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小説がうまれた日

『嵐をこえて会いに行く』刊行記念対談 彩瀬まる×櫻井美怜
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彩瀬まるさんの東北を舞台にした連作短編集『嵐をこえて会いに行く』が、このたび刊行になりました。この小説の誕生に深く関わっている、青森県八戸市の書店・成田本店みなと高台店にお勤めの櫻井美怜さんと彩瀬さんの対談をお届けします。
撮影/泉山美代子 対談まとめ/編集部

●書店のバックヤードでの雑談から

――『桜の下で待っている』の文庫版が刊行された2018年に、青森県・八戸のお店にお邪魔しました。

櫻井:彩瀬さんは以前から好きな作家さんで、今回は東北が舞台の小説ということもあり、『桜の下~』は店頭でも大展開していました。

彩瀬:お店の事務所で櫻井さんから「続編が出るなら八戸を舞台にしてほしい」と言われて。『桜の下~』は、東北新幹線に乗って東京からふるさとに向けて北上する人々を描いたのですが、八戸は登場していませんでした。

櫻井:表紙はこうしよう、とかあれこれアイデアが出て盛り上がりましたよね!

彩瀬:『雪が溶けたら迎えに行くよ』とタイトルまで決まって(笑)。その後紆余曲折を経て、「コロナという大変な時期を乗り越えて、人に会いに行く物語」というコンセプトで『嵐をこえて会いに行く』というタイトルになりました。単発の作品を書いてきた私にとっては初めての姉妹編です。

櫻井:彩瀬さんがお店に来てくださったのが2018年2月9日。スマホに写真が残っていました。当時は、まさか世の中がこんなに変わるとは思いもよりませんでした。

――『桜の下で待っている』は、単行本も文庫もよく売れてすぐに姉妹編の執筆をご依頼したのですが、2020年からコロナが蔓延し、気軽に地方取材に行けなくなってしまいました。

彩瀬:1~2年は執筆を延期し、ようやく出せることができました。

成田本店みなと高台店の『嵐をこえて会いに行く』の展開(櫻井さん提供)

●ウミネコとの異色のラブストーリー

――八戸が舞台になったのは、第2話の「遠まわり」。八戸に住む恋人を訪ねる男性の物語です。お読みになっていかがでしたか?

櫻井:こうくるとは! という驚きがまずありました。導入部分では、ほろりとするような人情ものなのかな? という予感がしたのですが、ウミネコに生まれ変わる物語で。そして、とにかく、ラストが良かった! 泣きました。ゲラで読ませていただいているので、ストーリーはわかっているはずなんですが、完成した本を再読したら、物語に没入して、知っているはずの筋書きが頭から抜けてしまったんですね。ラストで「ああ、そうだったのか!」とまた泣いて。

彩瀬:そうおっしゃっていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

櫻井:それにしても、全体のなかで「遠まわり」だけ異色ですよね?

彩瀬:短編集の場合、1編は幻想的だったり、「今ここの現実」から大きく意識を離すようなものを入れよう、という気持ちがいつもあります。今回、東北のいろんな土地に取材に行くなかで、八戸の蕪嶋神社の非日常感が際立っていて。ここを舞台に、ウミネコと大恋愛をするお話を書くしかない! と決めました。

櫻井:愛の物語でしたね。

――「遠まわり」は櫻井さんに南部弁の方言監修もしていただきました。

櫻井:私は福島出身でネイティブではないので、お店のスタッフにも見てもらいました。語尾の微妙な感じとか、迷ったので。

彩瀬:一人称の「私」が「わ」になるんですよね。方言はいいなぁ、と改めて思いました。監修していただいたおかげで、地元のおじさん同士がリラックスして話しているような、いい空気感が出たと思います。おじさんがウミネコを励ます声も、監修いただいたことで血の通ったセリフになりました。「まんずすごいな、こったら狭え場所でよく育てきった!」と。

櫻井:八戸に限らず、すべての土地に足を運んで丁寧に取材されたことが、伝わってきました。函館、八戸、盛岡、仙台……。八戸に住んでいるとどうしても、東北の他の都市は通過することが多くなってしまうのですが、遊びに行ってみたくなりました。

彩瀬:日本の地方にもいろいろな魅力的な場所がある、と伝えられたらうれしいです。

●作家としてのあたらしい挑戦

――彩瀬さん、今回の短編集ではいくつか新たな挑戦をされています。

彩瀬:はい、たとえば「あたたかな地層」は、小説のなかにもうひとつ別の小説を入れ込む、いわゆる「作中作」を試みました。

櫻井:ああ、あの作中作、すごくいいですよね! この続きが読みたい~! ってなりましたもん。主人公である作家は、敬愛していた先輩作家を亡くしている。そして取材帰りに盛岡に降り立つというお話ですよね。

彩瀬:作家が一人夭折するということは、その人の小説の続きを読めなくなるということ。悔しさと、それが人生なんだということを描きたくて。盛岡はカフェ文化が根づいていて、歩き回るのにとてもいい街でした。そこで色々考えているうちに主人公像が浮かびました。作中作のようなあやしくて胡乱な物語は、書いていて楽しかったです(笑)。

