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8月の新刊『曽呂利! 秀吉を手玉に取った男』刊行に寄せて
ドモアリガト、Mr. 曽呂利 谷津矢車

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いきなり私事で恐縮ですが、わたしはどうも組織というものが苦手です。保育園の頃からサッカーをしている園児たちをジャングルジムの上からしれっと眺めている子供でしたし、小・中・高を思い返してみればスクールカーストから解脱した風変わりな子供でした。たとえばクラスで体育祭があって、「クラスみんなで頑張ろうよ!」という空気になっても、表面上は協力しながらもどこか冷めた視線でクラスメイトを見ていた気がします。その傾向は大人になっても変わらず、普通に就職してサラリーマンとして過ごしていますが、組織というものと距離を置いてしまうわたしがいて、組織の中ではなんとない居心地の悪さを覚えてしまいます。

上司や先輩や後輩、つまりは組織の側の人々から見たら相当気持ちの悪い人に違いないわたしですが、そんなわたしが組織の不思議を思いながら書いたのが、今回上梓した『曽呂利!』という歴史小説になっています。

曽呂利新左衛門。生没年未詳。もとは名うての鞘師(さやし)だったといいますが、そのお喋りの才が認められ、鞘師としてではなく秀吉の無聊(ぶりょう)を慰める御伽衆(おとぎしゅう)として伺候。秀吉の死からほどなくして死んだとも、長生きして徳川の世を生きたとも言われています。凄い来歴ですね。軍事政権であった豊臣政権に武功を見込まれて参画したわけじゃありません。さりとて他の文化人たちのように諸芸の腕を見込まれたわけでもありません。鞘師という生業を持ちながらその職人芸で仕えることをせず、話芸で秀吉の旗下に入ります。

絵に描いたようなアウトサイダーです。最初、『曽呂利!』を書こうということになったとき、わたしにはある目論見がありました。「この曽呂利に視点設定してやって秀吉政権を面白おかしく書いていくと面白いものができるかもしれない!」と。

しかし、そんなわたしの目論見は外れました。しかも、いい方向に。

歴史学上あまり痕跡を残していない曽呂利新左衛門が今に知られているのは、ひとえに後世の人々 ――、講釈師や噺家たちが彼を笑い話の主人公に採用したことに端を発します。なので、現代に残っている曽呂利の逸話の多くは後世に生まれたものだと言われています。そのせいか、曽呂利の逸話は大抵太閤秀吉をやり込めたり困らせたり、はたまたご機嫌取りに成功したりといったものばかりです。しかし、不思議とそんな逸話を繋ぎ合わせてみると、曽呂利新左衛門という人物の振る舞いに何やら不気味なものを感じ始めたのです。

繰り返しになりますが、曽呂利新左衛門の逸話の多くは後世の人々の作ったものでしょう。しかし、それらを繋ぎ合わせてプロットしてみると、頓智話で周囲を笑わせる人畜無害な芸人として知られている曽呂利新左衛門とは違う顔が覗いてきたのです。

この曽呂利がわたしの眼前に立った瞬間、確信しました。この曽呂利を紙の上に写し取れば、滅茶苦茶面白い小説になる、と。小説を書くという作業はどうしたって孤独です。目の前の原稿を眺めていると一気にゴミ箱行きにさせたい衝動に駆られます。けれど、今回の『曽呂利!』は他ならぬ曽呂利新左衛門に助けられて完成までこぎつけました。

きっと、組織というものに今一つ寄り添うことのできないわたしと、四百年前のアウトサイダーである曽呂利新左衛門の間に、一種の共犯関係があったんでしょうね。

そんな曽呂利とわたしが四百年の時空を超えてタッグを組み世に問うた『曽呂利!』、是非手に取ってみてくださいませ!

そういえば、まだ曽呂利新左衛門さんのお墓に参っていないんです。

大阪・堺市にお墓があるそうなのでお礼かたがたお参りしようと思っているんですが、お墓の下の曽呂利さんに「適当なこと書きやがって!」と怒られてしまいそうです。いや、案外喜んでくださるかも?

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2015年9月号掲載記事を転載したものです。

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