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馳星周『神(カムイ)の涙』刊行記念インタビュー
アイヌの地で感じ、描いたこと

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大ベストセラー小説『不夜城』をはじめ、犯罪や暗黒街を題材にしたノワール小説の第一人者・馳星周。新宿、酒、サッカー、葉巻などのイメージが強いが、軽井沢に移住して10年を超え、山と犬を中心とした生活にシフトチェンジした。馳のホームマウンテンのひとつ小浅間山に登り、最新作『神の涙』(小社刊)とアウトドアライフについて聞いた。
構成/田中久勝 撮影/近藤 篤 撮影協力/ティートンブロス

馳星周

故郷・北海道を舞台に

――最近の馳さんは王道のノワール路線から、ジャンルの幅がより広がってきていますが、その理由はなんですか?

馳:単純に歳を重ねたことが大きい。もうひとつは、今文芸不況と言われていて、なかなか本が売れない時代なので、好きなものを好きなように書こうかなと思いました。デビューして去年で20年。やっぱり20年もドンパチものを書いていたら、違うこともやってみたくなります。軽井沢に移住して11年になりますがこの地で登山を始めたり、興味の幅がどんどん広がっています。

――馳さんの生まれ故郷・北海道を舞台にした作品は、『淡雪記』『約束の地で』『雪炎』などいくつかありますが、最新作『神の涙』の構想はいつ頃からあったのでしょうか?

馳:3年位前だと思います。僕は北海道生まれで、40歳を過ぎた頃から北海道を舞台にした作品が増えてきました。それは18歳で東京に出てきてから、ほとんど顧みることがなかった故郷に対する想いというのが、歳を重ねるにつれて出てきたことがあります。また、今の経済至上主義の日本人の在り方が嫌いで、長いスパンでみれば、縄文時代に帰ることができたらいいのになと思っています。自給自足で、その日食べるものだけを森や畑からとってきて、生活するスタイルです。でも、縄文時代を舞台にした小説を書くわけにはいかないので、いろいろ考えていると、アイヌの人たちの文化というのは縄文時代から連綿と続いているものなのかなと感じ、書いてみようと思いました。僕は小さい頃、周りにアイヌの人がたくさんいる環境の中で育ち、差別というものを目の当たりにしてきたし、もしかしたら自分もアイヌの人たちから見ると、差別的な発言をしていたのかもしれません。そういうことへの贖罪も込めてということを最初に思いました。

――『神の涙』では、今も差別に苦しんでいる家族を主役にし、自然を敬い、神と共に生きるアイヌを描くことで、現代社会、日本人への警鐘を鳴らしています。

馳:さっき小浅間山からの下山途中に、森の中でカモシカを見かけましたね。カモシカはいいのですが、今ニホンジカが異常に増えていて、農作物や森林にも被害が出ているので駆除しなければいけない状態なのに、わかっていない人たちが「人間の身勝手で……」とか言うわけですよ。でも人間の身勝手でオオカミを滅ぼした結果が招いている事態なのだから、オオカミの代わりを人間が務めなければいけないんだ、というのが都会にいるとわからない。
里山の問題もそうです。里山には高齢者が多く、山の手入れができなくなって、人里と山の境目があいまいになってきています。そこにクマをはじめとする山の獣が出現し始め、なんとかしなければいけないということは、田舎に住んでいる人たちはわかっています。しかし都会にいる役人は、そこに予算を落としてなんとかしようという切実感がない。本当に切実な問題だと思うのに。

馳星周

――その切実な問題を、『神の涙』の登場人物の言葉に込め、語らせています。原発の問題もしかりですが、日本全体の問題が、この小説の中には存在しています。差別と自然と、そして優しさがこの作品の大きな柱になっていると感じましたが、北海道が舞台だからこそ、書けた小説でもあるのでしょうか?

馳:一番重要だったのがアイヌの文化と自然に対する考え方だったので、北海道でなければ成立しないし、ヒグマの存在が必要でした。やっぱり日本で一番大きくて強い生き物であるヒグマを自然の象徴として、登場させたかった。それとこの小説の大きなテーマになっている“ゆるす”という概念は、軽井沢で犬と暮らしている中でどんどん大きくなってきた思いかもしれません。僕ら人間のことを彼らはいつもゆるしてくれているんです。

――この作品のキーマンでもあるアイヌの木彫り作家・平野敬蔵について伺います。木彫り作家という職業設定はなにかヒントになる人がいたのでしょうか?

馳:取材に行った時に、アイヌのことをいろいろと教えてくださった方も木彫り職人でした。その方がとてもユニークな方で興味を持ったのと、本物の木彫りの凄さを、フューチャーしたいと思いました。阿寒湖の畔に工房を持っている、有名な木彫り職人さんのところに見学に行った時に、その作品の迫力に、素直に欲しいと思ったほどです。伺った時、ちょうど彫っているところで、寡黙なその姿を見て、感じるものがありました。

――尾崎雅比古という青年を、東日本大震災で親を亡くしているという設定にしたのは、なぜでしょうか?

