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噓をついてでもバズらせたい女と、犬が出会うとき  本間 悠(佐賀之書店)

2023年11月の新刊 佐藤青南『一億円の犬』ブックレビュー
噓をついてでもバズらせたい女と、犬が出会うとき 本間 悠(佐賀之書店)

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 私が初めてインターネットに触れたのは、今より二十年も前のこと。大枚をはたいて手に入れたSONYのデスクトップパソコンVAIOは、それまで半径数メートルだった私の行動範囲を一気に拡げてくれた。あの時の私を満たした奇妙な万能感は、ちょっと筆舌に尽くしがたい。
 当時のインターネットは、噓だらけの世界だった。
「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」とは、某匿名掲示板の管理人であったひろゆき氏のコメントだが、インターネットに書かれていることは「噓」でも「ネタ」でもなんでもありだったように思う。前述の某匿名掲示板から生まれ、映画化・ドラマ化までされて一世を風靡したコンテンツ『電車男』も、「実話である」という体をとっていたものの、その真偽については二の次三の次であったように記憶している。現実に存在するであろう「電車男」さんや、その彼女である「エルメス」さんを特定して、彼らの私生活を脅かし、カメラの前で真相を語らせるような行為は誰も(少なくとも掲示板の住人たちは)求めておらず、それはインターネット上に伝わるおとぎ話のように柔軟に受け入れられていた。物事の真偽よりも、語り手としてのうまさ、あるいはネタとしての面白さが重要視されていたのかも知れない。
 語りの矛盾を指摘し、真偽を問いただすような行為は「ネタにマジレス」などとされ、どちらかといえば無粋な行為として忌避されていたように思う。あくまで当時インターネットの片隅にいた私の雑感なので、細かい追及はご遠慮願いたい。
「ネタにマジレス」が「噓松乙」となり、批判の対象に移り変わってしまったのは、一体いつからだったろう。
 Amebaブログをはじめ、個人が日常を綴る個人ブログの流行からか。mixiなど、一個人として登録・利用するSNSサービスの普及か、あるいは実名で行うことを前提としたFacebookの誕生からか。それとももっと単純に、日々大量に生み出されるフェイクニュースに、人々が疲れ果ててしまったからなのかも知れない。
 噓の投稿は不特定多数の「特定班」によって瞬く間につるし上げられ、言葉狩りや過剰なバッシングは日常茶飯事となり、一度燃え上がった炎は、時に誰かの命を脅かしさえする。『一億円の犬』の主人公・病的な噓つきである梨沙が生きる“今”のインターネットは、噓が許されない世界なのだ。
 今日何を食べた、どこに出かけた、こんなことをした……SNSはそんな日常の断片で溢れている。周りがラーメンだのカレーだのを食べている投稿の中で、高級ホテルのディナーがあればそれだけで目立つだろうし、購入・所持している品物でも同じことが言えるだろう。他の人が食べていないものを、持っていないものを、経験したことのないものを……有象無象の中で特別な存在となるには、より特別なアイテムが必要だ。SNSに投稿を続ける梨沙のプロフィールは、そんな特別なアイテムのオンパレードである。
 六本木のタワマンに住み、誕生日には年の数だけバラの花束をくれる東大卒高級官僚のパートナーがいて、自身はハーバード大学を卒業、高級ディナーや海外旅行は当たり前、加えてモデル並みに整った容姿。残念ながら私の周りには存在しないが、いるところにはいるのかも知れない天上人のごとき才色兼備。本当のプロフィールであれば何の問題もなかったのだが、これが埼玉県のワンルームに暮らす携帯ショップ店員、梨沙が作り上げた虚像なのだ。思いつくままに盛り続けたであろう設定はあまりにも現実離れし過ぎていて、リアリティのない(なんならハナにつく)投稿は、望むような反応を得られない。
 しかしここに、梨沙は特別なアイテム(愛犬家の皆さん、あえてこの表現をとることをお許しください)として、保護犬を登場させることを思い立つ。もちろんそれも彼女の“設定”なのだが、この保護犬さくらの登場が、梨沙の運命を大きく狂わせてゆくこととなる……。
『一億円の犬』の冒頭は、梨沙のいけ好かないSNS投稿から始まる。前述のプロフィールを活かした投稿を続けるが、残念ながら「いいね」をちっとも集められない梨沙。しかし、保護犬さくらの話題に及んだ途端、複数の「いいね」がつき、以来犬ネタは彼女のテッパンになる。私の実体験と照らし合わせても、このリアリティは半端ない。
 実はかくいう私自身、書店員の日常を綴るSNSアカウントを運用している。ありがたいことにフォロワーが一万人を超えているのだが、最初にバズったきっかけは書店ネタとは何の関係もない、自身の飼い猫の写真だった。それまで仲間内で「いいね」を送りあい、せいぜい数個の「いいね」を集めるのみだった弱小アカウントが、飼い猫の投稿で数万件のRT・いいねを集め、いわゆる万バズを経験した。それだけ動物の、特に飼育者が多く身近な存在である犬や猫の話題は共感を呼びやすいのだろう。
