4月の新刊『御徒の女』刊行に寄せて
後回しの人生に 中島 要
ずいぶん昔の話ですが、女性の求人情報誌『とらばーゆ』のコピーで「わたしの二十四時間ですもの」というのがあった(と思います)。
当時、仕事に忙殺されていたわたしは「そうだよね、わたしの二十四時間だよね」と遠い目で宙を見つめたものです。
その後、体調を崩して勤めを辞め、時代小説を書くようになりました。おかげさまで以前より「わたしの時間」を得られるようになりました。もっとも、近頃は両親が年を取り、自分のことは後回しになることも増えましたが……。
時代小説を書いていて繰り返し思うのは、「現代に生まれてよかった」ということです。洗濯は洗濯機が、米を炊くのは炊飯器が、掃除は掃除機がやってくれます。蛇口をひねれば水、もしくはお湯が出ます。ボタンひとつで照明がつき、安全簡単に火が使え、作った料理を冷凍して保存することもできるのです。これら文明の利器を使わずに家事をしろと言われたら、わたしは裸足で逃げ出すでしょう。
当たり前のことですが、江戸時代の女性はこれらすべてを己の手でやっていました。
当時は戸を開け放している(閉めていても密閉性が低い)ことが多かったので、容赦なく砂や埃が室内に侵入します。毎日どころか朝夕雑巾がけをしないと、すぐじゃりじゃりになったはずです。
洗濯は毎日ではないにせよ、たらいに水を汲み、板にこすりつけて洗うのです。井戸から水を運ぶのも一苦労だし、大きな洗濯物は絞るのだって力がいります。寒い時期の洗濯は苦行そのものだったでしょう。
米を炊く釜はべらぼうに重く、火を使っている間は竈から離れられません。冷蔵庫がないから毎日買い物に行かねばならず、季節に応じた着物の支度も自分でしなくてはなりません。どんなに不器用だったとしても避けて通れぬ道でした。
さらに結婚して子供が生まれれば、子育てだって加わります。親が年を取れば、その面倒も見なくてはなりません。この過酷な重労働を年中無休で行うなんて――想像しただけで具合が悪くなりそうです。
毎日やるべきことがこれだけあれば、「わたしの時間」なんて持てるはずがありません。江戸時代の女性たちはいつも親のこと、夫のこと、子供のことを優先し、自分のことは後回しのまま老いを迎え、死に至ったはずです。だからこそ、心の中ではさまざまな葛藤があったでしょう。
女のおしゃべりをからかう「井戸端会議」という言葉がありますが、これは時間と金がないせいで編み出された憂さ晴らしの手段です。女たちは愚痴を言うために、手を止める暇などなかったのです。
大政奉還から百五十年、わたしたちの寿命は長くなり、家事は本当に楽になりました。しかし、わたしたちは「わたしの二十四時間」を手に入れることができたでしょうか。今は昭和のころより時間に追われ、疲弊している女性が多いような気がします。
女性の社会進出はますます必要になるでしょう。とはいえ、家事は誰がやっても同じというわけではありません。快適な暮らしには家族への思いやりが不可欠ですが、どんなに高性能な機械でも自動的に思いやってはくれないのです。
この『御徒の女』の主人公、栄津は平凡な女性です。江戸後期に「御徒の娘」として生まれ、長じて「御徒の妻」となり、「御徒の母」となりました。自分のことは後回しのありふれた人生を送りました。
彼女が生きた時代から百五十年を経た今も、家族を思いやって自分のことを後回しにしている女性が大勢いるのではないでしょうか。そういう人は忙しくて、きっと時代小説など読んでいる暇はないでしょう。
ですが、そういう人にこそ読んでほしくて、『御徒の女』を書きました。
少しでも共感していただければ幸いです。