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1月の新刊『えんま寄席 江戸落語外伝』刊行に寄せて
古典落語の、その先の噺を描いたミステリー 車 浮代

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『芝浜』『子別れ』『火事息子』『明烏(あけがらす)』『品川心中』を軸に、『厩(うまや)火事』『幾代餅』『五人廻し』『三枚起請』『紺屋(こうや)高尾』『寿限無(じゅげむ)』といった、名だたる古典落語のエッセンスを詰め込んだ小説を上梓しました。

熊五郎やお先を初めとする落語の登場人物たちは、結構な確率で閻魔様(えんまさま)に罪を暴かれ、地獄に堕とされます。

私がなぜ、このような小説を書こうと思ったかと申しますと、そもそもは、お世話になっている作家のいつかさんからの紹介で、三遊亭圓窓(さんゆうてい・えんそう)師匠から落語を教わった経験によるものです。

毎月のお稽古に通い、〝三流亭まど絵〟という高座名をいただきました。自身が発表会にかける噺はもちろんのこと、一緒に教わっている連の方々のお稽古を何度も繰り返し聴くうち、ストーリー上でのさまざまな疑問や、下げ(オチ)に対する不満が生まれました。

落語には「その先が知りたいのに……」と歯痒くなる下げや、「え?」と肩すかしを食うような下げを持つ演目が少なくないのです。

圓窓師匠は、ご自身で多数の創作落語を手掛けて来られたこともあって、「面白くなると思えば、セリフも下げも変えたって構わない」と、実際に古典落語の下げを変えて高座にかけられている噺も多々あります。

「落語は全てハッピーエンドであるべき。聴き終えた後にお客様に、良い気分になって帰っていただかねば、高座にかける甲斐がない」というのが信条で、例えば『寿限無』で、長い名前を呼んでいるうちに主人公が川で溺れ死ぬという残酷な下げは却下されていました。

そのお考えには賛成ですが、物書きの性でしょうか、では小説でならば、主人公たちの深淵を掘り下げても構わないのではないか、と考えました。きっかけは分不相応にも、自身の発表会で人情噺の大ネタ『火事息子』にチャレンジしたことに始まります。何度も何度もさらううち、

・勘当が解けた後も、藤三郎は臥煙(がえん)を続けるのか?

・大店(おおだな)のぼんぼんが荒くれ者の世界に飛び込んで、うまく馴染めたのか?

・藤三郎がタイミング良く火事場に現れたのは、実家を心配してだけのことだろうか? 自作自演の可能性は?

という疑問が涌き出しました。これらの答えを想像し、導くことで、落語から新たなストーリーが生み出せると気づいたのです。

目指したのは一九五七年公開、川島雄三監督の不朽の名作『幕末太陽傳(でん)』で、日活スター総出演のこの映画は『居残り左平次』をベースに、いくつもの古典落語をつなぎ合わせた喜劇映画となっています(ちなみに、主役で、母校の教授でもあった故・フランキー堺さんが劇中で披露されていた〝浴衣の早着替え〟は、温泉旅行時の私の持ちネタとなっています)。

私が生まれる前に作られた映画ではありますが、故・新藤兼人監督の勧めでこの作品に触れた時は、脚本の見事さに舌を巻きました。

これほど上手く行ったかどうかはわかりませんが、落語を知らない方でも楽しめる、「本当は怖い大人の落語ミステリー」が書けたのではないかと自負しております。

この本を読まれて、落語に興味を持ってくださる方がいらっしゃれば幸甚です。

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2016年3月号掲載記事を転載したものです。

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