4月の新刊『モップの精は旅に出る』刊行に寄せて
さよならではなく、またね 近藤史恵
シリーズを終わらせるのが苦手だ。
普通に一冊、もしくは二冊で完結する話はいい。彼らの物語はあらかじめ閉じている。でも、シリーズものにしたとたん、キャラクターはわたしの手からどこか自由になる。わたしが書かなくてもそこにいるような気がする。そうなると、どうやって物語を締めるのかわからなくなってしまう。
特に、キリコちゃんはわたしがいちばん長く書いているシリーズの主人公だ。二十代後半から書き始め、気づけば二十年近い付き合いになる。当時、自分も清掃のアルバイトをしていたこともあって、いろいろ身近に感じられた彼女の環境もずいぶん遠いものになってしまった。
読者の方だとか、知り合いに、よく彼女の話を振られる。
「あんな子、うちにきて掃除手伝ってくれませんかね?」
そのたびに、「真っ先にうちにきてもらいたいです」なんて答えながら、印象に残るキャラクターを書けたことを、少し誇りに思っていた。
掃除が憂鬱になったとき、「あの子だったらどんなふうにするだろう」と思える登場人物。「あの子がきてくれたらいいのに」と思える女の子。
そんなふうに、長く付き合ってきた彼女だから、シリーズをどうやって終わらせようかとずっと考えていた。
あまりに長く付き合って、年を取らせるわけにもいかないだろうし、かといってわたしがどんどん若い感覚を失って、キリコちゃんになにを着せるか四苦八苦するのも悲しい。
大事なシリーズだが、だからこそいつまでも書き続けていくという選択肢はなかった。
お母さんになる、というアイデアはずっと頭にあった。でも、しばらく考えて、それは手放すことにした。もちろん、キリコちゃんがお母さんにならないという話ではない。お母さんになるかもしれないけれど、それを最後の本で書くのはやめようと思ったのだ。
できれば、明日も同じ場所で彼女が働いていると思えるような、そんな最後にしたい。
「さよなら」と言って別れるのではなく、「またね」と笑って手を振るような感じで。
キリコちゃんはこれまでも、ときどき旅に出ている。
事件を解決するためだったり、誰かのために遠い場所に出かける。ならば、彼女が彼女のための旅に出るという話はどうだろう、と思った。
これまで、いろんな人の事件を解決してきた彼女が、はじめて自分のために事件を解決するのだ。それと同時に、もうひとつ、大事な人のためにわたしたちはなにができるのかということも、大きなテーマになっている。
大事な人が不安でいたり、悲しんでいるとき、どうすればいいのだろう。「元気出せよ」と励ましたり、おいしいものを食べさせたり、それともただ一緒にいたり、いろんなことができるけれど、どれが正解かは相手や問題によって変わる。
同じ人にだって、一度目と二度目に同じ処方箋が効くとは限らない。少なくとも、この話の中で大介は考える。悩む。試行錯誤する。自分の考えを押しつけたりはしない。
結局のところ、誰かと一緒にいるためには、それがいちばん大事なことなのではないかと、最近は思っているのだ。
大きな事件は起こらないし、これからもキリコちゃんはモップを片手に雑居ビルや、どこかのオフィスを駆け回っているのだろう。そう読者の皆様が感じてくれれば、こんなうれしいことはないと思う。
わたしだって、いつかまた彼女に会いたくなるかもしれないし。