7月の文庫新刊『水族館ガール2』刊行に寄せて
さあ、水族館へ 木宮条太郎
水族館の物語を書くようになって、多くの方からメールを頂戴するようになりました。中には、昔の悪友たちからのメールも。書いてある事は無茶苦茶で、言いたい放題。そんなメールを前にして、ため息をついたり、毒づいたりしています。
たとえば、
『水族館内部の、こんな細部まで書くとは。お前、イルカトレーナーの女の子と付き合ってるだろ。正直に言え』
ご冗談を。でも、お付き合いしたいです。むろん、ネタ元として。だから、男性でも。変な意味ではないですよ。
『主人公の相手役、梶のモデルって、もしかしてボク?』
君はメタボでしょうが。登場人物で言うなら、君はお調子者の修太。頼むから、あっちこっちで昔の事、喋(しゃべ)り回るのはやめてちょうだい。
『最近、うちの娘が、イルカトレーナーじゃなくてイルカになりたい、と言い出した。どうしたらいい?』
助言不能です。あしからず。
そんなメールの中に、実に懐かしい名前がありました。小学五年生だった時の担任の先生からです。
『水族館の物語とは、お前らしい』
こんなに苦労しているのに、「らしい」とは。
久方振りに、恩師にご挨拶の電話。昔と変わらぬ声の響きに、子供の頃の記憶がよみがえってきました。
「あの頃のお前は大人しゅうて、目立たん子供でな。よく教室の隅で一人、ノートに何か書いたりしとった」
どうも、その頃から文章オタクの子供だったようです。ですが、「らしい」という話は、このことではありませんでした。写生大会を兼ねたバス旅行、瀬戸内の漁港へと向かうバスの中でのことです。
「潮の匂いがしてきたとたん、急に、お前、はしゃぎ出してなあ」
大人しいはずの木宮少年は「海や、海や」と大興奮、波のきらめきが見えるやいなや、窓際の女の子を押しのけてバスの窓にかじりつき、勢い余って、その子の帽子を車外へ飛ばしてしまったそうな。しかも、女の子が泣くのもなんのその、夢中になって海を見つめ続けていたとか。なんて奴。
「けどな、毎年、必ず何人か、そんな子がおる。うちの学校は山の中。海なんか、そうそう見られへんから」
不思議なものです。今でも潮の匂いをかぐと、気持ちが浮き立ちます。そして、海を目にしたとたん、子供の頃に戻ってしまうのです。海は生命の源。人間には元々、そういう欲求があるのかもしれません。
「お前の本を読んで、何年振りかで、水族館に行ってみたんや。なんか、ほっとするような雰囲気やったわ。次は子供たちを連れて行かんとな」
ありがたい話です。電話の向こうの恩師に一礼して、電話を終えました。机に戻ると、再び新しいメールが一通。
今度は恋に悩む高校生から。知人の娘さんです。
『水族館ガールの由香と梶、離ればなれになっても、うまくいきますよね』
さあ、それはどうでしょうか。なにしろ二人共、あの性格。おまけに生き物の命を預かる難しい職場です。きっと、それぞれの職場で、それぞれに難問に直面して……いや、このくらいにしておきましょう。紙面が無くなってしまいますから。
『将来、主人公の由香みたいなイルカトレーナーになりたいんです。だから、あまり由香を悩ませないで』
男女年齢を問わず、仕事に恋に、悩むのは当たり前のこと。でも、真剣に悩めば悩むほど、その分、成長できるはずです。なんてったって、二人の職場は水族館、人々に夢と力を与えてくれるところなのですから。
水族館物語『水族館ガール2』――未熟で不器用、でも一所懸命、そんな二人の物語。本を閉じれば、きっと行きたくなりますよ。私自身、原稿を仕上げてからは、もうウズウズ。行きましょう、ご一緒に。
さあ、水族館へ。そして、潮の香る夏の海へと。
※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2015年8月号掲載記事を転載したものです。