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記憶と記録の先へ
熊谷達也『ティーンズ・エッジ・ロックンロール』刊行記念インタビュー

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熊谷達也

3・11から四年。
一人の作家は考え続ける。小説に何ができるのか――?
答えの出ない問いを経て、唯一無二の青春が生まれた。
文・構成/池上冬樹 撮影協力/BIG BOSS仙台店

高校生といえばバンド
バンド小説を書きたかった

――『ティーンズ・エッジ・ロックンロール』に感動しました。正直言って、こんなに明るい言葉でラストを飾るとは思わなかった。東日本大震災の惨状を目の当たりにした主人公の少年が何気なく口にする言葉、とりだせば何でもない台詞かもしれないのですが、でもそれを口にできるまでの年月を思うと思わず涙がでました。

熊谷:3・11で時計の針が止まった人がたくさんいる。特に肉親を失くした人とか、そういう被災地の人たちにぼくが小説を書くことで、背中を押してあげられればいいなと考えたこともあった。でもそれは不遜です。じゃあ小説って、いったい何ができるんだろう。震災後、ほんとに小説のことなど考えられくなって、まったく書けなくなった。

――その辺の話はあとでうかがいましょう。まず、今回の作品は少年たちを主人公にした青春音楽小説です。舞台は気仙沼をイメージした仙河海(せんがうみ)市。『リアスの子』(光文社)、『微睡みの海』(KADOKAWA)に続く仙河海サーガの第三弾。このサーガは毎回時代も主人公も違う。高校生を主人公にしようと思った動機は?

熊谷:前作の『オヤジ・エイジ・ロックンロール』の担当編集者と飲んだ時に、また音楽の話をどうですかといわれたのですが、しばらくは仙河海シリーズで行こうと決めたので難しいと思った。でも主人公を仙河海の高校生にすればいいと考え直した。ぼく自身、青春小説が好きですし、自分でも書いている。で、高校生と言えばバンドだと。高校生の頃、バンドを結成したくてもできなかった。そのトラウマがある(笑)。気仙沼で、以前の教え子たちとか(※熊谷氏は気仙沼中学の教師だった)、もうちょっと若い連中と時々飲んでいますが、若い子たちの環境が気になる。バンドをやろうとしても練習場所もライブハウスもない。この街に足りないものは何だろうという観点も、物語の要素として大事だと思いましたが、書きたかったのは音楽ですね。

――でも、一口に音楽をやるといっても、昔とは違っている。たとえばスカウトされて中央でデビューという夢物語は、もう無いのかなと。今回『ティーンズ』の冒頭に、『オヤジ・エイジ・ロックンロール』のオヤジバンドがチラリと出てきて、『オヤジ』の後日談が書いてあるけれど、それも興味深いですね。

熊谷:音楽事情は今と昔ではかなり違う。演奏できる場所は増えているし、デモテープも簡単に作れる。演奏力も今の若い子たちの方が上。でも、デビューが簡単ではない。偶然の要素も大きい。アマチュアバンドのライブを見ているとプロと何が違うのかと思う。

――世代的に、庄司匠(しょうじ・たくみ)たちが目指す音楽がわからなかった。メロディック・ハードコアというジャンルのパンク・ロックだというのですが。略してメロコア。

熊谷:メロディー重視のパンクです。日本では175R(イナゴライダー)が割と近いかな。今の高校生のバンドのスタイルとしては主流ではないが、背伸びしたがりの高校生を描きたかったんで、メロコアでハードにパンクをやる、という設定にしました。

――メロコアは知りませんが、音楽は響いてくる。熊谷さん自身が「K'z」というバンドで活動していることも大きいですが、ギターにふれたことがない僕ですら、音の感触や演奏するときの高揚感が生き生きと伝わってくる。ああ愉しそうだなと。

熊谷:実際ものすごく愉しいもの(笑)。

――バンド以外のキャラクターとかは?

熊谷:ぼくの場合、小説を書いているうちに細部が決まることが多い。宮藤遥(くどう・はるか)というちょっと変わった女の子を登場させ、キャラクターを作る過程で物語の方向が決まった。この遥が本当の意味での主人公。庄司匠という男の子はあくまでも語り手です。

東日本大震災を描く葛藤
佐藤泰志の『海炭市叙景』との出会い

――バンド活動の喜びと、少年少女の精神的な恋愛が並行して進み、同時にライブハウス造りも着々と前進する。北海道での休暇風景もリリカルに描かれて、人物たちが抱えるものが見えてくる。牧歌的な恋愛風景と生き生きとした音楽的雰囲気が重なり、ひじょうに軽やかで愉しい小説かと思いきや、ラストに震災がくる。『リアスの子』は一九九〇年、『微睡みの海』は震災前日までを描いて、震災を出さなかったのに。

熊谷:そうしないと重さが半減するというか、おそらく成功しないと思ったんです。当初は震災前までの話だった。でも書いてる中で、震災前で終わっていいのかと思うようになった。震災をまたぐ話を書くことは、震災も暗に描くことになります。でも、もう取りあえずは書いても大丈夫な時期に被災地もなってきている、という自分なりの実感もありました。もちろん被災者の状況も様々で、復興に乗っかって生活再建ができている人もいれば、未だ先の見通しが立たない人もいて、その幅もあります。でも基本的には、物語の主人公たちが前向きになっているのであれば、被災している状況や風景を描いても、たとえ被災地で読んでも大丈夫だろうと考えました。

――震災以降、震災をテーマにした作品が数多く書かれている。でも地元の作家たちはなかなか書かない。そう簡単に書けるもんか、という気持ちもあるでしょうし。書いていいのか、どのタイミングで書けるのかなどの葛藤があったと思います。

