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10月の新刊『草雲雀』刊行に寄せて
小泉八雲が愛した日本人の姿 葉室 麟

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小泉八雲に「草ひばり」という短編がある。

八雲が虫籠で飼っていた悲しいほどに美しい声でなく小さな虫、草ひばりが女中の不注意で餌があたえられずに死んでしまった、という話だ。

八雲は異常なほどの感銘を、この虫から受け取り、その死は八雲の胸の奥底に微(かす)かな傷を負わせたようである。

『小泉八雲集』(上田和夫訳、新潮文庫)で、八雲は草ひばりの鳴き声について、次のように書いている。

――いつも日が暮れると、この微小の魂は目をさます。すると、部屋じゅう、名状しがたい妙(たえ)なる美しい音楽 ――この上ない小さな電鈴のような、かすかに、かすかに鳴りひびく音でいっぱいになる。暗闇が深くなるにつれて、その音はますます美しく――

しかも、草ひばりの鳴き声は「目に見えぬ、未知のものをそこはかとなく恋い慕う歌」であると八雲は言う。

八雲がなぜ、この小さな虫の鳴き声にそこまでの感銘を受けたのかは、よくわからない。

八雲はギリシャのイオニア諸島で生まれた。当時の名はラフカディオ・ハーンである。

父はギリシャ駐屯イギリス歩兵連隊付き軍医で母はマルタ島か、あるいはシチリア生まれのギリシャ人だった。

父と母は熱烈な恋愛をして結婚した。だが、ふたりがアイルランドのダブリンで暮らすようになると生活習慣や宗教の違いから父母の間には亀裂が走った。

八雲が四歳のとき、母はギリシャに去り、六歳のとき、正式に離婚した。父は再婚してインドへ赴いた。八雲は金持の大叔母に育てられるが、やがて大叔母は破産、若き八雲は新天地を求めてアメリカに渡る。

こうして見ると、家の片隅で寂しい鳴き声をあげていた草ひばりは父母を恋い慕い、孤独に苦しみ、哀しみを抱えた八雲自身のことではなかったかと思える。

そんな八雲は明治二十三年(一八九〇)四月にわが国を訪れる。

島根県松江中学校の英語教師として赴任した八雲はなぜか日本を気に入った。しきりにわが国の風俗、人情を称賛し、和服を着て日本料理を食することを好んだ。このため地元の新聞に、
――只管(ひたすら)日本に僻(へき)するが如き風あり

と書かれたほどだったという。

八雲は旧士族の娘と結婚し、帰化し、名もラフカディオ・ハーンから変えた。

八雲はなぜこの国をこれほどまでに愛したのか。八雲はこの国に自身がそうであったような、小さく非力でありながら、懸命に生き、夜ごと、いとおしい相手を慕って美しく鳴く、草ひばりのようなひとびとの姿を見出したからではないだろうか。

歴史時代小説では、才能や力によって人生に勝ち抜く英雄譚が語られる。この世の片隅で生きる篤実で謙虚で慎み深い人物がヒーローとなることはあまりない。だが、八雲が愛したのは小さき者をいとおしむ哀しみを胸に抱いた日本人だったのではないか。

八雲の短編小説を読んで、そんなことを思い、『草雲雀』という時代小説を書いた。

主人公の栗屋清吾は部屋住みの身分で将来への夢もなく、妻のみつとの間に子を生(な)すという、小さな幸せだけを望んでいる。

同じ部屋住み身分の友人、山倉伊八郎が藩の重臣の隠し子だったことがわかり、家老職につく道筋が開けたことから、清吾もまた、思いがけない運命に翻弄されることになる。

伊八郎はせっかくの幸運を生かして家老にまで上り詰めようと企(たくら)み、剣の達人である清吾を用心棒にする。

小心な清吾は戸惑い、おびえながらも伊八郎に尻を叩かれて、藩内の暗闘で剣を振るうことになる。清吾が願っているのは、みつとの幸福な家庭というささやかな望みである。

だが、そのためには、伊八郎の敵を倒さねばならない。

あたかも草ひばりが懸命に鳴くように ――。

こんな構想を小説にしたのだが、はたして読者にどのように読んでいただけるのだろうか。

ただし、これだけははっきりと言えると思っているのは、小市民も戦わねばならないときには戦う、ということだ。

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2015年11月号掲載記事を転載したものです。

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