10月の新刊『彩菊あやかし算法帖』刊行に寄せて
江戸時代×妖怪×数学 青柳碧人
世の中に、和算を扱った優れた小説は多い。遠藤寛子著『算法少女』や、鳴海風著『円周率を計算した男』、少し趣向は変わるが、冲方丁著『天地明察』など。――初めに言っておくが、『彩菊あやかし算法帖』は、こういった小説とは全然違うタイプのものである。
二〇〇九年に『浜村渚の計算ノート』という作品でデビューをしてから、はや六年が経(た)った。この六年の間に、創作の場も創作のやり方も大いに変わってきたが、同シリーズはおかげさまで講談社文庫より七冊まで出版されるに至っている。
浜村渚シリーズは「数学テロ」という聞いたこともないような事件を、中学二年生の女の子が片っ端から解決していくという話だ。荒唐無稽な設定とは裏腹に、作中で扱う数学に関してはドがつくほど真面目に探究・厳選しており、シリーズを続けていくに従い、仕事場にどんどん数学関係の資料が増えていった。Newtonムックの数学シリーズや、マーチン・ガードナーのパズル本などにはじまり、今では「数学セミナー」(日本評論社)や、「現代数学」(現代数学社)といった、専門家向けの雑誌にまで毎月目を通すようになっている。――とはいえ、もともと大学では世界史を専攻していた僕のことなので、数学の専門的なことは今でもよくわからない。「数学セミナー」など、途中にはさまれるコラムが理解できればいいようなものである。
そんな僕のところへ、「ジェイ・ノベル」の編集部から、何か短い作品を書きませんかという話がきたのが、二年前の秋口のことだった。「できれば数学に関したお話がいいのですが」という編集部の依頼に対し、僕は「今、歴史ものが書いてみたいんですよね」と、てんでちぐはぐな答えをした。何を書こうかな……と、考えつつ「数学セミナー」のページをめくっていた僕の目に、ある記事が飛び込んできた。それは、ケンブリッジ大学の時枝正氏による《エフロンのさいころ》という確率についてのコラムであり、読んだ瞬間、これを使って化け物退治をするという話はどうか、という突拍子もない発想が降ってきたのだ。
かくして生まれたのが、第一話「彩菊と賽目童子(さいのめどうじ)」である。
時は江戸時代中期(作品中には今より二百年余前、とある)、常陸国(ひたちのくに)牛敷(うししき)藩の領内には、賽目童子という化け物が出る村があった。村人は毎年この化け物に、若い娘をひとり差し出さなければならない。娘は賽目童子の棲むお堂へと運ばれるが、賽目童子はすぐに娘を食おうとはせず、不思議な賽子対決を挑んでくる。勝てば命を助けてやろうというのだが、今までに助かったのはわずか一人だけ。
この状況に困った牛敷藩の郡(こおり)奉行は、下級藩士の娘、彩菊を呼びつける。彩菊は十七にして寺子屋での算法の指南にあたっており、牛敷城下では少しばかり名が知られているのだった。かくして、彩菊は賽目童子のもとへと乗り込んでいくのだった――。
この話が掲載されてしばらくのち、「彩菊をシリーズ化しませんか」というお話をいただいた。もともと怪異譚(かいいたん)には目がない僕のこと、その後、あれよあれよという間に合計六話が紡ぎ出され、このたび、単行本にまとめられることになったのである。
重ねて言うが、本作は和算を扱った小説ではない。江戸時代に、名もない小藩の下級藩士の娘が、その時代日本にはなかったはずの(場合によっては世界中の誰も発見していなかったはずの)数学技術を用い、バッタバッタと化け物を退治して回るという、世にも不思議な「数学時代劇」である。数学好きの方も、時代劇好きの方も、どうぞ、暇つぶしに楽しんでいただきたい。
※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2015年10月号掲載記事を転載したものです。