2月の文庫新刊『からくり探偵・百栗柿三郎』刊行に寄せて
大正ミステリーの醍醐味 伽古屋圭市
「舞台を大正時代にしてみませんか」
前作『帝都探偵 謎解け乙女』の企画を出したとき、担当編集者からそんな提案をいただいた。瞬間「あ、それいい!」と思った。最後のピースが埋まったことを直感した。
特に大正時代が好きだったわけではない。思い入れもなかった。おそらく普通の人より知識も興味もなかったように思う。それゆえ提案を受け、近代の日本の姿を様々な媒体であらためて勉強した。
目から鱗の連続だった。こんなに精神的にも物質的にも豊かな時代だったのかと。僕がアホなだけかもしれないけれど、第二次世界大戦における暗く貧しく荒んだ時代に上書きされて、どうしても「近代=不憫な時代」という印象を強く抱いてしまっていた。それだけに大正時代の物心両面で豊かで大らかな生活は、知れば知るほど新鮮だったのである。科学技術やインフラなども、漠然と抱いていた印象よりずいぶんと進んでいた。
考え方や雰囲気なども現代に驚くほど似ていたりする。ただし、当然のように大きな隔たりもある。現代人からすると「ありえねー」ことがいっぱいだ。
似ているようで似ていない、似て非なる世界。学びながらそれは純粋におもしろかったし、この感覚を大事にして書いていけば、読者も楽しんでくれるはずだと確信が持てた。
おかげさまで先の作品は好評を博し、各方面で評価もしていただけた。そうして今回、同じく大正時代を舞台にした『からくり探偵・百栗柿三郎』へと繋がった。
現代人にとって大正という時代は、やはり一種のファンタジー世界だと思えるのだ。たとえばシャーロック・ホームズのような古式ゆかしい探偵小説は、現代を舞台には描きにくくなっている。無理やりやれば、悲しいかなコメディになってしまう恐れがある。しかし大正の世なら、この愛すべき「探偵」が違和感なく馴染んでくれるのだ。大正恐るべし、である。
また、推理小説の観点からすると、最新の科学技術はともすれば無粋な舞台装置になってしまうことがある。コンピュータをはじめとしたITや、全国を覆い尽くす情報ネットワークもしかりだ。便利すぎて、万能すぎて、物語に余白が生まれにくい。
大正時代は言うまでもなく、DNA鑑定もNシステムも存在しなかった。ネットや携帯電話はもちろん、ビデオカメラもなく、気軽に写真も撮れなかった。
その一方で意外にも、指紋を使った捜査は明治末期から、警察犬は大正のはじめから日本でも実用化されている。まさに科学捜査が産声を上げはじめた時代でもあったのだ。
どうせ描くなら、この時代でなければ成立し得ない事件を描きたかった。この時代ならではの探偵像を創り出したかった。そこで化学実験を趣味とするホームズよろしく、今作の主人公は「発明家」という変わり者にした。おかしな発明に精を出しつつ、科学の知識に精通し、指紋の検出など最先端の捜査を駆使したりする。
明確にホームズ風を目指したわけではないけれど、現代的なエッセンスも交えつつ、懐かしくも新しい探偵小説が書けたのではないかと自負している。せっかくこんなに楽しい遊び場を見つけたのだから、まだまだ大正を舞台に遊んでいきたいとも思っている。
多くの読者もいっしょに遊んでくだされば、幸いである。