産科の現実を物語に託して。
藤岡陽子『闇から届く命』刊行記念インタビュー
医療の現場で働く人たちの姿をリアルに描いてきた藤岡陽子さん。今回の舞台は産婦人科の個人病院。ミステリーやサスペンス要素を織り交ぜた新境地の作品に迫ります。
構成/神田法子 撮影/大崎 聡
助産師の親友の体験をモチーフに
──物語はある産婦人科病院の描写から始まります。慌ただしい中から浮かび上がる人間模様やドラマに引き込まれます。
藤岡:助産師の親友とよく仕事の話をするのですが、彼女の話を元に産婦人科が舞台の小説を書きたいと考えたんです。病院の規模、助産師や看護師の配置などは、友人の勤める病院がモデルとなっています。たくさんの人員を配置できて余裕をもって回っている大病院と違い、個人病院では助産師も数が足りず、みんなギリギリで回しているという状況を、リアルに出したかったんです。
──院長や師長といった登場人物も、実在のモデルがいるのでしょうか。
藤岡:もちろんそのままではありませんが、参考にした人物はいます。お金儲けに走る院長や、師長とは名ばかりで部下を守ってくれない上司というのは、友人の病院に限らず現実的によくある話です。取材に基づいて人物像を作っていきました。
──主人公のキャラクター作りはどこに重きを置きましたか。
藤岡:主人公、二十代の助産師・有田美歩の人物像は、未完成さをポイントに設定しました。強い意志をもって助産師という職業に就いたものの、技術的にはまだ未熟なところがあり、病院の運営や上司のことで悩むこともある中で、成長していく姿を描きたいと考えました。
──先輩の助産師たちもみんな個性的に描かれています。一風変わった経歴を経て助産師になった人物も登場しますね。
藤岡:病院での人間関係のディテールは、私自身が実際に看護師として働いてきた経験にも基づいています。それぞれ目的意識があって、使命感を強く持って仕事をしている方が多いです。自然と個性豊かになるのでしょうね。バラバラの価値観を持ちつつもみんなで協力して命を守っていく職場なので、衝突もありますが、信頼関係や絆も必ずあるのがこの現場の特徴だと思います。尊敬できる先輩を目標にして、日々の仕事をクリアしていくのはどの職業にも通じる部分でしょうか。
──書きながら楽しかった人物はいますか。
藤岡:辻門さんという、日本の病院で働きながら、定期的にマラウイなど海外で助産師をしているキャラクターです。知人に同じような活動をしている助産師さんがいるんです。日本の恵まれた医療に比べ、アフリカでは衛生面ひとつとっても全然違うんですね。お産のために十時間もかけて舟に乗っていくのも実話らしいです(笑)。日本の常識とは異なる発展途上国の厳しさの中で、どこか大らかさもある命の扱いについて描くことができました。
──産婦人科での現在進行形の問題として、出生前診断の話題が出てきます。
藤岡:一昨年の四月から、認定された施設での血液検査による出生前診断が始まりました。染色体異常の有無を確定する検査はこれまで母体へのリスクが高かったのですが、血液検査によってその負担が大幅に軽減されました。受診者が一気に増えたそうです。現場もかなり混乱したと聞きましたし、産婦人科医療のいまを描くには欠かせないと感じ、テーマの一つとして盛り込みました。 出生前診断を受けることがいいとか悪いとか、単純に答えが出せるものではありません。でも、リスクが低くなり一般的になることによって、本来ならば生まれていたかもしれない命を諦めるケースが増えていくかもしれません。命についてどのように考えるべきかを、作品を書きながら私自身の中で見つめ直しました。
──高齢出産の問題も深く関わってきますね。
藤岡:女性の社会進出によって晩婚化が進み、高齢出産は確実に増えています。高齢出産で実際にぶつかる壁についても取り上げたくて、長く不妊治療を続けている夫婦を通して、彼らに生じる悩みや迷いを描きました。 この小説は、正しい答えを導き出すものでも、私自身のメッセージを打ち出すものでもなく、現場の取材で目の前にした現実と、そこで自分が感じたことを描いたものなんです。
ミステリー的な展開で読者を引き込む
──本作で印象的なのは、ストーリーの中に巧みにミステリー的な展開が組み入れられているところです。ここまでミステリーやサスペンス的な要素を濃く出したのは初めてですよね。
藤岡:はい、初めてのチャレンジです。ミステリー的な仕掛けを研究するにあたっては、とにかくたくさんのミステリー作品を読みました。ストーリーを動かしていくにあたっては人物に興味を持たせるための謎が大事で、すべてを明かし続けるのではなく、読者に疑問を残す書き方があることに改めて気づきました。新聞記者時代は、背景から全部説明するのが親切だという考えで記事を書いていましたが、ミステリーとして読者を引き込む書き方とは何かを学びました。
──冒頭に、駆けこみ出産の妊婦が登場します。綱島温雨というその若い女性の名を聞いた時、佐野医師が奇妙な反応を見せます。そこから始まるミステリーは、まさに疑問を残しながら進んでいきますね。
藤岡:産婦人科の医師は、毎日たくさんの命を取り上げていますが、自分がかかわりを持った命に対する思い入れは、やはり強いと友人の医師から聞いて、あの仕掛けを思いつきました。
──もう一つ、体調が悪くなった後輩が、何かを隠しているところから始まる謎も仕掛けられています。
