桜木紫乃『青い絵本』刊行記念インタビュー
「背負ったものを置いて、ちょっと気が楽に。この本がそんな場所になればいいなと思います」
作家、編集者、書店員……さまざまな形で絵本に関わる人たちが、絵本を通じて過去と対話し再生する姿を静謐な筆致で紡ぎ出した、最新短編集『青い絵本』。桜木紫乃さんご自身の絵本への思いや絵本体験などをうかがいながら、本書の魅力に迫ります。
文・構成/三浦天紗子 写真/泉山美代子
Q:『青い絵本』、人生の節目や終わりを意識せざるをなくなった登場人物たちが、静かに抑え込んできた悲しみや憤りを、痛みを伴いながらも開放して、明るい方に向かって歩み出すさまを描いたオムニバス作品集ですね。とても面白かったです。
桜木:ありがとうございます。実は関係者以外の感想を聞くのがきょう初めてで、ドキドキしています。というのも、私は女でも男でもひとりで生きていけるのが人としての美しさだと言ってきて、これまでずっとそういうお話を書いてきたつもりなんですが、今回はどれも二人とか二・五人とかになる話なんですよね。本が書店に並ぶ前の時期なのでとりわけナーバス状態で、「桜木紫乃的に変じゃない?」と担当編集さんに詰め寄っては困らせたりしているタイミングなので……。
Q:いえ、変だなんてことはないです。でも桜木さんの作品集としてはやり切れなさが薄いというか、小さな希望を感じる短編揃いで、心洗われる気持ちで読めました。
驚いたのが、五つの短編すべてに作中作として、桜木さん作の「架空の絵本」が織り込まれていたことです。絵本をモチーフにするにしても、すでにある絵本ではなくてすべてオリジナルで書くというひと作業が加わっているわけですよね。なんて大変な挑戦をなさったのかと感服しました。
桜木:既存の作品を入れると著作権の関係でいろいろと面倒くさいので、「いっそ自分で書いてしまえ」というのはよくやるんです。歌詞も書いたりしますし、作中に歌を入れるときも自作してしまう方で。今回も、書いているときは楽しかったんです。小説の可能性として、中にもう一冊、本があるというのはそそられるし、「この絵本を読んでみたい」と思った誰かが本当に検索してくれたらいいな、と思っていました。
Q:私、まさに最初、あれこれインターネットで調べたんです。
桜木:ほんとに? うれしいな。
Q:本書には五編が収録されていますが、最初の「卒婚旅行」に出てくる絵本がサット・ハミルトンの『ほら、みて』ですよね。なんだろう、こういう有名な絵本があるのかな、作家がいるのかなと検索したら……。
桜木:出ないでしょう。最初、その短編は文藝春秋のアンソロジーに載ったのですが、校閲の人もみんな探したと聞いて、NHKのど自慢大会の合格の鐘の音がカンカンと脳内で鳴り響いたような気分でした。やったーと。サット・ハミルトンは、「釧路川音頭」を歌っている佐藤晴美さんが外国人になりすますときに使う別名なんです。FMくしろのリスナーならピンとくると思いますが、もちろん絵本作家のサット・ハミルトンは実在しません。
Q:そう言えば、「卒婚旅行」の語り手は〈晴美〉なんですね。晴美は絵本セラピストの資格を取って、すれ違っている夫と卒婚したいと考えているわけですが……。その「絵本セラピスト」というのも、架空の仕事なのかなと思ってリサーチしました。
桜木:実際にあるんですよ。フリーアナウンサーの大津洋子さんという方のある宣言がきっかけで知ったんです。彼女が「六十を境に、私、絵本セラピストになるから!」と宣言して実行なさった。いまは私のトークイベントのときにMCをお願いしていますが、基本、絵本セラピストです。
何か不思議なご縁で回っているなと思っていた矢先に、児童書の分野で何か書いてみませんかというお話が来て、それで絵本『いつかあなたをわすれても』を書いたんです。ちょうど認知症になった母との関わりから『家族じまい』という小説を書いた後で、そのふたつの作品がいい補完関係になっている気がします。
そんなこんなで、数年の間に急激に絵本との距離が縮まったんですね。そうでなければ、私もここまで絵本に興味を持つということはなかったと思います。
どの作品にも、こんな絵本を求めていると思う女性が出てくる
Q:ところで、桜木さんの絵本体験もうかがってみたいのですが。
桜木:子どもに本を読むような余裕のある両親ではなかったので、そういう記憶は一切ないんです。自分が子育てするようになって、周りのお母さんたちも読んであげているようだし、近所にたくさん絵本をくださる方もいて、時間があるからやってみようくらいの気持ちでした。ただ、子どもは何度も同じ本を読んでとせがむので、私が飽きるんですよね。それで、創作方向に入っていきました。桃太郎の果物を変えていくシリーズは好評でしたね。
Q:桃じゃない果物が流れてくるんですか。
桜木:いろいろなバージョンでやりましたが、パイナップル太郎がいちばん子どもたちには印象深かったみたいですね。桃と違って割りにくくて、頑ななものがある、というストーリーだった気がします。
