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〈そのもの〉として描かれた景色が、普遍の時間へと回帰していく瞬間  辻山良雄(荻窪Title)

2024年8月の新刊 岡野大嗣著『うたたねの地図 百年の夏休み』ブックレビュー
〈そのもの〉として描かれた景色が、普遍の時間へと回帰していく瞬間 辻山良雄(荻窪Title)

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 数ある季節のなかでも、あらゆる生命が躍動する、夏だけが呼び起こす感情がある。ちりちり焦げつきそうな日差しを肌に感じ、光と影とが織りなす強いコントラストを目にすると、思いはいつの間にか、かつての夏をさまよっている。

 『うたたねの地図 百年の夏休み』は、そうした何か思わずにはいられないこの季節が、短歌と散文で書き留められた一冊だ。ありふれた風景のなかに忍びこんだ夏を、岡野さんはそれがいつかは過ぎ去ってしまうものであることを知りながら、さりげない手つきで、惜しむように書く。
 たとえば銀行の待合室。先ほどまで隣にいた子どもは、窓辺でウォータークーラーを抱きしめている。書き手である(わたし)は、通帳入れのビニールケースを見ながら、買い換えてもらえなかったプールバッグの感触を思い出し、サマーニットを羽織ろうとした瞬間、昔の出来事が脳裏によみがえった。

 「夏はそういうことがよく起こるから長く生きるほどにさみしい季節になることと……」

 本書ではこうした「郷愁」の気配が濃厚で、ブラジル人であれば、それをサウダージとでも呼ぶのかもしれない。それは永遠につながる瞬間だが、決してこの手では掴めないものだから、かえってさみしくなるのだろう。そうした引き裂かれた感情をやり過ごすとき、人は歌を必要とする。


 抱きしめて浴びるウォータークーラーにつまさき立ちで夏の呼吸を

 プールバッグ連れて映画館にゆけばプールバッグをこぼれるひかり

 空港を思うときまず窓のこと 次に光の骨格のこと


 岡野さんの短歌では、見たものが足しも引きもされず、見たままに詠まれる。歌を詠んだとき、そこに存在していたはずの詩情は慎重に蓋をされ、前景だけが目の前に広がる。その姿勢はストイックとでも呼べそうなものだが、〈そのもの〉として描かれた景色が、普遍の時間へと回帰していく瞬間を、わたしたちは歌にふれたそばから感じ取っている。
 それは歌を味わうときのよろこびのひとつ。放っておけばそのまま流れてしまう景色を、岡野さんはひとつひとつ、集めて回っているのかもしれない。


 「うたたねの地図」は架空の街が舞台で、街の様々な場所の様子が、散文で少しずつ描写される。それは景色の収集家としての岡野さんらしい題材でもあるが、街だからその中に多くの人生の断片を含み、その世界観にまるごと包まれる多幸感がある。
 でもそれは、どこか特別な場所――詩的ユートピア――などではない。
 本書の最後には歌の《たね》が、エンドロールのように記されるが、いずれも「ガソリンスタンド」「コインランドリー」「立体駐車場」といった、どの街にもありそうな、ありふれた景色ばかり。それがいまを生きる歌人の原風景で、人は何にでも詩情を見つけずにはいられない生きものなのだ。

 この本を携え、あなたのいつもの景色に、終わらない夏を見つけていただきたい。

イラストレーション/中村一般

辻山良雄(つじやま・よしお)
Title 店主。1972 年、兵庫県生まれ。大手書店チェーン「リブロ」勤務を経て、2016 年1 月、東京・荻窪に新刊書店「Title」を開業。著書に『本屋、はじめました』(苦楽堂、増補版はちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚 新刊書店Title の日常』(幻冬舎)、nakaban との共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。今年6月には『しぶとい十人の本屋―生きる手ごたえのある仕事をする―』(朝日出版社)を上梓。

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