1月の新刊『幕末愚連隊』によせて
ならず者たちの幕末 幡 大介
ジェイ・ノベルをご覧の皆様、初めまして。幡大介と申します。このたび株式会社実業之日本社から、こともあろうに歴史小説を出版する運びとなりましたので、ここにご報告、ご挨拶をさせていただきます。
わたしは近年、ノリと内容がフニャフニャした時代小説や、時代小説のふりをしたバカミスなんぞを書いておりました。ハードな小説はあまり書かないのですが(執筆依頼がない)、ここにきて突然に幕末・戊辰(ぼしん)戦争をテーマにした小説執筆であります。しかもハードカバーの単行本です。ハードです。硬すぎます。いったいどうしたことでございましょうか。
幕末・戊辰戦争は、歴史愛好家にとってはいたく関心を惹かれるテーマであり、膨大な数の書籍が書店の棚を賑わわせております。
そんな強豪小説がひしめき合い、読み巧者にして知識豊富な読者様が待ち構えている所へ突っ込んでいくのですから、わたしに原稿を依頼した実業之日本社は度胸があります。「状況をちゃんと飲みこんでいるのか?」と小一時間みっちりと問い詰めたい心地でもあります。
でも書いちゃったんだから仕方がない。
およそ幕末を描いた小説・ドラマ・映画といえば、草莽(そうもう)の志士たちが大志を抱いて奮闘、努力、大活躍して、新しい時代を切り拓く、という流れで話が進んでいきます。あらやだ、カッコイイ。
一方で昨今は、新撰組ですとか、会津藩ですとか、悲劇的な最期を迎えた人々に共感する向きもあります。
物語はあくまでもフィクションですから、日本人に好まれるように『勧善懲悪』で作られます。かつては薩長が正義で、佐幕は悪。鞍馬天狗は桂小五郎を助けて〝悪の軍団〟の新撰組や会津藩と戦いました。近ごろでは立場が逆転して、会津の正義とやらが冷酷非道な薩摩長州に立ち向かうことが多いようです。
どっちにしろフィクションです。〝主人公が巨大な悪と戦う話〟にすれば読者が手を叩いて喜ぶだろう、という魂胆があって、そういうふうに描いているのです。
悪者にされる側はたまったもんじゃありませんな。
善玉と悪玉とにクッキリ色分けされた話を読んだり、テレビ・映画で見たりしているうちに、歴史の事件がテーマであったはずなのに、かえって歴史の真実から遠ざけられてしまうこともある。ですから我々、物語の送り手側は「この事件は視点を変えれば、まったく別の様相を露わにするのだよ」と言って、いくらでも新機軸の物語を造ることができるわけです。
戊辰戦争において、北関東と新潟県は戦場になりました。この地で暮らしていた人たちにとってみれば、「勤皇でも佐幕でも会津の正義でもなんでもいいけど、戦争は余所でやってくれよ」と言いたい気分であったことでしょう。会津の悲劇は会津藩の自業自得ですが、北関東や越後の悲劇は、余所から来た連中が勝手に引き起こしたことです。会津藩なんぞは迷惑の筆頭です。というわけで『会津の正義』『会津の悲劇』の別の側面を書いてみたわけです。
会津の領民たちですら、戦争をやめようとしない武士たちに立腹して、会津松平家を敵に回す選択をしました。領民に見捨てられた会津藩士はいよいよもって孤立します。
その有り様を目にした土佐藩の板垣退助は、のちに自由民権運動を主導します。会津の百姓町人たちこそが日本の民主主義の嚆矢(こうし)であったわけで、そろそろ会津市民の皆さんも、白虎(びゃっこ)隊の子孫なんぞを気取るのはやめにして、本当の御先祖様の成し遂げた偉大な業績に気づいていただきたい、と思います。
そんな思いを籠めたり、籠めなかったりしながら書きました。なにとぞ、ご一読賜りたく、よろしくお願い申し上げます。
※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2015年2月号掲載記事を転載したものです。