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あとがきの代わりに

24年9月新刊 三秋縋『さくらのまち』刊行記念エッセイ
あとがきの代わりに

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 記憶力には自信がないが、これまでに手がけた物語が生まれた瞬間のことは、不思議とはっきり覚えている。ある作品は駅の喫茶店でぼんやりコーヒーを飲んでいたときに生まれたし、ある作品は花見に行く途中で立ち寄った公園のベンチで生まれた。ある作品は信号待ちの最中に生まれ、ある作品は湯船でじっくり自分と向き合った末に生まれた。ある作品は、漫然と車を走らせていたときに見かけた「さくらタウン」の看板から生まれた。その看板を見たとき、住民全員がサクラの町を自然に連想した。車を停めて、しばらくその想像と戯れた。自分以外の全員が演技をしている町。善意も好意も何もかもがつくりものの町。
 もちろんそういう作品にはいくらでも前例がある。僕自身、自分なりの『トゥルーマン・ショー』を書こうと試みたことはこれまでにも何度かあった。しかしそれらが形になることは一度もなかった。演じられた世界、というアイディア単体には物語を最後まで牽引するだけの力は案外ない(これはあらゆるアイディアに言えることだ。一見魅力的なアイディアでも、それ単体で魅力的な物語にまで育つことは滅多にない)。
 でも「さくらのまち」という言葉とトゥルーマン・ショー的シチュエーションが頭の中で混じり合ったとき、自分がその物語を最後まで書き切れるだろうという確信が湧いていた。良い形の容れ物は、その中身の形まで決めてしまうものなのだ。
 サクラというものの在り方には以前から関心があった。「結婚式の友人代行」みたいな言葉の響きに、たまらなく惹かれていた。そこには僕がもっとも恐れているタイプの空しさがあって、だからこそ目が離せなかった。ある種の恐怖に打ち勝つには、その恐怖を飲み込んだ上で自分が問題なくやっていけると証明する必要がある。たとえば小説家は、書くことによってそれを達成しようとする。ある恐怖を題材にして好ましい物語を組み立てることができれば、それは恐怖への部分的勝利に繋がる。だから僕は自分の恐れるものを積極的に物語に組み込んでいくようにしている。
 小説家になって十年が過ぎたけれど、未だに自分の本が書店に並んでいることにちょっと違和感がある。これは壮大な「ドッキリ」なのではないか、本当は自分の書いたものに商品となるだけの価値なんてないのに、心優しい誰かが僕を生きながらえさせるために特別扱いしてくれているだけなのではないか、といった不安が一瞬頭をよぎる。ネットの好意的なレビューも、実際に会った人々からの褒め言葉も、何か裏があるように感じてしまう。もちろん心の底からそう思っているわけではなく、たまにそんな気がするという程度の話ではあるけれど。
 こういう気持ちがちょっとでもわかる人なら、本作の主人公には自然に感情移入できると思う。その種の恐怖が現実のものとなったとき、僕たちはどのような傷を受けるのか? その傷はどのようにして癒やされていくのか? 「さくらのまち」は、それを知るために築かれた町だ。

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