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5月の新刊『マル暴総監』刊行記念ブックレビュー
今野敏が描く警察・任侠小説の魅力――面白さの秘密は人間味と意外性にあり―― 関口苑生(文芸評論家)

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今野敏の新境地
〝史上最弱の刑事〟

警察小説の主人公というと、まず思い浮かぶのは刑事、それも事件を捜査する捜査一課(強行犯係)の刑事だろう。物語によって所属先が本庁と所轄署の違いはあっても、主人公の数としては圧倒的に多いし、一番の花形であるのは間違いない。だが当然のことながら、他にも部署はある。事件というのは強盗や殺人ばかりではなく、窃盗、詐欺、痴漢、放火、汚職、テロ……と様々な形で起こっていて、それぞれに事案を担当する部署は違っている。また違っている分だけ捜査のやり方から何からすべて異なり、部署同士での対立関係が生じてくる場合もある。さらには階級差による絶対的な上下関係も、警察組織特有のものといっていいかもしれない。そうした事どもを盛り込んでいくと、物語としての幅も広がり、展開や内容にも厚みが出てくる。警察小説の面白さは、そんなところにもあると言っていいだろう。

これまで数多くの警察小説を書いてきた今野敏にしても、主人公は刑事部だけではなく、生活安全部、地域部、公安部、警備部……等々、さまざまな部署の刑事、警察官を描いている。

そういう中で、警察小説史上最弱(?)の刑事が主人公という《マル暴》シリーズは、今野敏が新境地を開いたと評判をとったものだ。

甘糟達男(あまかす・たつお)。北綾瀬署の刑事組織犯罪対策課、組織犯罪対策係に所属している巡査部長である。いわゆるマル暴刑事だ。

マル暴というと、大概はごつくていかついタイプの人物と思われがちだが、甘糟はまったく違う。見かけは小柄で弱々しいし、おまけに童顔なので若く見られ、度胸なんてものはこれっぽっちもない。実際に、事件が起こると嫌だなあなどと口に出したりもする、思いっきり気の弱い刑事なんである。これではマルB(暴力団構成員)相手に押しはきかないし、そもそも逆になめられてしまう。自分でもどうして組対係に配属されたのか、不思議でならないのだ。これは絶対に人事の嫌がらせに違いなかった。自分より相応しい人材はいくらでもいるはずなのに、と常々思っていた。

そんな、いかにも頼りなげな刑事が主人公の《マル暴》シリーズ第一作が『マル暴甘糟』 (実業之日本社)だった。

事件の発端は、北綾瀬署管内に本部を持つ多嘉原(たかはら)連合の構成員が、撲殺死体となって発見されたことから始まる。甘糟は、コンビを組んでいる先輩刑事の郡原虎蔵(ぐんばら・とらぞう)と情報を集めることになるが、この先輩というのがまさに絵に描いたようなマル暴なのだった。いつも黒いスーツにノーネクタイ。髪は坊主刈り、目つきは鋭く、百八十センチの長身に加え、柔道で鍛えた身体はでかくてごつい、と誰が見ても刑事なんかじゃなくて、ホンモノと勘違いする。

ただでさえこんな先輩に苦労している毎日だというのに、帳場が立ち捜査本部ができると、今度は本庁捜査一課のエリート刑事、梶伴彦(かじ・ともひこ)警部補と組まされる羽目に。ところが、そこに郡原がいちいちちょっかいを出してきて、甘糟はふたりの間に挟まれ翻弄される日々が続くのだった。一方、殺された男を可愛がっていた兄貴分のアキラは、多嘉原連合独自のルートを使って犯人を捜し出そうとし、甘糟にも情報をよこすように迫ってくる。身内の刑事からも構成員からもやいのやいの言われて、気弱な甘糟はほとほと参ってしまうのだった。

とまあ、さすがに警察小説史上最弱の刑事らしいエピソードが続いていく。とはいえ、彼にも長所はもちろんある。気弱でどうしようもないように見えながら、実はこれで結構人望があり、いつの間にかみんなに好かれているのだ。

ハートをくすぐる
《任侠》シリーズの面々

こんなタイプの刑事は今までにはなかった。読者は最初はハラハラして見守るよりなく、これで本当に大丈夫かと読んでいると、そこはやっぱり今野敏である。甘糟を中心に人も事態も回り始め、事件の謎がはらりはらりと解けていくのだ。それとともに、人間関係の温もりがじわりと滲み出てくるのだった。

だが、彼が登場したのは《マル暴》シリーズが初めてではない。それ以前に《任侠》シリーズの脇役としてデビューをはたしている。

今野ファンの方々なら当然ご存知だろうとは思うが《任侠》シリーズは堅気の衆には迷惑をかけず、地域住民との間もまあまあ良好のヤクザ、阿岐本(あきもと)組に降りかかる(もしくは自分から浴びにいく?)困難の数々を描いたものである。

