J_novel+ 実業之日本社の文芸webマガジン

6月の新刊『あしたの朝子』刊行に寄せて
瓢箪から小説 山口恵以子

share

twitterでシェアする facebookでシェアする

新刊『あしたの朝子』の成り立ちをひと言で説明すれば〝瓢箪から小説〟。そう、〝瓢箪から駒〟のように、ほんの冗談から予定外に生まれてしまった小説なのだ。

そもそも実業之日本社さんとは昨年の後半に現代ミステリーを書く約束が出来ていて、プロットを渡してOKをもらっていた。そして打合せを重ね……私の場合、打合せから飲み会に移行することがほとんどで、大酒を飲みながらうちのバカな母親やアホな父親やとてつもなく頑固なじいさんの話などをしていたら、担当編集者Aさんがいきなり「山口さん、そっちの方が面白いから、その話書いてくださいよ」と……。

それが九月の終わり。脱稿の締め切りまで残り三ヶ月しかないのに、プロットから作って長編を書くのはしんどい話だが、何しろ酔っぱらっていたので「書きましょう!」と安請け合いしてしまった。酔いが醒めるとまっ青になったが、今更後には引けない。もう書くしかなかった。

しかし、実際に書き始めると、思いがけずスイスイと筆が進んだ。もちろん、この話は実録ではなくてあくまでフィクションだが、子供の頃の体験や思い出がどんどん後押ししてくれて、思いもよらぬエピソードが生まれ、物語を紡いでくれた。

さて、こうして完成した『あしたの朝子』とはどんな物語か?

舞台は昭和三十年~四十年代、東京下町(江戸川区)の小さな鋏(はさみ)工場。そこへ嫁いだおっちょこちょいで世間知らずの娘(私の母がモデル)が、浮気者で無責任な夫、職人気質の頑固な舅(しゅうと)、二人の子供、若い工員たちとお手伝いさん相手に奮闘、失敗を繰り返しながらもたくましく成長していくお話である。

ストーリーはフィクションだが、登場する下町の情景や町工場の生活ぶり、幾人かの登場人物などは実態に即して書いた。

書いていると、幼い頃を思い出して懐かしくてたまらなくなった。小説に出てくる松江通り商店街は今やシャッター通りで、今も営業している店は江戸川書房・味噌の佐野屋・ミツトミ・エノモト・保戸田(ほとだ)くらいだろう。片側一車線の小さなあの通りが、幼い私には小宇宙だった。

登場する人たちも懐かしい。父と祖父とお手伝いさんはすでに亡くなっているが、私の記憶の中では昨日会ったばかりのように鮮明だ。父も祖父も欠点の多い人で、生前はうんざりする場面もあったのだが、今となってはそれさえも微笑ましい。時間のフィルターが掛かって美化されているせいもあるが、それ以上に私が年を取って、失われたものの価値が分かるようになったからだろう。

私は東京タワーと同い年だ。三十年前なら〝初老〟と言われた年齢で、戦前なら〝老婆〟である。書き終わって気が付いたことだが、この小説に登場するほとんどの登場人物より年上だった。

つまり『あしたの朝子』は、老いてゆく私が振り返る〝あの頃の東京下町〟の物語でもある。

だからきっと、お読みになる方も懐かしさを感じていただけると思う。実際に体験したことのない銭湯や洗濯板を使った洗濯も、初めてテレビが家にやってきた日の喜びも、手に汗握って興奮した東京オリンピックも、何となく一緒に体験したような気分を味わっていただけるだろう。

それは誰にも、そしてどんな時代にも青春があったからだ。戦前に生まれた人も、高度成長期に生まれた人も、バブル崩壊後に生まれた人も、誰もが等しく失われた時間を抱えている。取り戻すことの出来ない時間を知っている。

小説を読む・映画を観る・音楽を聴く……私たちは作者や演者の提示する世界を鑑賞しながら、実は同時に、その世界を通して自分の心の内側を覗き込んでいる。

『あしたの朝子』を通して、さまざまな時間と出会い、楽しんでいただけたらと願っている。

※本インタビューは月刊ジェイ・ノベル2015年7月号掲載記事を転載したものです。

関連作品