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8月の新刊『神(カムイ)の涙』刊行記念ブックレビュー
馳星周が描く「足掻き続ける人々」杉江松恋

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ファインダーには収まらない

この世界は、誰かのポケットに入れるには大きすぎる。

スマートフォンのカメラを向けてみれば一目瞭然で、ファインダーには決して収まらないものがそこに広がっていることがわかるだろう。

馳星周『神の涙』は、その大きなものを描くことに挑戦した作品だ。舞台となるのは北海道の東部の町、弟子屈である。三人の人物を軸に、物語は静かに滑り出す。

平野敬蔵という老人がいる。誇り高いアイヌとしてその生活文化を守り続けている人物だ。娘夫婦が亡くなったために引き取った孫の悠と二人暮らしである。中学生の悠は祖父と違い、自身にアイヌの血が流れていることを前向きには受け止められずにいる。心ない級友からのいじめの原因になるからだ。中学を卒業したら弟子屈を離れ、都会の高校に進みたいと考えている。アイヌという出自が問われない、群衆の中に溶け込んでしまいたい。

平野家に尾崎雅比古という青年が訪ねてくる。敬蔵は山で伐った丸太で木彫りを制作して生計を立てていた。雅比古は気仙沼の出身だが、亡くなった母が敬蔵の作と思われる羆を大事にしていたのである。東日本大震災ですべてを失い、仮設住宅でひっそりと息を引き取った母は、なぜそこまで木彫りを大事にしていたのか。それを知るという目的の他に、雅比古には本州を捨てて北海道にやって来なければならないもう一つの理由があった。

「不可避の結末」と「当たり前の暮らし」

頑なに自分の世界を守ろうとするが孫娘のためには節を枉(ま)げることもある敬蔵、そんな祖父の思いに気づきつつも過去のしがらみから解放されて自由な未来を掴みたいと願う悠、木彫りの押しかけ弟子となって二人の生活に割り込んできた雅比古と、三者の想いが交錯する小説だ。雅比古には秘密があり、それがいかに起きたかということが現在の話と並行して語られていく。それによって本書にはサスペンスの興趣が呼びこまれるのだが、作者はいたずらに読者を追い立てようとはしない。平野家の日常が描かれる箇所で印象的なのは、悠が作る野菜と厚揚げのうま煮のような家庭料理、雅比古が師匠のために淹れるコーヒー、敬蔵が雅比古を連れて山に入った際に食べた味噌を塗っただけの握り飯といった場面である。誰かが準備してくれた食べ物や飲み物を喫し、語りながら心を通わせていく。そうした日々があることのありがたさを思わずにはいられない。雅比古には取り返しのつかない過去があり、不可避の結末に向って物語は進んでいる。だからこそ日常との対比が意味を持つのである。当たり前の暮らしがどんなに貴重なものであることか。

小説の背景には、自身の力を過信し、もっと大きなものの存在を無視し続ける者たちの愚かさを批判する視線がある。それを端的に言葉にするのは敬蔵だ。他人の私有地である山に入って警察に連行された彼は言う。「世界は神々のもので、人間はそこに住まわせてもらっているちっちゃな存在だ」と。敬蔵が他人の山に入って木を伐り、けものを狩るのは世界から恵みを分けてもらう行為であり、代償として山を恒常状態に保っている。自然に溶け込むことの意味をわきまえて生きるのがアイヌであり、和人たちは摂理から目を背け続けてきた。その結果がどうなるのかは誰にもわからないのだ。

いくつもの美しい情景

馳星周はこれまで一貫して人間の卑小さについて書き続けてきた作家である。一九九六年のデビュー作『不夜城』(角川文庫)を含む多くの作品群は、非情を基調にした犯罪小説であり、日本におけるノワールの旗手として常に注目されてきた。そうした作品の暗い性格と、自然の美しさを真っ向から描く小説である本書とは相反するもののようにも見える。しかし両者には、人間のできることには限りがあり、その中で足掻き続けるしかない、という観点が共通している。馳の犯罪小説においては、主人公たちは今在る自分に飽き足らず、非常手段を用いてその枠を打破しようとし続ける。だが、存在の卑小さというのは絶対なのであり、足掻けば足掻くほど残酷な真実を思い知らされることになるのだ。一九九八年の『夜光虫』(角川文庫)の続篇として本年馳が発表した『暗手』(角川書店)はまさにそうした作品で、地獄を見て人生に絶望したはずの男が、再び夢を抱いて自らの運命に抵抗しようとするさまを描いたものだった。そうした非情の小説を書く際と本書における希望の曙光を描くときで、馳の姿勢は一切ぶれることがない。人は小さく惨めなものだが、人であることを辞めることは誰にもできない。そのことを文章にするためにこの作家は書き続けている。

『神の涙』はいくつもの美しい情景が描かれる小説である。悠が初めて摩周湖の滝霧を観る場面、仕留めた羆に厳かな敬意を払う敬蔵の姿に心を打たれる人は多いはずである。自然の中に人がいる。その構図を魅力的に描くことに注力した作品でもある。

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