馳:原発というのは、縄文文化を継承しているアイヌ文化とは対極に位置するものだし、やっぱり3・11は終わっていないんだぞということを言いたい部分もありました。

――敬蔵の言葉一つひとつが、今の馳さんの胸の内を語っているようです。ラストはまさに“ゆるし”たことで、清々しい空気を作り出していました。

馳:雅比古と悠(中学3年生)の世代で、敬蔵がやってきたことを受け継いでいかなければいけないので、そういうところを考えたラストです。僕はどちらかというと、ビシッと決まるオチが好きではなくて。余韻を残して読者が想像できる終わり方が好きです。

――この作品で、馳さんの作品に初めて触れる人は、ノワールの第一人者と呼ばれている作家の作品とは思わないでしょうね。

馳:これを読んで面白いと思ってくれた人が、次に『暗手』とかを読んだらのけぞりそうですよね(笑)

――これからも自然を舞台にした作品は増えていきそうですか?

馳:増えていくと思います。人は人の中にいるといろいろな顔を作れると思いますが、自然の中にいると作れないんです。自然の中では素の自分が出てきます。それと、この作品でも描いていますが、勇気を与えてくれるのは、やはり家族と友人だと思っています。一方で、僕は20代の頃は「人は一人で生きていく生きものだ」と思っていたタイプだったのですが(笑)。この変化はやっぱり大きいと思います。

馳星周

山と犬と小説と

――馳さんの作品は、それぞれ作風が違うのが、いいところですよね。

馳:自分の中では何の違和感もなく、いろいろなタイプの小説を書いています。そういう意味では今一番脂が乗っていると、自分で言っています(笑)。40歳を過ぎてから、小説を書くのが本当に楽しいです。それまでは、ベストセラー作家だからとか、変なしがらみがあって、余計なことを考えてあまり仕事が楽しくなかったのです。もちろんプロだから、それなりの作品を書かなければいけないのは当然ですが、軽井沢に来てから肩肘張らなくなったというのが、大きいと思います。

――馳さんというと、酒、ゲーム、プロレス、サッカー、葉巻というイメージが強かったのですが(笑)、今は自然の中でゆっくり犬たちと暮らすことが、一番の安らぎであり、興味があることですか?

馳:そうですね、犬たちと毎日笑って暮らせたらいいなと思いますね。

――料理好きの馳さんらしく『神の涙』の中にも、鹿肉のカレーが登場したり、ハンバーグの詳細なレシピがあったり、おいしいコーヒーが出てきたり、読んでいるだけでおなかが空いてきました。

馳:料理に興味があるのではなく、僕は主夫なので(笑)。我々のご飯も、犬のご飯も全部僕が作っています。今年5月に京都の京丹波で猟師をやっている友人のところに遊びに行った時に、獲ったばかりのイノシシの肉を食べさせてもらいましたが、驚くほどおいしかったですよ。野生の動物は脂が本当においしい。でも獲る時に苦しませると、ストレスがかかっておいしくなくなったり、捌き方ひとつで臭くなったりするらしいです。

――まさに自然の恵みですよね。『神の涙』の中にも、敬蔵がヒグマを解体するシーンがあって、「血抜きをしないと生臭くて食えたもんじゃない」というセリフが出てきます。

馳:人生で一番おいしかった肉は、クマの肉です。クマは森の恵みしかエサとして食べていないので、脂がドングリのような香りで、本当においしかった。軽井沢にもクマがいますが、里に下りて来て人間が出した残飯とかをエサにしているクマの肉は、おいしくないと思います。

――犬はもう家族なので趣味とはいえないと思いますが、馳さんの今の一番の趣味は何ですか?

馳:ネットで最新の登山ウエアをチェックすることですね(笑)。一番刺激を受けるのは先ほども出ましたが、登山です。

――登山にハマったきっかけは、何だったんですか?

馳:軽井沢に移住してきて、いつも犬の散歩をしながら写真を撮っている時、冬の浅間山がものすごくきれいだなと思ったのですが、ある日、モルゲンロートという、雪の斜面が太陽の光を受けて真っ赤に染まる現象を見たんです、そのあまりの美しさに感激して、下から見てこんなにきれいなんだから、上から見るとどうなんだろうと思ってしまったのが運の尽きです(笑)

――登山の一番の魅力は何ですか?

馳:達成感です。登った者だけが目にすることができる風景の美しさも、達成感の中に入っています。あの森林限界を越えて、尾根に出た時の最初の達成感はたまらないです。そこから山頂までの尾根歩きの気持ち良さは他にはない。登山を始めて7年目ですが、だんだん体力もついてきて、そうするとどんどん難しい山に登れるようになって、自分の限界を更新できることが楽しいです。去年は奥穂高岳(標高3190m)という山に登ることができました。岩場の連続で遭難者も出るくらい難しい山です。実は僕は高所恐怖症なのですが、師匠に教わったこと、自分が知っていることを間違いなくやっていけば、絶対に登れると言い聞かせて挑戦しました。足元を見ると怖くて体が動かなくなるけど、難しい箇所をクリアする度に経験値が上乗せされていく感じが、面白いです。18歳で北海道から東京に出てきて以来、今が一番体力があると思います。

(2017年7月 軽井沢にて)

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