2023年9月の新刊 朝比奈あすか『ミドルノート』ブックレビュー
人生の“ミドルノート”にある女性たちをしなやかに肯定する物語 吉田伸子(書評家)
あぁ、そうか、時とともに香りが移り変わっていく香水は、人生と似ているのだ。本書を読み終えて、そのことに気付くと、タイトルである「ミドルノート」の意味が、ぐっと深くなる。
物語は、三芳菜々、板倉麻衣、江原愛美、岡崎彩子、という四人の女性、それぞれの視点で語られていく。菜々と麻衣、愛美は新卒で入社した食品会社の同期であり、同じ工場で研修を受けたことから絆ができ、麻衣が早々に退社した今でも繋がっている。彩子は菜々の隣の部署で働く派遣社員だ。
菜々の夫・拓也も麻衣、愛美とともに研修を受けた同期であり、同じく西孝義、坂東賢太郎を加えた六人は「イツメン(いつものメンバー)」として、入社後十年近くを経ても交流がある。
妊娠中の菜々は、身軽なうちにみんなと楽しいひと時を過ごしたいと、イツメン+彩子を拓也との新居に招く。楽しく、和やかな時間が過ぎ、幸せな気持ちでマンションのエントランスまでみんなを見送った菜々だったが、部屋に戻ると片付けを任せていた拓也から、もう家に人を呼ぶのはやめよう、と言われてしまう。拓也からのキツい言葉に、菜々は傷つく。
麻衣は菜々の家からの帰り、愛美と坂東と入ったショットバーで、ふと過去を振り返る。会社を辞め、アロマデザイナーの道を歩んだことに後悔はない。とはいえ、店にいた若いグループに、かつての自分たちの面影を見て、不意に切なさをおぼえる。
愛美は、二十代で課長に昇進、同期イツメンのなかではトップの出世を果たしているものの、所詮は「お飾り」でしかないことを痛感している。
彩子は菜々たちが勤務する食品会社で、ようやく職場での人間関係に恵まれた、と感じている。それまでの職場では、同性からは意味なく疎まれたり、異性の「変な人」から思いを寄せられたりしていたのだ。その都度、職場を変えていた彩子にとって、今の職場は「ようやく深呼吸できる」場だった。
物語は、「Before……」と「After……」「With……」の三章構成になっている。その間、三年ほどの時間が経っている、という設定なのだが、この、三年という時間が物語の中で効いてくる。
「After……」では、「Before……」でその片鱗が描かれていた、菜々の夫・拓也のモラハラは、菜々の出産後、顕著になってきているし、彩子は三年前、菜々の家で出会ったことがきっかけとなり、一年くらい前から、西と一緒に暮らしている。ようやく自分の場を見つけられた会社だったが、コロナ禍のあおりを受け、派遣契約満了後の契約が更新されなかったため、今はカフェでアルバイトをしている。
麻衣は、自身のライフスタイルを押し出した「Vlog」が同世代の女性から支持され、今では動画の登録者数は一万人を超えるインフルエンサーになっている。愛美は、自身が立役者となった会社のサイト内レシピアプリ「コトコト」が大ブレイクしたことで、「お飾り」的な立場を脱したものの、社内での女性の地位が向上しないことに、もやもやしたものを抱えている。
そして、「With……」。ここまでの二章も、四人の女性それぞれに抱えるものが丁寧に描かれていて読み応えがあるのだが、なんといっても本書の「肝」は、最終章の「With……」にある。
その「肝」は実際に本書を読んでいただきたい。三十歳から三年の時を経た彼女たちが、何を選択してこれからの時間を見据えていこうと決意したのか。
「人が誰かに見せる姿って、普段その誰かからどう接されているかの裏返しのような気がしてるんだよね」
これは久しぶりに、菜々、麻衣、愛美、彩子の四人が集まった時の菜々の言葉だ。拓也のモラハラに関しての発言なのだが、妻と夫という関係に限らず、人間関係全般に通じるものだと思う。自分にとって〝善い人〟も〝悪い人〟も、見方を変えれば、自分自身に端を発するものではないのか、という作者からの問いかけのようなものでは、と。そこにあるのは、善と悪とで切り離すのではなく、その根本にある根っこを見分けようとする、作者のニュートラルな視点だ。そこがいい。
物語の要所、要所で香水が鍵となり、彼女たちの変化の象徴になっている、というのもいい。トップからミドル、そしてラストノート。ラストノートがその香水の本当の香りだという説もあるが、自分はミドルノートを基準に香水を選ぶ、という麻衣の言葉は、今の今、人生のミドルノートにある彼女たちを、しなやかに肯定する言葉でもあるのだ。読後、良い香りにつつまれたような心地になる一冊だ。