藤岡:それは六年ほど前、ある病院で実際に起こった事件を元にしています。命を守るはずの医師が、看護師に対して行ったことが事件として発覚し、当時は結構な騒動になりました。私にとって身近な現場だったということもあり、強く印象に残っていました。なぜ事件が起こったのかという疑問から始まり、関係した人物の心理を考えながら、構成していきました。
──かなり複雑に愛憎の絡んだ事件ですよね。
藤岡:実際に事件の起こった病院に勤めていた人に聞くと、告発された医師だけが悪いんじゃない、被害者側にだってよくない面はあったと批判する人もいたそうです。だからこそ、事件の背景や関わった人の心理を、ストーリーとして広げて書いてみたかったんです。
──主人公は事件の解決に向かって積極的に動いていきます。「正しいことを貫く主人公」像というのはデビュー作からずっと一貫しているように感じます。
藤岡:好きなんです、そういう人が。小説を書く際には、人としてどう生きたいか、どうありたいかを自分自身に問いかけながら書いている部分もあるので、理想が反映されているのかもしれません。生きていると理不尽なことはたくさんあって、それは私自身も実感しますが、乗り越えていく力を私は小説からもらっていました。だから自分が書くものも、読み手に力を与えられる小説にしたいのです。いろいろな味の料理があるように、たくさんの作家がいるので、主人公が正しさを貫く小説というのが私の持ち味で、それを味わいたい時に手にとっていただければと思っています。 ラストは、「真剣に生きていたらきっとどこかで報われる」という自分自身の願いも込めて、希望のある終わり方にしました。
ミステリー的な展開で読者を引き込む
──『闇から届く命』というタイトルは象徴的ですね。
藤岡:母親の胎内という閉じたところから、光のある世界へ飛び出していくことをイメージしています。この小説は、産む側だけではなく、生まれてくる赤ちゃん側からの視点に立って、助産師と産科医療を見てみたいという思いを、タイトルに取り入れたかったんです。子供はお母さんのためではなく、自分の人生を生きるために生まれてくるんだと佐野医師が言うシーンがあります。生まれてくる子供側の視点を忘れ、産む母親側の視点だけで出産を考えると、命を選別することがまかり通ってしまう危険性があります。そのようなことがないようにとの願いも、このタイトルに託しました。
──産むことをめぐる現代的な問題が出てくるのと同時に、満月の日はお産が多いといった、産むという営みの原始の時代から変わらない部分も描かれています。
藤岡:命が生まれるということ自体が自然の流れの一部なんですよね。美歩が自分の心を支えるツールとして、ベーリング海を目指すコククジラの親子のエピソードを出しています。海は、命のるつぼというイメージが私の中ではあります。医療技術がいくら進んでも、命が生まれることは自然の流れの一部ですよね。どうにもできないことも含めて、私たちは大きな自然の一部であることを表すために、海や月の満ち欠けを描きました。
──狩りをしていた時代、女性たちが助け合っていたという描写も魅力的です。
藤岡:男性が狩りをして、女性が家を守っていた時代から、女同士の連帯感で成り立っている社会がありますよね。助産師と妊婦の関係のように、女性が女性を癒したり、子供を守ったり。女性同士は、いがみあうことがあっても、基本的には協力して生きていく生き物なのだと思います。
──この小説を通して、助産師の仕事はどういうものだと伝えたいですか。
藤岡:出産で入院しても、退院までは一週間もありません。助産師は、妊婦の運命の瞬間に立ち会っているのに、どんな仕事をしているのか意外と知られていませんよね。 赤ちゃんを取り上げるだけではなく、妊婦の悩みを聞いたり、産婦の疲労を癒したり、多岐にわたって命に寄り添う重要な仕事ですよね。それをきちんと書くことが当初の気持ちでした。取材を進めると、生まれてくる命だけでなく、生まれなかった命にも接し、常に命の重みを深く考える仕事だという気づきがあり、伝えたいことが膨らみました。この小説で、助産師の現場について、自分のできるかぎりを書き切りました。
──次回作はどんな作品になりそうですか。
藤岡:今は、膨大な資料を読み込みながら、昭和の従軍看護婦の話を書いています。今年が戦後七十年。男性から見た戦争は語られる場面が多いですよね。一方で、女性が、特に戦地で見た戦争はあまり描かれていません。従軍看護婦は、看護師として自分の大先輩でもあるので、命を守る立場の人が、命を懸けて争う場で何を考え、どんなふうに苦しんだのか、想像しています。当時二十歳前の方が、すでに八十代後半ですから、直接取材ができる時間も限られますし、自分自身のためにも戦争の話を直に聞いてみたいと思い取材をしています。
──戦争を新しい視点で捉えられそうですね。新しい試みに期待しています。
(2015年1月 東京にて)
※本対談は月刊ジェイ・ノベル2015年3月号の掲載記事を転載したものです。
ふじおか・ようこ
1971年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。報知新聞社を経て、タンザニア・ダルエスサラーム大留学。慈恵看護専門学校卒業。2006年「結い言」が宮本輝氏選考の北日本文学賞の選奨を受ける。09年、看護学校を舞台にした青春小説『いつまでも白い羽根』でデビュー。著書に『トライアウト』『ホイッスル』『手のひらの音符』『波風』など。