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薬丸 岳『ラストナイト』刊行記念インタビュー

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薬丸 岳

吉川英治文学新人賞受賞第一作を描き切った薬丸岳。
大きな節目にひるむことなく、新境地へと踏み出した――。

構成/青木千恵

「新たな一歩」を進む

――『ラストナイト』は、刑務所を何度も出たり入ったりしている「累犯者」、片桐達夫(かたぎり・たつお)を主人公にした物語です。まず、この物語を書かれたきっかけを教えてください。

薬丸:累犯者の話にしようと決めていましたが、最初は全く違うタイプの物語を構想していました。累犯者の男が、最後の出所でいろんな人と知り合い、いい方向へと変わっていく、黒澤明監督の映画『生きる』のような感じの話でした。でも、どうもしっくり来ないと言いますか、僕の中で盛り上がるものがなかった。ちょうど『Aではない君と』を書き終えた時期で、僕は〝Aロス〟と呼んでいるんですが(笑)、あの作品でそれまでの自分を出し切った感がありました。この次にどういうものを書けばいいのか凄く考えたのですが、最初に構想していたハートフルな話はしっくり来なかった。今、どんなものなら意欲が湧くだろう、ということで自分がやったことがないタイプのミステリーにしよう、と決めました。

――居酒屋「菊屋」を営む菊池ら、五人の人物の視点から、宮城刑務所を出所したばかりの片桐の行動が描かれます。同じ場面が各章の視点人物の目線でリプレイされたり、かなり技術が必要だったのでは。

薬丸:僕にとっては初めて書くタイプでした。「夏目シリーズ」も主人公の視点を入れていませんが、夏目はある程度、自分の気持ちをストレートに言葉で表す人物です。しかし片桐は考えを表さない人物なので、彼について、五人の視点から微妙な形で徐々に読者にわかっていただけるように書く細工は、非常に難しかったですね。『A』とは真逆の作品です。また、五人の視点人物も、片桐をただ眺めているだけでなく、彼と出会ったことで、それぞれに変化が訪れる流れにしたいと思っていました。具体的にどう変わるかはプロット段階ではわかっておらず、書いていく中で足し引きをしていった感じでした。

主人公は「累犯者」

――累犯者を主人公にしたのはなぜでしょうか。

薬丸:累犯問題や累犯障害者に関心を持っていたので、いちど取り組みたい題材でした。高齢の方などが、刑務所に入った方が楽だと思う今の社会ってどんな社会だろうと思っていたのですが、たぶんいつもの僕だったら、累犯問題に踏み込んだ、社会的な話になったと思います。でも、未経験のミステリーを書く方向にシフトしたので、「劇画的」というか、そっちのイメージで行っちゃえ! と思って(笑)。決して手は抜いていないけれど、肩の力は抜いて、開き直って書いた感じでした。今シビアなテーマに正面から取り組んでも、『A』以上に満足の行く作品はなかなかできないだろうという思いが、正直言ってありました。

――顔には刺青(いれずみ)、片手は義手。五十九歳の主人公、片桐達夫は、インパクト絶大な人物です。片桐や視点人物の五人は、どのように設定していかれましたか。

薬丸:主人公の片桐については、インパクトを持たせたい意図がありました。今までの僕のキャラクターの作り方とは、だいぶ違う経緯で生まれた人物です。五人の視点人物の設定には苦労しました。片桐に接する可能性のある人として一~三章の三人(三十五年来の友人・菊池正弘、弁護士・中村尚(ひさし)、娘・松田ひかり)はすんなり決まりましたが、絢子(あやこ)と荒木は悩みました。連載初回にふたりとも登場していますが、具体的にどんな人物かは決まっていなかった。絢子がいちばん悩みましたね。連載当時、荒木は元刑事でしたが、三十数年前の事件の担当刑事では、今の片桐を語る人物として弱いなと、連載終了後に全面的に設定を修正しました。

――視点人物もそれぞれに悩みながら生きています。

薬丸:犯罪が起きたとき、加害者と被害者の当事者以外は、なかなかクローズアップされないですから。僕の場合、ニュースを観(み)たりすると、むしろ犯人の心理より、家族はどんなことを考えているのだろうという方向に思考が行くところがあります。

――作中の時間を数日間に絞られたのはなぜでしょうか。

薬丸:蝉になぞらえて七日間の話にしようと、連載時は『檻(おり)から出た蝉』というタイトルでした。でも、七日だとどうしても間延びして、五日ぐらいがシャープで緊張感があってよさそうだと思いました。ループのように循環する、同じ場面がくり返し描かれるスタイルを書いてみたかったんです。長時間の中の場面を、五つの視点でくり返すのは難しいので、これ、あの時の場面だよね、この人、あの場所にいたよねと、読者が読みながらわかるぐらいの幅でくり返せるように、五日間にしました。

