J_novel+ 実業之日本社の文芸webマガジン

昔も今も変わらぬ、経済の在るべき姿を知る時代エンタメ 細谷正充(文芸評論家)

2023年12月刊 梶よう子『商い同心 千客万来事件帖 新装版』『商い同心 人情そろばん御用帖』ブックレビュー
昔も今も変わらぬ、経済の在るべき姿を知る時代エンタメ 細谷正充(文芸評論家)

share

twitterでシェアする facebookでシェアする

 梶よう子の時代小説シリーズを愛する読者にとって、今年(二〇二三)は、驚きと喜びの年となった。なぜなら一冊で完結したと思っていた作品や、完結したと思っていたシリーズの続刊が出版されたからだ。もちろん、彰義隊を題材にした『雨露』のような、優れた歴史小説も上梓されているが、作者のファンならば、時代小説シリーズのヴィンテージ・イヤーだと思ったことだろう。

 もう少し、具体的に述べたい。二〇一四年に刊行された、『ことり屋おけい探鳥双紙』は、鳥専門のペットショップを営みながら、失踪した夫を待つ、おけいを主人公にした連作集だった。本の帯に「新・時代小説シリーズ」と書かれていたが、続刊の音沙汰もなく、一冊で完結だと思っていた。ところが今年の五月、第二弾となる『焼け野の雉』を上梓。やっと本当のシリーズとなった。ちなみにこの作品で、おけいは夫と離婚している。
 次に、今年の八月に、「摺師安次郎人情暦」シリーズの第三弾となる『こぼれ桜 摺師安次郎人情暦』を刊行。五年ぶりのシリーズ新刊だが、いつものテイストを堪能できた。さらに十月に、『江戸の空、水面の風 みとや・お瑛仕入帖』が刊行された。二〇一四年から一八年にかけて三冊が刊行された「みとや・お瑛仕入帖」シリーズの第四弾である。第三弾『はしからはしまで みとや・お瑛仕入帖』の内容から、これで完結だと思っていただけに、第四弾の刊行に仰天した。しかも、ヒロインのお瑛が結婚し、子供までいるではないか。従来の設定を発展させた、セカンド・シーズンの開幕となっているのである。
 そして今年の十二月に、『商い同心 人情そろばん御用帖』が刊行された。二〇一三年に刊行された『宝の山 商い同心お調べ帖』(文庫化に際して『商い同心 千客万来事件帖』と改題)の、なんと十年ぶりとなるシリーズ第二弾である。それに併せて文庫が、新装版として復刊されることになった。こういう出版社の心遣いは大歓迎である。

 本書には、「月刊ジェイ・ノベル」二〇一一年五月から一三年五月にかけて断続的に掲載された七作が収録されている。主人公は、北町奉行所諸色調掛同心の澤本神人だ。ちなみに諸色調掛同心とは、市中の品物の値を監視し、また幕府の許可していない出版物が出ていないか調べ、どちらも悪質な場合は奉行所にて訓諭するという役目である。このような役目の同心を主人公にした作品は珍しい。面白いところに目を付けたものだ。
 もともとは定町廻りを経て、臨時廻りを務めていた神人。しかし二年前、「お主、顔が濃い」という奉行の鶴の一言で、諸色調掛同心になった。実は神人、彫の深いイケメンであり、変装して市中を見廻る臨時廻りには向いていなかったのだ。花の三廻りから外された神人だが、生来の楽観的な性格で、さして気にしてはいない。また私生活では、身ごもっていたことを知らないまま離縁された妹が、命と引き換えに産み落とした姪の多代を育てている。その多代も、今では七歳だ。澤本家の飯炊きのおふくと共に面倒を見た甲斐があり、利発で可愛らしい少女になった。子育てにかまけていて三十を過ぎた今も独り身だが、これまたあまり気にしていない。イケメンにしてイクメンと書くと恰好よさそうだが、どうにも太平楽な男である。

