
阿津川 この企画はどういう経緯で生まれたのですか? 小説と戯曲はどっちが先だったのでしょう。
辻 記憶が曖昧ですが、多分、小説が先だったんじゃないかな。舞台は、どうしても役者に合わせなきゃいかんですからね。プロデューサーに言わせると、演技の上手さのみならず、あちこちに顔が利いて、たくさん切符が売れる人に出演して欲しい、となるので、恐らく芝居のほうが後だったろうと思います。
*この続きは、ぜひ『村でいちばんの首吊りの木』をご購入いただき、お楽しみください。紙版、電子版の両方の形でお読みいただけます。
辻真先(つじ・まさき)
1932年愛知県生まれ。名古屋大学卒業。NHK勤務後、アニメや特撮の脚本家として幅広く活躍。72年『仮題・中学殺人事件』でミステリ作家としてデビュー。82年『アリスの国の殺人』が第35回日本推理作家協会賞、2009年に牧薩次名義で刊行した『完全恋愛』が第9回本格ミステリ大賞を受賞。19年に第23回日本ミステリー文学大賞を受賞。20年刊行の青春×本格ミステリ『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』がミステリー小説ランキング(「このミス」「週刊文春」「ミステリが読みたい!」)でそれぞれ国内第1位を獲得、3冠に輝いた。近著に『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』『焼跡の二十面相』『二十面相 暁に死す』『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』などがある。
阿津川辰海(あつかわ・たつみ)
1994年東京都生まれ。東京大学卒。2017年、新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」により『名探偵は嘘をつかない』でデビュー。以後発表した作品はそれぞれがミステリ・ランキングの上位を席巻。2020年、『透明人間は密室に潜む』で本格ミステリ・ベスト10で第1位に輝く。その他の著書に、『星詠師の記憶』『紅蓮館の殺人』『蒼海館の殺人』『入れ子細工の夜』『録音された誘拐』がある。2023年、『阿津川辰海 読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』で第23回本格ミステリ大賞《評論・研究部門》を受賞。