6月の新刊『悪母』刊行に寄せて
友達付き合いって難しい 春口裕子
育児休暇中という名の開店休業状態だった私の元に、ある日、本誌編集者Sさんから電話があった。せっせと洗濯物を畳んでいたところだった。
「短編、一つどうですかね」
近くイヤミス特集を予定しているという。喜んで! と引き受けたものの、小説を書くのはおよそ六年ぶり。大丈夫かしらんと心配で、パソコンを前にしても初心者かというぐらい落ち着かなくて、しかし心は浮き立った。
無事に書き終えホッとしていると、Sさんが言った。
「シリーズでどうですかね」
かくして連作短編というものを初めて書くことになった。成績不良の主婦業(おそろしく要領が悪いのだ)を理由に、四、五カ月にいっぺんぐらいの掲載をめざす、という、誠にゆるい条件でやらせてもらった。
第一話から最終の第六話までを書く間に、私は二つ年を取り、幼稚園児だった息子も小学生になった。息子は、夜間や休日などに私が自室で執筆していると、たまにちらりと覗(のぞ)きにきて、目をきらきらさせてこう聞いてきた。
「ママ、今、どんなところを書いているの?」
私は思わず言葉に詰まる。よもや、
ウサギが不審死したところだよ。
女の子が背中から血を流して倒れているよ。
などとは言えず、「ウサギの身に困ったことが起きた」とか「女の子がちょっとケガをした」とか、その都度ソフトに変換して答えてきた。が、「困ったことってどんなこと?」「女の子のケガって、どんなケガ?」と突っ込まれるにつけ、思わずにいられなかった。なぜなぜどうして、自分の小説には、笑顔で子供に語れるフレーズ、たとえば「くまさんはみつばちさんの家を直してあげました。お礼にハチミツをもらいました」というようなものが出てこないのか。出してみようか。いや無理だ。
いざ書くとなると、どうしても、女性同士のモヤモヤとかギラギラとかドロドロとかに気持ちが向く。自分でも不可解だが、仕方ない、たぶん性癖なんかと同じで、変えようのないものなのだろう。
今回描いたのもまた、湿度が高めのママ友の世界だ。
主人公の奈江は、幼い娘を持つ母親で、家事に育児にママ友付き合いにと、必死に毎日を過ごしている。
とにかく必死で、身のまわりで起きる事件やトラブルから、自分や自分の娘を守ろうと、なりふりかまわず火の粉を払いのける。それはいいのだが、払いのけたその手が、時に誰かに当たっている。時には誰かを傷つけている。そのことに奈江は気付かない。気付かないようにして生きているようにも見える。
奈江をはじめとする登場人物たちは皆、多かれ少なかれ、〝されること〟に敏感で〝すること〟に鈍感だ。〝求める〟ことは過剰なのに、〝与えること〟はなんかちょっと渋る。
作中では九年の月日が経過する。九年の間、奈江は過敏に過剰に火の粉を払いながら、その場その場で最善と思われる選択をしていく。そうやって最善を積み重ねて出来た造形は、果たして最善のものか。設計図通りか。そもそも設計図を奈江は持っていたのかどうか ――。
奈江の不器用さは他人事ではない。私自身、物心ついた頃から、己の狭量さ、人付き合いの拙さを感じてきた。うまくやりたい仲良くやりたい幸せでありたいと思いながらも、言動が空回りしたり、至らなかったり過ぎたりして、しばしばしくじった。そのたび激しく落ち込んだ。
息子が今日も聞いてくる。
「ママってけっきょくどういうお話を書いてるの?」
これには私は素直に答える。
「お友達と仲良くしたいのにな、ってことだよ」
この先――五十になっても六十になっても悩みの種でありそうな〝友達付き合いって難しい〟というそのことに、女同士の世界に、今後も自分は惹かれ続けるのだろう。
※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2016年6月号掲載記事を転載したものです。