阿岐本組は組長の阿岐本雄蔵と代貸の日村誠司以下、他には四人の若い衆だけという零細組織だ。そんな小さな組に、組長の兄弟分から経営難に陥った会社や施設を再建する仕事が持ち込まれ、引き受けてしまうことから始まる人生模様の悲喜劇が描かれる。再建といっても本当においしい案件なら、阿岐本組のような小さな組に話など持ち込まれるはずがなかった。必ず何か裏があるに違いない。ああそれなのに、組長は表街道を歩く文化的な事業に首を突っ込んで、いい気分に浸りたいと思うのか、一も二もなく受けてしまうのだった。

かくして第一作『任侠書房』 (実業之日本社『とせい』を改題/中公文庫)では、倒産寸前の出版社経営に乗り出すことになる。その話を聞いて組事務所に飛び込んできたのが甘糟だ。彼は泣きそうな顔で日村に、「あんたのところだけは、経済ヤクザの真似事はやらないと思っていたのに……」と言う。日村は甘糟のことをいつもおどおどして、会うたびに刑事がつとまっているのか不思議に思っている。甘糟はどう見ても区役所の職員だった。

続く第二作『任侠学園』 (ジョイ・ノベルス/中公文庫)でも阿岐本は潰れかかった私立高校の運営を打診され、これまた即座に乗り出していく。こうなるともう〝病気〟と言うよりなかった。
そして第三作『任侠病院』 (ジョイ・ノベルス/中公文庫)では、赤字が膨らんだ病院の立て直しである。

このとき、いずれの場合でも彼らが乗り込んでいった先は、周囲がすべてが敵だらけなのは言うまでもない。誰も彼もが、どうしてここへ社会の害毒であるヤクザが介入し、我々を蹂躙(じゅうりん)するのか理解に苦しみ、強い反撥を覚えて抵抗するのだった。そんな状況の中で悪戦苦闘の日々が続いていくのだが、特に日村の苦労は尋常なものではなかった。

しかしそれでも徐々に報われていく。人の心はまず容れ物からという阿岐本の信念に従い、建物の外壁を掃除し、割れたガラス窓を修理し、蛍光灯を取り替え、荒れた花壇を整えるといったことから始める。まずは人の気持ち、感情を優先した作業に取りかかるのだった。

またそれぞれの案件で、組の若い連中が意外な能力を発揮する。これが実に何ともハートをくすぐるのだ。

そうした彼らの並々ならぬ努力をよそに、甘糟は組事務所を訪れるたびに「お茶なんかいれないでよ。クビになっちゃうじゃないか」と、いつもの台詞を口にする。だが、彼だってちゃんと日村たちがやっていることをわかっているのである。甘糟の立場からは、それを表だって言うことはできないのだった。

まさかの展開
歴史に残る快作

その甘糟が主人公となる《マル暴》シリーズの第二弾『マル暴総監』 (実業之日本社)は、驚きと意外性と人情、そしてもちろん面白さもたっぷりと詰まった、歴史に残るような快作だ。いやこれは冗談などではない。ある意味で伝統的な手法とも言えようが、現代の警察小説において、まさかこんな形となって作品化されるとは思いもよらなかった。

さて、そのことをネタばれにならないように、どこまで書けばいいか。

物語は、チンピラが睨み合っているという通報があって、甘糟が現場に駆けつけるところから始まる。するとそこには人垣ができており、その中に『マル暴甘糟』に登場したアキラと、《任侠》シリーズの日村の姿も見えたのだった。アキラが言うには、こんな小競り合いはすぐに終わるという。どちらも怪我をしたくないからだ。プロの言うことなら信用してもいい。そう思ったそのとき、「待て、待て、待て」と大きな声がかかり、白いスーツを着た恰幅のいい男が、対峙する三人組と二人組の間に立ったのだ。そこにあわてて割って入った甘糟により、事態は一応収束したが、事はこれで終わりではなかった。翌日、睨み合っていたチンピラのひとりが殺され、一気に事件化したのである。

捜査本部では白いスーツの男を犯人と見て、この人物を追うことを本筋とするが、甘糟と郡原のふたりはどうにも納得できず、情報を得ようと歩き回り、いくつか不審な点に気づくのだったが……。

こうした捜査の過程も十分に面白いのだが、本作品において最も注目したいのは、白いスーツの男の正体である。これってまるっきりアレなんですよ、アレ。日本人なら誰でも知っているあの人たちが、こんな形で復活するとは、今野敏はやっぱり凄い。

*本レビューは月刊ジェイ・ノベル2016年6月号掲載記事を転載したものです。

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