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10月の文庫新刊『漫才刑事(デカ)』刊行に寄せて
「漫才刑事」を書いたわけ 田中啓文

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新連載についての担当編集者との打ち合せの席上、私は用意していたいくつかのプロットについて説明した。

「なるほど、面白そうですね」

編集者はどのネタに対してもそう応えたが、いまひとつ熱はこもっていなかった。しばらく話が途切れたとき、ふと私の頭にある言葉が浮かんだ。私はその言葉を口にした。

「『漫才刑事(デカ)』というのはどうでしょう」

すると編集者はさっきまでとはうってかわった表情で、

「それ、いいですね! それでいきましょう! 連載開始はいつにしますか」

じつは私の頭のなかにあったのは「漫才刑事」という題名だけで、中身は一切思いついていなかったのだ。しかし、言い出した以上書かねばならない。呻吟(しんぎん)のすえ、私が無理矢理ひねり出した「漫才刑事」の内容は次のようなものだった。

昼間は大阪府警の刑事、夜は漫才師というふたつの顔を持つ男が、おもにお笑い関係の現場で起こる事件を解決する。「見た目は子供、頭脳は大人、その名は名探偵コナン!」というキャッチコピーがあるが、「昼間は刑事、夜は漫才師……その名は漫才刑事!」という感じでいこうと思ったのである。

しかし、実際に書いてみるとこれはなかなかたいへんだった。そもそも刑事とプロの漫才師が職業として両立するはずがない。現実的ではないめちゃくちゃな設定なのである。元漫才師の警官やお笑い好きの警官が、その経験をいかして、お年寄りのまえで「振り込めサギを防ぐための啓蒙(けいもう)漫才」をやったりするというのはよく聞くが、そういうのではなく、昼間は刑事として普通に勤務しており、夜や休日は普通に漫才師として劇場に立ったり営業に行ったりする。しかも、警察の同僚は彼が芸人であることを知らないし、漫才の相方も彼が刑事であることを知らない……そんなわけあるかい! と皆さんが怒るのはもっともだが、そうなんだから仕方がない。なにしろタイトルが「漫才刑事」なのだ。

そんなこんなで一冊の本ができあがったが、これもあのとき、ふと私の口をついて出た「『漫才刑事』というのはどうでしょう」という一言から発したのだ、と思うと……世の中というのはわからんもんですなー。

腰元興業(吉本興業)とかなんばキング座(なんばグランド花月)とかこしもとお笑い劇場(よしもと漫才劇場)とかが出てくるので、吉本興業と所属芸人をパロディにした小説、のようにも思えるかもしれないが、そうではない。かつて落語家の世界を舞台にした連作(「笑酔亭梅寿謎解噺(しょうすいていばいじゅなぞときばなし)」シリーズ)を書いたときは、噺家の皆さんに綿密な取材を行い、さまざまな落語会の打ち上げに図々しく参加してはゴシップに聞き耳を立てたり、プロの噺家に監修を頼んだりして、ある程度のリアルさを出したつもりだ。今回、漫才という、より規模のでかい笑芸の世界を舞台にするにあたって、やはり同じようなスタンスで行こうと思い、まず十冊ほどの資料(漫才師志望者への案内本とか、漫才師が書いた自伝とか、興行会社のひとが書いた内幕本とか……)を読んだのだが、これが見事に内容がバラバラで、漫才コンビ一組一組言ってることもやってることもちがうし、所属事務所によってもまったくちがう。さっきも書いたように、もともとありえない設定なのだから、リアルさにこだわるのはあっさりとあきらめ、好き勝手にのびのび書くことにした。それが良いほうに働いたのか、自分で言うのもおかしいが、かなり面白いものができたように思う。

というわけで、本作は私の頭のなかにある空想・妄想の漫才界での出来事である。現実に似ている部分もあれば、まるでちがう部分もある。そういうところも含めて、お笑い好きなひともそうでないひとも、この大阪の漫才界を舞台にした本格ミステリ連作をお楽しみください。

※本エッセイは月刊ジェイ・ノベル2016年11月号掲載記事を転載したものです。

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