熊谷:仙河海シリーズとして書こうと決めたときには、もう覚悟ができていました。書きにくい、書きやすいじゃなくて、どのタイミングで何を描いたらいいのかってことですね。それプラス、自分も仙台で被災した被災者ですし、自宅も大規模半壊でかなり不便な生活を強いられた。常に沿岸部の被災地を見て歩いているので、その自分が書くものは信頼できると思って書いています。信頼できるということは、被災した方が読んでも寄り添える話になっているだろうなと。そういう妙な自信だけはありますね。

――でも、そこに至るまでにはずいぶん迷われ、苦しみましたよね。東日本大震災のあとは本当に小説が書けなくなった。書く気持ちがおきなくなった。そういうときに佐藤泰志の『海炭市叙景(かいたんしじょけい)』に出会った。

熊谷:震災の年の夏に函館にいって、『海炭市叙景』が市民によるエキストラの協力のもとに映画化された話をきいた。佐藤泰志なんて全然知らなかった。それで読んでみたら驚いた。ばらばらな日常生活がきちんと描かれているのですが、希望のない暗い話ばかりで、逆にすごいと思った。ああ人間ってこうだよねと納得させる力がすごかった。震災後には書けないどころか、小説も読めなくなった。ぼくが求める小説のリアリティーの純度が高くなったからです。ミステリーを例にあげるなら、人が死ぬことのリアリティーが、震災を間近に見たぼくらにとっては、まったくゼロなんです。これじゃあ本の中に入って行けない。でも、何気なく手にとった『海炭市叙景』は違った。人間の生活は他者からみれば断片的で、断片的な思考が渦巻いていて、決して常に論理立てて考えてないけれど、それこそが人間なのだということが端的に示されていて、ああ、こういう書き方もあるのか、こういう描き方で人間がリアルに浮き立つんだと思った。

背中を押した一言
仙河海サーガに賭ける思い
止まった時計の針を動かす

――佐藤泰志の読書体験ともうひとつ、荒蝦夷(あらえみし・仙台の出版社)の土方正志(ひじかた・まさし)さんの一言、「震災前の風景を知っているのは熊谷さんだけ」という働きかけも大きかった。

熊谷:直接的には、それが背中を押してくれたことは間違いない。だけど自分でも薄々感じてはいた。周りを見たら、東北を含めて、いろんな書き手がいるけど、沿岸被災地と密接なつながりがあるのは、おれ一人くらいしかいないのかなと。ここで暮らして、物を書いていて、しかも今まで自然と人間の関係性とかを描いてきて、そこにこの災害が起きて、自分の中で問い直しをしなくちゃいけない。どうやって問い直すのかっていうと、物書きですから書くしかない。書かなきゃいけないんだろうなと思いましたね。でも震災直後は、それから目をそらしたくてね。やっと最近書けるようになった。

――『ティーンズ』でようやく震災を書いた。繰り返しになりますが、最後の庄司匠の言葉は胸をうちます。印象的な幕切れです。

熊谷:あのラストシーンは、案外、すんなり書けた。悩んだのは、その前です。震災後の最後の章を入れるか入れないかでずいぶん悩みました。それを入れると決めたときに浮かんだ最初の映像的な描写が、まさに『リアスの子』で(不良の)早坂希(はやさか・のぞみ(という陸上部の女子中学生が走っていた、あの桜並木です。海から続く川沿いの桜並木ですけど、その一帯は津波の被害を受けています。桜は、現実の世界でも震災の年だけは、すごく綺麗に咲きました。でも少し視線を移すと、まだ川の中にはクルマが浸かっていて、周囲には瓦礫がいっぱいあるという状況だった。でも、あのシーンは描写として書きたかった。それはリアリティーの問題でもあるので。あの場面は、もしかするとまた違う小説の中で、何年か経って桜が枯れて咲かなくなった、とかで出てくるかもしれない。シリーズの中でも割と重要な場所になっています。

――3・11をはさんだ気仙沼の風景が、仙河海市の風景となり、それが東北の、ひいては日本の風景になる。仙河海サーガは震災をはさんだ日本社会の歴史、地理的、文化的、何よりも精神的風土を描く作品群になりそうですね。

熊谷:そうなると嬉しいですが、ただ3・11に関していうなら、ぼくに限らず、被災地にいなくても、作家はみな小説に何ができるのかと自問自答したと思います。ぼくの最終的な結論は、時計の針が止まった人たちが時計を動かす、ということ。それは自分でしか動かせないんですよ。永遠に動かないかもしれないですけど、どっかの段階で動くかもしれない。それを、寄り添って待っていることはできる。待っていることって何か? それはぼくに関していうなら、仙河海のお話を書いていることになる。小説家の熊谷達也っていう人間は、ずっと書いているね、と。たぶん今は書く集中期間なんです。時代と人物を変えて書いていきます。あと何年かかるかは分かりませんが、体力が続く限りはやりたいですね。

(二〇一五年五月 仙台にて)

※本インタビューは月刊ジェイ・ノベル2015年7月号掲載記事を転載したものです。

熊谷達也

くまがい・たつや
1958年宮城県生まれ。東京電機大理工学部卒業。中学校教員、保険代理店業を経て、1997年『ウエンカムイの爪』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2000年『漂泊の牙』で新田次郎文学賞を受賞、2004年『邂逅の森』で山本周五郎賞、直木賞を史上初のダブル受賞。近刊に本作と同じ「仙河海市」を舞台とした作品『リアスの子』『微睡みの海』がある。

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