 もしあの時、私の主目的が同業者とのコミュニケーションではなく、とにかくSNSで有名になること・バズることであったとしたら、私は狂ったように飼い猫の写真を投稿し続けたのではないだろうか。まぁ私は、本当に猫を飼っているんですけどね。
 さて、話題を戻そう。保護犬さくらを話題にすると反応がいい。味を占めた梨沙は、SNS上で「保護犬さくら、港区女子になる!」(このタイトルセンスの絶妙さよ……)という四コマ漫画を描き始める。しかし、実際には犬を飼っていないのだから、彼女には描くべきネタもない。そこで、SNSに投稿されている「犬好きのあるあるネタ」を拾っては、四コマ漫画にして投稿してゆく。いやもう、ここまで来ると立派な才能なのではないか。その情報収集能力とプロデュース力を他のところに活かせたなら一角の人間になれそうなものだが、彼女は噓をつき通すことにのみ実直で、全力なのだ。
 なんとこの四コマ漫画に、書籍化の話が持ち上がる。
 担当編集から「先生」と呼ばれ、書籍化して人気が出れば、その収益は「一億円にもなる」とベタベタな甘言を弄される梨沙。自身が大噓つきだというのに、いやいやそんなうまい話は……とならないのが、彼女のかわいい(?)ところである。かくして梨沙は、噓を本当にするために、一億円を手にするために、架空の存在であるところのさくらを「本物」にしようとするのだ。
 その道すがら、うっかり死体を見つけたり、うっかり色んな事に巻き込まれるのだが、やはり全力で噓をつくことで、その災難を逃れようとする。奮闘する梨沙の姿は、是非本書でお楽しみいただければ。
 噓つきの描写は、作者・佐藤青南さんの真骨頂である。
 テレビドラマ化もされた「行動心理捜査官・楯岡絵麻」シリーズは、行動心理学を駆使して噓を見破る刑事・楯岡絵麻と、何とかして罪を逃れようとする噓つきな犯人たちの、静かで熱い戦いが描かれた大人気シリーズだ。シリーズは現在十作を数え、登場した噓つきたちは数十人にも及ぶ。
 時事ネタを外連味たっぷりに取り入れるのも、作者の得意とするところだ。作家の中ではいち早くYouTubeチャンネルを開設し、現役作家ならではの情報発信を続けているし、前述の「楯岡絵麻」シリーズには、“佐藤青南”という名前の「オンラインサロンで“信者”を増やす、胡散臭い作家」を登場させている作品もある。広く出版界隈に身を置くものとしては、こんな人物像書いちゃって大丈夫なんだろうかと若干ヒヤヒヤしてしまうが、こちらも記憶に残る傑作である。
 そしてこれは言うまでもないが、ものすごい愛犬家。
 作者のSNSを開けば、容易に飼い犬・アロンちゃんの投稿にたどり着けるだろうし、定期的に「犬(アロンちゃん)を囲む会」まで主催する熱の入れよう。ファンミーティングを行う作家さんは聞いたことがあるが、犬ミーティングを行う作家さんは作者以外に聞いたことがない。アロンちゃんを通して出会ったであろう様々な人々が、同出版社から刊行された前作『犬を盗む』や、本作『一億円の犬』の愛犬家描写を骨太にしている。
 噓つき×時事ネタ×犬愛が絡み合った『一億円の犬』は、そんな佐藤青南さんの集大成ともいえる作品なのだ。
 先日、書店員仲間である友人が「SNSをやる前よりも、SNSをやってからの方が売り場が派手になった」と笑っていた。SNSにおいて見てくれる人・褒めてくれる人・話題にしてくれる人の存在は、店に足を運んでくれる人同様にありがたく、その影響力は無視できないものだ。
 この相互作用は、行き過ぎない限りは「よいもの」であるけれど、いつかその手段と目的が逆転してしまう瞬間が来るのかも知れない。
 飼い猫の写真がバズって通知が止まらなかった時、見ず知らずのフォロワーさんから分不相応の誉め言葉を頂戴した時、初めてインターネットを開いた時のような、奇妙な万能感を覚えるのは何故だろう。
 少しでも自分の写真写りがいいものを投稿しようと目を皿にして選別している時、ウケを狙ってより大げさな表現を模索している時(大体スベる)……等身大の自分を投稿できないのは何故だろう。
 盛りたい、認められたい気持ちの種は確実に私にも根付いており、それは「いいね」や「シェア」の養分を得て、日々すくすくと育っている。
 稀代の嘘つき梨沙にリアリティを感じるのも、インターネットの片隅のおとぎ話より彼女を身近に感じるのも、私だけではないと信じたい。噓しかつかない女と、噓をつかない犬の出会いは、思わず「ネタにマジレス」したくなるほどの魅力が詰まっている。

本間悠(ほんま・はるか)
北海道室蘭市生まれ、佐賀県在住。2015年から書店で働き始めると、手書きPOPや装飾ディスプレイを活かした売り場づくりがSNSを通じて全国の書店員・出版関係者の間で話題となり「売り場に力を入れすぎているカリスマ書店員」としてメディアに取り上げられるようになる。現在はテレビ出演や新聞・文芸誌での連載など、幅広く本を読むことを勧める活動を行う。2023年12月からは佐賀駅に“復活”した新規書店・佐賀之書店(さがのしょてん)の店長に就任。佐賀之書店オーナーは直木賞作家である今村翔吾氏。

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