――刺青のディテールなどから、連想する映画がありました。

薬丸:この作品で意識していたのは、ミッキー・ローク主演の『ジョニー・ハンサム』です。顔に障害があって犯罪ばかりしている男が、仲間にはめられて友人を殺され、整形手術を受けてハンサムな顔になる。ああいうちょっと佳作的なクライム・サスペンスが凄く好きで、よく観ていたものですから、そのイメージで行きたいと思いました。ただ、連載を始める直前、ふいに全く別の展開が思い浮かんで、途中からは、片桐がどうしてその選択をすることになるのかを軸に考えていました。あともうひとつ、片桐の妻に対する思いを描きたかった。これまでの作品では、中心的なテーマを伝えるために抑制して書かずにいたようなことを、今回は、思い切り描き出そうという気持ちがありました。

――ふだんお考えになっていることを、小説に描きこむのでしょうか。

薬丸:僕が書く主人公は、多かれ少なかれ僕の理想を引き受けていると思うんです。ただ、僕はキャラクターから考えるタイプではないです。『刑事のまなざし』の夏目にしても、最初は人物像が決まっていなくて、ストーリーを構想した後の段階で肉付けされていきました。キャラクターの後に題材を考える作り方はしたことがないですね。

――今回は、テーマよりも劇画的なクライム・サスペンスのイメージが先で、その主人公が累犯者。テーマ性の強い『A』を書き終えた後、全く違う形で書かれたんですね。

薬丸:そうですね。『誓約』や『アノニマス・コール』、『神の子』もエンタメ寄りの作品だと思うんですけれど。僕、ほんとうは『A』みたいな感じの話は書きたくないんですよ(笑)。書きたいなと思って書く作品と、書かなければという思いで書く作品とに、僕の場合は分かれると思います。『A』や『友罪』のような作品は好んで書いた感じではなくて、自分の中でふつふつと沸いてくるものがあって、これはやっぱり書かなきゃいけないんだろうなという思いで書きますが、それを毎回はやりたくない。『A』や『友罪』の登場人物って、ずっと悩むから辛(つら)いです。といって、今回のタイプの作品が楽ということはないですけれど。

――書かざるを得ないテーマが現われてくる感じなのでしょうか。

薬丸:一回、思い切り離れたい気持ちもあるんですよね。いろんなタイプのものを、ひるまずに書いていきたい。今回の作品も、これまでの読者にどのように読まれるか、怖いところもあります。これまでの作品と違うじゃないかと。ただ、そこはひるまないで、新しいことにどんどんチャレンジして、一巡して、原点の『天使のナイフ』や『A』のような作品にまた取り組めたらと思うんです。

この先をみつめて

――今、やりたいことはなんですか。

薬丸:難しい質問ですよね(笑)。たくさんあって。今進めている企画は、全て自分がやりたくて始めているものですから。題材であれ、テクニカルな部分であれ、今までやっていないことをやりたいんだと思います。

――デビューから十年が過ぎて、どのように変わってこられましたか。

薬丸:最初の頃は、自分の価値観や憤りをベースにして、考えを作品の中に描き出していく作り方でしたが、それだけでは限界があって、僕のものではない価値観も取り入れ、そちらを主に書く経験も重ねました。加害者の立場で考えたり、自分の家族が加害者になった場合を想定したり、そんな変化がありましたね。『天使のナイフ』『虚夢』など初期の頃も、ほかの人の意見も踏まえて書いたつもりでしたが、僕自身に近い、理不尽な状況に憤りを感じている人物が主人公でした。

――今回もですが、登場人物の思いに心を動かされます。読者の胸を打つ作品にすることを意識されていますか。

薬丸:強く意識しているわけではなくて、自分の資質なのかなと思います。もっと乾いた、冷淡だったり、後味の悪いものを意図しても、結果的にそうならないことが多くて、もともとの特徴なのかと思います。ただやっぱり、犯罪や人を傷つける行為を肯定したくない。物語は、いろんな可能性や力を持っていると思うんですよね。いい意味も負の意味もあるから、少なくとも僕の物語を読んで、負の意味にとらえてほしくない。僕はミステリーを書く作家で、犯罪や人の生き死に、どうやって殺すか、どうやって誘拐するか、苦しめるかをさんざん考えまくる仕事をしています。それでも読んでくださった後に、やっぱり犯罪っていやだよね、人を傷つけるっていやだよね、というふうに思っていただきたいと。そう自分が思っていることが唯一の慰めといいますか、ふだん犯罪や人の生き死にを考え続けている、ミステリー作家の救いのような気がしています。

2016年6月・東京都内の仕事場にて

※本インタビューは月刊ジェイ・ノベル2016年8月号掲載記事を転載したものです。

薬丸 岳

やくまる・がく
1969年、兵庫県明石市生まれ。駒澤大学高等学校卒業。2005年、『天使のナイフ』で第51回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。『刑事のまなざし』『その鏡は嘘をつく』『刑事の約束』などの夏目信人シリーズが人気を博すほか、少年犯罪や犯罪被害者の復讐といった題材に活動当初から挑み続けている。ほかの著作に『悪党』『神の子』『誓約』『アノニマス・コール』など。2016年、『Aではない君と』で第37回吉川英治文学新人賞受賞。

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