櫻井:いいですよね。どちらかというと「黒彩瀬」でしょうか。幻想的で、どこかダークな長編も是非読んでみたいです。

――もうひとつ、最終話の「風になる」は女性の国会議員が主人公です。政治の世界を描いたのも初めてですよね。

彩瀬:第1話「ひとひらの羽」は友達、第2話「遠まわり」は恋人、第3話「あたたかな地層」は仕事、第4話「花をつらねて」は家族、と話が進むごとに関係性が深くなる構成にしました。これらの関係性すべてに影響を与えているのが政治だと思ったのです。私たちが安心して「未来に良いことがある」と信じていけるかどうか。政治は私たちの生活と地続きだということを痛感させられたのがコロナ禍でした。政府が打ち出す感染対策は、そのまま自分たちの生命にも直結していました。この連作短編集を締めくくるのは、政治の話にしよう、というのは第1話の執筆前から構想していました。

――主人公の女性は、急死した衆議院議員の父親の地盤を引き継ぐ形で、選挙に立候補します。そして夫は、妻と幼い子どもを守るために新聞記者の仕事を辞める。夫の葛藤も描かれていました。

彩瀬:政治家は24時間政治をやっているイメージがありますが、そのイメージが更新されていくといいな、という思いもありました。国会議員がどんな思いでどんな生活をしているのかをリアルに描くために、政策秘書をしていた方にも取材しました。

櫻井:なるほど、政治に関する話が入っていたのは、そういう意図があったのですね。政治家もひとりの妻であり、お母さんとしての生活があることがリアルに描かれていましたね。

彩瀬:一般文芸は、社会の映し鏡ではあるのですが、わかりやすく接続しているものでもないですよね。ダイレクトに書き過ぎるとノンフィクションの領域になってしまう。でも、政治や社会問題はもっと小説に書かれていいと思います。『嵐をこえて会いに行く』では、政治が機能するかどうかが、第1~4話で育まれている人々の生活や、関係性すべてに影響をおよぼすんだ、ということを意識していました。

●色々な生き方に寄り添える小説を

――少し話が変わりますが、本作のゲラを読んだ編集部の者から「どの物語も男女の役割が従来とは逆転しているように見えて、自分の価値観が問われている気がした」という感想がありました。

彩瀬:そうなんですね。確かにエンタメ小説は、登場人物を定型的な女性像、男性像に設定した方が、物語がわかりやすくなるという面はありますよね。ただ、「夫に付き従っていく」というような定型的な女性像は、今わざわざ書かなくてもいいような気がします。実際に身近な女性たちを見回してみても、定型的な考え方、生き方をしているわけではないので。

櫻井:「遠まわり」は、自分が本当にやりたいことを求めて遠くに行ってしまった彼女に、彼の方が会いに行くストーリーでした。確かに少し前なら設定が逆だったかもしれませんね。

彩瀬:主人公の男性のように、自分や相手がどんな性質をしているかを理解して柔軟な選択をできるのは、かっこいいですよね。フィクションであるからこそ、小説は人々の在り方を現実よりさらに狭く描くのではなく、むしろ広げていくことを応援するものであってほしいと願っています。
 同時に、私の小説は、エンタメとしてわかりやすいとは言えず、読者の方がかみ砕いて読んでくださっているのだろうと想像します。ですので、読者の方にはちょっと申し訳ない気持ちをいつも抱いています。

●嵐が吹き荒れるような世界でも

――『桜の下で待っている』が刊行されたのが2015年。姉妹編である『嵐をこえて会いに行く』が刊行されたのが2025年。10年経ちました。

櫻井:震災、コロナを経て、大きく世の中が変わりましたよね。いま彩瀬さんの話をうかがっていて、小説にできることって、もっとあるんじゃないかなと思いました。世の中に対してまだまだ色々なアプローチができるんじゃないかなって。

彩瀬:『桜の下で待っている』を書き始めたのは、東日本大震災の直後でした。当時は、つらいことがあったからこそ楽しいことをしたいという思いがあった。くしくも、『嵐をこえて会いに行く』もコロナ禍の影響を大きく受けた作品になりました。「桜」より「嵐」の方が、私が年齢を重ねたせいか、「人生にはいろいろなことがある」という前提に立っているような気がしますね。国際情勢も日々変化しています。大きな嵐が吹き荒れているような環境で、個人としてどう尊厳を守りながら生きていくか。そう考えるようになった10年でした。

櫻井:読み終わったあと、前を向いていけるようなまなざしが、この2冊の共通点でもありますね。

彩瀬:ありがとうございます。書店員である櫻井さんの先に、読者さんがいてくれるので、そうおっしゃっていただけて励みになります。この先にどんなことがあっても、前を向いていけるような小説を書いていこうと思いました。

櫻井:昨日も、男性のお客さんが『嵐をこえて会いに行く』を買っていかれました。レジ打ちしながら声をかけようか迷いながら、そっと手渡しました。楽しんでいただけるといいですね。

(2025年2月 オンラインにて実施)

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