2月の文庫新刊『金の殿 時をかける大名徳川宗春』刊行に寄せて
かぶき者、時を超える! 土橋章宏
かぶき者と聞いてまず連想するのは、「花の慶次」で有名な、前田慶次であろう。漫画で知らなくてもパチンコで知っている人もおおいはずだ。奇抜な衣装に身を包み、豪放磊落、相手構わず好きなときに好きなことを言い、戦場を男の舞台として武勇を誇った男である。戦国時代はこういう武士も多く、京や大坂を大いばりで練り歩いたという。今で言えば、コスプレやハロウィン、昭和で言えば『ビーバップ・ハイスクール』のヤンキーだろうか。突っ張るのも命がけだが、さぞや楽しかったであろう。
しかし、時代が八代将軍吉宗のころまですすむと、もはやそんなかぶき者は見当たらない。戦もないし、街で暴れようものなら役人に捕らえられてしまう。徳川一族の日本支配は揺るがない段階まで来ており、吉宗が鶴の一声で「倹約せよ」と触れを出せば、武士も庶民も従うしかなかった。人々は贅沢をやめ、祭りも行われず、お葬式のような世の中となってしまった。
だが一人だけ、かぶき者のような武士がいた。しかも徳川一族の中に、である。
その男こそ、この小説の主人公、徳川宗春である。きらびやかな衣装に身を包み、三尺を超える長煙管をくわえ、白い牛に乗って練り歩く殿さまに、尾張の民は度肝を抜かれた。徳川御三家の尾張家の長とは言え、あまりにも吉宗の倹約令を無視している。
「倹約など民の覇気がなくなるだけよ。いざ、祭りを再開して踊れ。芸能を奨励し、夜は街に光をあかあかと灯せ。市を立てて金を使え!」
そんな命がくだされ、藩の家老たちは青ざめた。しかしながら、民は大いに喜んだ。金がまわって経済は発展し、芝居小屋も遊郭も大繁盛。宗春は、まるで資本主義の権化である。まさに「金の殿」だ。尾張は繁栄し、近隣の地からはどんどん人が流れ込んでくる。思えばかつてこの地で、信長も楽市楽座を築き、商人を集め、繁栄を呼んだ。かぶき者の殿さまが派手に遊んでいるように見えて、実は沈んでいた尾張の経済を見事に復活させたのである。
ではなぜ宗春はそんな人となったのか。それは彼が二十男に生まれたからである。つまり二十番目に生まれた男の子で、まるで出世の見込みがなく、江戸で遊び人となっていたからだろう。殿さまになるなど想像もしていなかったに違いない。ところが見る間に兄たちが急死や不祥事でいなくなり、大名の座がまわってきた。しかも尾張徳川家といえば御三家であり将軍の地位まで行けるかもしれないという立場だ。ニートがいきなり県知事になっちゃったくらいのインパクトである。
だが宗春はひるまなかった。遊び人も極めれば賢者となる。また、宗春は下世話に通じており、民のことをよく理解していたし、大きな思いやりを持っていた。吉宗が「武士のための財政」を考えたのに対し、宗春は「民のための財政」を考えたのは自然な流れだったのだろう。望みのないところに生まれ、人の痛みを知っていたがゆえにできた治政であった。
もっとも、宗春はやりすぎてしまい尾張の財政は後に破綻寸前となる。ついに吉宗からも隠居させられるが、民としては、宗春時代はよい時代であった。尾張がいまだに芸能が盛んな土地であるのは宗春のおかげでもある。
私が宗春という人を初めて知ったのは、吉宗周辺を調べていたときだったが、その奇怪な姿や活躍を知って、一発で好きになった。遊び好きな自分と気が合いそうだと思ったのである。また、奇妙な縁で、かぶき者の元祖・前田慶次の『一夢庵風流記』を書いた隆慶一郎先生は私の師匠筋にあたる。テレビ局から宗春の話を書かないかと誘われたとき、運命かもしれないと二つ返事で引き受けた。おもしろい宗春を主役にドラマを書いてみたかった。
設定は、もし宗春が現代にタイムスリップしてきたら──というお話である。何事も豪快で前向き、だがその内なる思想は孔子の教えで鍛えられている宗春。どんな境遇でも教育は必ずその身を助けるもので、愛の心に満ちあふれているのである。現代の息苦しさに悩む女性たちの前に現れた宗春は、持ち前の行動力と愛で、女たちの生き方を変えていく。人と触れ合うことを恐れる時代に、人と思い切り触れ合う男がやってきて引き起こすコメディ。
私の描いたかぶき者の宗春が、現代の閉塞感を少しでも打ち破れれば幸いである。