Q:すでに児童書作家の片鱗が垣間見えます。翻って本書では、絵本のストーリーを作っていたら、それをめぐる小説部分ができてきたという感じなのですか。それとも、物語のヒロイン像を考えているうちに、絵本の物語が生まれてきたのでしょうか。
桜木:今回は、どうも、核になる絵本の存在が先にあったような気がするんですよね。まだその絵本自体はこの世にはないんだけれど、こんなイメージで、こんなタイトルで……というのは浮かんでいました。なので絵本にまつわる人間関係をその周りにさがしていく感じ。絵本をあんことすれば、そこに形良く皮をくるんでおまんじゅうにするような作業だった気がします。
特に、「鍵 key」という作品ではそうでした。この短編の中の絵本は、絵本セラピストの大津さんから聞いた構想がもとになってるんです。「私、いつか読んでみたい絵本があって。でもなかなか自分ではできないの」と言うので、「それ、私が短編で書いてもいいかな」と許可をもらって、同名の作中作として使わせてもらったんです。あの扉の鍵は手元にあるから、いつ開けてもいいですよ、開けても開けなくても自由ですよ、というメッセージも、彼女は「セラピーのとき、こんな本があればいいな」とずっと思っていたんですって。私自身は、もしそんな絵本があるなら、その扉の鍵を開くのはどんな人がふさわしいのかなと考えましたし、それこそこういう本を欲してる人ってどんな人なんだろうと、「人探し」をしながら書き上げた気がします。
Q:その作品解題、すごく面白いですね。
桜木:私の場合、いつも実際に書いてみるまで、次の行に何が出てくるのかわからないんですよね。このときも、一行目を書き出したときは、自死した男の妻の視点で書いているなんて思わなかったんです。語り手である寿々が書店最後の客として『鍵 key』という絵本を買うところから物語は始まるんですが、なぜ彼女は最後にその本を選んだのだろう、彼女はどんな人なんだろう、と手探りで書いていくうちに、寿々が書店員である理由も、亡夫の担当者だった編集者やひとりで育てた息子への思いも少しずつ見えてきたんですね。私自身が「なるほど、そうだったんですか」となるんです。
書きながら少しずつ、登場人物たちと知り合っていく感覚がある。
Q:桜木さんご自身が執筆者であり、読者なんですね。読者も一行ずつ理解していくので。
桜木:そうですね。私もそうやって登場人物たちと知り合ってく感じです。
Q:それで結構、忘れがたい人物が出てきて、違う作品にも登場させたりするのですか。
桜木:今回、実は編集者から提案されて思い出した感じです。次から次へと登場人物を作っているので、「あの人はどうしているんでしょう」と思い出させてもらって、「久しぶりに会いたいよね」なんて言って、再登場してもらうことになりました。
「いつもどおり」に出てくる編集者の小川乙三も、最初に出したのは『砂上』という本です。書き手をやる気にさせるためならウソも厭わない冷酷非情な文芸編集者で、作家志望のヒロインを追い詰める。久しぶりに会ってみたら、小川乙三もちゃんと10年積み上げて、失ったり得たりしているわけで。面白いなと思うんですね。
「なにもない一日」に出てくるやや子も『星々たち』のやや子のその後です。書きながら消息を知っていくんです。
Q:表題作「青い絵本」の美弥子と、一時だけ義理の母になった好子との関係も、ステキなシスターフッドの物語ですよね。何十年もふたりの縁が続いています。
桜木:あれは本当に北海道的というか、親や家や家紋や墓……そういうものと縁の薄い土地ならではの話かもしれません。開拓者たちがどこよりも早く核家族の歴史を持ったこととも関係があると思うのですが、親や血縁に固執しないというか。生んでくれた親も大事なんだけれども、後天的に自分に生き方を教えてくれた人もまた親として慕うような感覚が、根っこにあるのだと感じます。
Q:桜木紫乃作品に共通するテーマは、本書にも変わらず感じました。
桜木:ついさっきこの本のポップの言葉を考えたんです。同じ担当と組んだ『星々たち』では、帯文を〈痛みの置き場所を届けたい〉にしたので、その本歌取りじゃないけれど呼応するようなのがいいなと思って、〈孤独の置き場所、ここにあります〉にしたんです。背負ってると重たいものも、ちょっと置く場所があると気が楽だろうなと。多くのみなさんに手に取ってもらえるといいなと思います。
(2024年10月 東京都内にて)
●プロフィール
さくらぎ・しの
1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」でオール讀物新人賞を受賞。07年同作を収めた『氷平線』で単行本デビュー。13年『ラブレス』で島清恋愛文学賞、『ホテルローヤル』で直木三十五賞、20年『家族じまい』で中央公論文芸賞を受賞。ほかに『起終点駅(ターミナル)』『ブルース』『裸の華』『緋の河』『砂上』『ヒロイン』『谷から来た女』、絵本『いつか あなたを わすれても』(オザワミカ・絵)写真絵本『彼女たち』(中川正子・写真)など多数の著作がある。