 冒頭の「雪花菜」は、そんな神人のもとに、隠居した父親が廻りの小間物屋から鼈甲を高値で売られたという、商家の主人の訴えが持ち込まれる。小間物屋は若い娘で、父親が誑かされたのではないかというのだ。食いしん坊で算盤の得意な小者の庄太を連れて、さっそく一件を調べ始めた神人だが、隠居が殺され、小間物屋が下手人と目される。しかし、それに疑問を感じた彼は、独自に真相を追うのであった。
 この物語には、メインの殺人事件の他に、おからを使った稲荷鮓の屋台の話が挿入されている。無関係に見えた、ふたつのエピソードを結びつけ、急転直下の解決へと導く作者の手腕がお見事。心温まるラストも気持ちよく、連作の幕開けに相応しい内容になっている。
 続く「犬走り」では、江戸のリサイクル・ショップである献残屋を題材にしながら、金の魔力に憑かれた男の末路が語られる。最初は冷酷な商売人に見えた、献残屋の描き方も味わい深い。手にした品物に、人の想いを見るのか、それとも金銭の値段を見るのか。登場人物の対照的な価値観に、深く考えさせられる物語だ。澤本家の飼い犬になる〝くま〟を使い、テーマを明確にする小説技法も優れていた。
 単行本時の表題作の「宝の山」は、澤本家にも出入りしている、紙屑買いの三吉が、何者かに襲われる。正直者で善良な彼が、なぜ狙われたのか。三吉の職業と直結した、事件の真相が優れている。しかし、それ以上に素晴らしいのが、三吉のキャラクターだ。自分の人生を踏まえた、彼の秘めたる願い。それが明らかになったとき、胸に熱いものがこみ上げた。底抜けの善意の人を、ストレートに活写することができるのは、時代小説ならではの魅力といえよう。
 第四話「鶴と亀」は、多代の父親が登場。行方不明になった丹頂鶴が絡んだ一件で、神人に思いもよらぬ助けを求めてくる。ドメスティックな事件の真相が面白く、妹に由来する胸中のしこりが解ける展開も素晴らしい。
 第五話「幾世餅」と第六話「富士見酒」は、前後篇というべきか。獣肉を出す〝ももんじ屋〟で起きた毒殺事件と、神人の父親が追っていた贋金事件が絡み合っていく。本書の中でもっとも大きな事件であり、読みごたえは抜群だ。「鶴と亀」でちらりと登場した、ももんじ屋の女主人のお勢と神人が接近するのも、要チェックである。以上の三篇を使い、神人の私生活部分にウエイトをかけたことで、主人公側のキャラクターの造形が、より明確になった。それに従い、神人の魅力が、どんどん際立ってくる。
 たとえば神人の口癖に、「なるようにしかならねえ」というものがある。これだけを聞くと無責任なようだが、けしてそんなことはない。
「世の中はな、なるようにしかならねえ。それはてめえが起こしたことが、どんどん転がって行くってことなんだぜ。いいふうにも悪いふうにもな」(「雪花菜」)
「世の中、なるようにしかならねえ。けどな、それは手をこまねいてなにもするなということじゃねえんだ」(「富士見酒」)
 という発言を見よ。世の中には、どうにもならないことがあると承知の上で、いかに生きるかということが示されているのだ。だから納得がいかなければ激怒する。他人の命や人生のために必死になる。神人の楽観主義の裏には、熱い生き方が息づいているのである。だから彼は、こんなにも魅力的なのだ。
 そして第七話「煙に巻く」は、ミステリーの定番である某ネタを、巧みに使った好篇だ。殺人事件が起こるものの、ユーモラスな雰囲気があり、楽しく読めるようになっていた。後味よく、シリーズを締めくくってくれたのである。
 このように個々のストーリーだけでも面白いのだが、さらに全話を通じて浮上してくる、重要なポイントがある。経済の大切さだ。真っ当な商いを守り、適正価格を維持することが、人々の暮らしを、どれだけ安らかにするのか。昔も今も変わらぬ、経済の在るべき姿を知ることになるのである。現在の日本では、さまざまな形で国民の貧困が露呈するようになったが、根本原因を突き詰めていけば経済ということになろう。だから江戸の諸色調掛同心の活躍から得るものは、大きいのである。

 本作の解説が終わったところで、『商い同心 人情そろばん御用帖』についても、少し触れておこう。多代との仲は良好。今では本当の父娘みたいである。しかし、お勢との仲は進展しなかったようだ。このようなちょっとした変化の他に、新たな重要なキャラクターが登場する。先の南町奉行で、現在は小姓組番頭を勤めている跡部良弼だ。元老中の水野忠邦の実弟である。この跡部が、なにかと神人に絡んでくる。それにより前作より、神人と権力の接点が増加している。ゆえに権力者の思惑などを、否応なく知ってしまうのだ。飄々とした態度を取りながら、権力の理不尽を知れば、跡部に対しても一言いわずにはいられない主人公に共鳴してしまうのである。

 さらにいえば本書だけでなく、「ことり屋おけい探鳥双紙」「みとや・お瑛仕入帖」のように、時間を空けて再開したシリーズには、新要素を入れている。今までの愛読者を、もっと持て成そうという作者の姿勢の表れだろう。だから新鮮な気持ちで物語を楽しめる。本書を読み終わったなら、ぜひとも『商い同心 人情そろばん御用帖』も手に取ってほしい。そしてシリーズの変化と広がりを、堪能してもらいたいのである。

*本稿は『商い同心 千客万来事件帖 新装版』巻末解説を再録したものです。

関連作品