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8月の文庫新刊『スパイダー・ウェブ』刊行に寄せて
進化するデバイスとデマゴーグ 椙本孝思

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デマゴーグ(デマ)の例として有名なものに「宇宙戦争事件」がある。

1938年10月30日、アメリカのラジオ局にて、火星人がアメリカを襲撃したというニュースが報じられた。音楽演奏の途中で臨時ニュースが差し込まれて、火星から飛来した隕石らしき物体がニュージャージー州に墜落したという。続いて現場中継のリポーターから、その隕石(いんせき)から火星人が現れて付近の住民を襲っているとの報道が、真に迫った声で伝えられた。

実際には「宇宙戦争」というラジオドラマのワンシーンではあったが、そうとは気づかなかった人たちによりパニックが起き、事実を問い合わせる電話が放送局や警察署に殺到した。なお「宇宙戦争」の原作は「タイムマシン」や「透明人間」などで知られる小説家のH.G.ウェルズ、そしてラジオドラマのプロデューサーは後に「市民ケーン」などで知られる映画監督のオーソン・ウェルズだった。また当時はテレビ放送も始まっておらず、ラジオこそが最新のメディアだった。

この話を聞いて現代の私たちはどう思うだろうか。火星人を真に受けるなんて、昔の人たちは無知で単純だ。いや、フィクションを信じたとしても、それでパニックになるところが野蛮だ。落ち着いて聴いていれば、ドラマであることは分かったはずだ。そんな感想を抱くかもしれない。いずれにしても、私たちなら絶対に引っかかることはないと思うだろう。

では、私たちは昔の人たちと比べて賢くなり、冷静な判断力が備わったのだろうか。いまどき火星人の襲撃を信じる人はいない。だが「渋谷のスクランブル交差点でテロが起きた」となればどうだろう。それがテレビやインターネットで映像とともに速報されて、SNSなどで拡散されたとしたらどうだろう。私たちはその真偽を即座に判断できるだろうか。疑っていても、誰かに話したり、ショートメッセージで伝えたり、SNSで「いいね!」や「リツイート」を付けたりして、結局は誤報の伝播(でんぱ)に励んだりはしないだろうか。それはまさに、現代おける「宇宙戦争事件」ではないだろうか。

そんな想像から書き始めたのが本作だ。

人間の判断力は70年経ったくらいで変わるものではない。テクノロジーは日々進化を続けているが、人間はそんなに早くは進化できない。むしろ情報に溢れ、ネットワークに心も体も縛られた私たちのほうがデマに踊らされやすいかもしれない。そんな不安をテーマにした作品だ。

さらに本作では「サイグラス」という架空の携帯通信端末(デバイス)が登場する。片眼鏡型の透明レンズを、右耳あるいは左耳にフックを掛けて使用する装置だ。レンズの内側は透過性のモニタとなっており、センサーが使用者の視線を感知することで手を使わずに操作できる仕組みとなっている。簡単に言うと、スマートフォンの画面が目の前に表示されている感じだ。

レンズ内には日付や時刻、きょうのスケジュールなどが表示されている。また電車に乗れば自動的に路線や運行状況を確認して、到着駅と時刻が表示される。目的地を設定しておけば、街へ出ても行くべき方向が矢印で表示される。まるでカーナビの画面を見ているように使えるのだ。

もちろん、現在の携帯電話やスマートフォンの機能も全て兼ね備えている。電話はもちろん、音声入力でメッセージも送信できる。インターネットやSNSへもアクセスできる。ゲームや音楽、電子書籍も楽しめる。そしてカメラも搭載しているので写真やビデオの撮影も自由自在だ。もうカマボコ板のような端末を向けてシャッターを切る必要すらない。対象物に目を合わせて、ウィンクするだけで撮影できるのだ。

サイグラスは便利で、クールで、ちょっと恐いデバイスだ。これによってデマがもっと素早く簡単に広まることになりかねない。架空の製品なので、そういう意味ではこれは近未来小説になる。しかし登場する人たちは現代人とほぼ変わらない生活を営んでいる。だから心理状況もいまの私たちと変わらない。架空の「宇宙戦争」でパニックを起こした時代の人たちとも変わらない。ただ、さらにデマが広がりやすいシステムに支配された社会だ。

そんな中で犠牲になるのが、本作の主人公、つまり読者の皆様だ。渋谷でテロリストの容疑をかけられて警察に逮捕されてしまう。もちろん、私たちはそんなことをしない。いったい何が起きたのか、誰の仕業でこんな目に遭ったのか。悩んでいるうちにもデマは広がり、周囲の人たちは遠ざかり、怪しげな人たちが近づいてくる。何が正しくて、何が間違っているのかも分からない。ギスギスした社会を走り回りながら犯人を探すストーリーだ。

ところが、書いている途中から、事件は犯人を捕まえることだけでは終われなくなってしまった。一般的な推理小説なら、悪い犯人を見つけて完結する場合も多い。しかしデマをテーマにした本作ではそれで済まなくなった。犯人が分かって良かった、やっぱり主人公は悪くなかったで納得できる世の中ではない。主人公は、読者の皆様は、一生「渋谷でテロを起こして、世間を騒がせた人」と呼ばれ続けるのだ。

しかし、これは小説だ。そんな形で終わるわけにはいかない。現実社会と同じように「これから大変だろうけど頑張ってね」と流すわけにはいかないだろう。ではどうすればいいのか。本作ではひとつの回答を示した。一応はスカッとした結末には辿り着けたので安心して欲しい。ちなみに「宇宙戦争」も最終的には人類の勝利に終わっている。そこはフィクションの強みだ。

進化するデバイスとデマゴーグに踊らされる、進化できない私たちのサスペンス。

小説で楽しんで、ちょっと現実に不安を抱いてもらえたら、著者としては大満足だ。

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2015年9月号掲載記事を転載したものです。

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