電車で読むと泣ける小説『終電の神様』阿川大樹インタビュー
『終電』のタイムリミット性から物語が生まれる
2017年2月に文庫オリジナルで発売された『終電の神様』(実業之日本社文庫)。発売以来、じわじわと感動が広がって、9月に10万部を突破。JR東日本の書店チェーン・ブックエキスプレスの書店員が選ぶ「エキナカ書店大賞」にも決まりました。著者の阿川大樹さんに、お話をうかがいました。
構成/青木千恵 写真/秋山直子
「終電」の持つタイムリミット性
――まずは『終電の神様』を書かれたきっかけから教えてください。
阿川:きっかけはふたつあって、ひとつは「鉄道がらみの短編ミステリー」の依頼をいただいたこと。もうひとつは「終電」が面白いんじゃないかと思いついたことです。1編、2編と書くうちに、全体の流れができていきました。
――「終電」をイメージされたのはなぜですか?
阿川:最初はミステリーの縛りがあったので、終電や人身事故の持つタイムリミット性と絡めようと考えました。恋愛関係の試練、生きるか死ぬかの試練にとらわれていた人が、電車の緊急停止で身動きがとれなくなる。するとそこに物語が生まれるかなあ、と漠然としたイメージでしたね。
――1話目の「化粧ポーチ」はミステリー短編で、書いた順番でいうと次に「スポーツばか」を書かれています。文庫では「ブレークポイント」が2話目として収められていますが、前後させた理由は?
阿川:「ブレークポイント」は、エンターテインメント小説としてどうなのかなと迷ったんです。物語の始まりと終わりで登場人物の心の中は変わってはいるし、おそらく読者の人も読んだ前後で気持ちが変わる。だから物語としてはアリ。でも彼らの抱える問題は特殊な話なので、「化粧ポーチ」のようなミステリーの次ならいいかなと。受け入れられるか疑問でしたが、「ブレークポイント」がよかったという感想がけっこう返ってきていて、こういうのもありなんだと、再認識しました。
――第3話は「スポーツばか」。競輪選手の彼と別れようか悩んでいる女性が、いよいよ彼の部屋に向かうのですが、電車が停まってしまいます。
阿川:スポーツ選手とつきあっていた知人から、「いっしょにいてすごくいいんだよね」と聞いたことがきっかけで生まれた話です。仕事を持つ女性は多いし、プロフェッショナルな仕事をしているからこそ、恋人との時間は大事で、かつ相手の負担になっていないか悩む。スポーツ選手とつきあっていると、そんな葛藤が顕著にありそうだし、べたべたいっしょにいるわけじゃないけど互いを大切に思う恋愛が書けるかなと。
――このふたりは別れるんでしょうか?
阿川:どうなんですかね(笑)。女性の側からすると、グレードの高い競輪選手だからつきあっているわけではなく、ストイックに取り組んでいる彼を、ある種の敬意を持って「いいな」と思っていた。スポーツ選手じゃなくても、立派でありたい、と勝手なプレッシャーを感じているのは、男の方がたぶん多いですよね。自分で自分を縛って苦しんでいるけど、女の人が評価するのはそこじゃない、そうじゃなくてもいいんだよと、肯定的に言いたい気持ちがありました。
「現実を受け入れるしか……」の先にあるもの
――第4話「閉じない鋏」は、7編の中でも“お気に入り”に挙げる人が多いですね。「電車で読んでいて泣いた」といった声が見られます。
阿川:ヒントになったのは「柴垣理容院」。創業明治2年、現存する日本最古の西洋理髪店です。横浜市黄金町にある僕の事務所の近くにあります。あるとき、閉店間際に「これから行きます」と電話をして、なおかつ用事で20分くらい遅れてしまったら、店主が椅子を入り口に向けて、立って待っていてくれたんです。職人さん、客商売をする人の気概を感じて、いつか物語にしたいと思っていました。ちょうど編集部から「文芸誌の商店街特集に掲載します」と依頼されて、即座に思いつきました。
――第6話「赤い絵の具」では友だちのいない女の子が登場します。
阿川:第1話から、電車で足止めされる人たちを描いていますが、ここで初めて、人身事故を起こす側が出てきます。「赤い絵の具」のヒントは、「学校をさぼって絵を描いていた」という、黄金町のアーティストの言葉でした。黄金町は「アートによる街づくり」を掲げていて、たくさんのアーティストが活動しています。僕は学校をさぼって本を読んでいたけど、絵を描く人はさぼって絵を描くんだ、と妙に感心して覚えていました。“友だちいなくちゃいけない圧力”って、僕らの頃より強くなっているようです。でも、自分を曲げてまで無理につきあわなくてもいいじゃない、あなたの大事なものはほかにあるんじゃないの? と僕は思っていて、ずっと前に読んだ山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』といった青春小説の空気を借りて書きました。
――最終話「ホームドア」では、シングルマザーが登場します。
阿川:ラストは、明るく終わらせたい気持ちがありました。善意で生きていても、時間が経つにつれて流れるところに行くしかないってことがある。コツコツ積み重ねていけばいい未来が来るとは限らない。現実を受け入れて生きるしかないですよね。それでも希望を持って生きてきたよね、よかったね、と幸せな方向へ向かって終えたかった。
――想像すると笑える場面もありますね。
阿川:気づく人と気づかない人がいると思いますが、それでいいんです。世間的には「変わっている」と思われるような人も、ことさら特殊にとらえず、普通に描いていくのは、今回の本で徹底したところです。
長編でも描けるドラマを短編に凝縮
――黄金町に事務所を構える阿川さんは、高架を走る電車をふだん目にしていたわけですね?
阿川:終電って、だいたい混んでいますよね。たとえば京急線の下りは1日200本くらい走っているけれど、終電はなかでも特別な1本です。その1本を狙う人には特別な事情がある人が多いだろうと。7話のうちの4話は黄金町にいてヒントを得た話なので、舞台を「K町」にしました。
――細かい部分まで作り込まれていますが、意識して書かれたのでしょうか?
阿川:原稿用紙50枚の短編ですけど、それぞれ300枚でも書けるような内容を濃縮したつもりです。もったいない書き方かもしれませんが、それゆえに「自分はこの話がよかった」といろんな感想をいただいているのかなと。本ってそれぞれの読み方があって、たった1行でもピンと来るところがあれば、読んでよかったと思える。電車に乗っているいろんな人の人生を詰め込むのが全体の意図で、結果的に、読者の琴線に触れるところが多い短編集になったのかもしれません。
――続々重版されています。
阿川:「けっこういいのができた」という自信はありましたね。今回はこれまでになく放ったらかしで(笑)、自由に書かせてもらいました。いいのかな? と不安を感じながらも、これが自分の小説だとストレートに書いた。それが読者に受け入れられたのは、小説を書き続けていいと、僕のありようを肯定されたようで、とても嬉しいです。
――こんなに売れると想像されていましたか?
阿川:うん、まあ、それは相当びっくりしてます(笑)。2刷決定は発売からほんの数日だったんですよね。それだけでもすごいと思ったら、最近は短期間で重版がかかるので、贅沢にうろたえています。
――「エキナカ書店大賞」を受賞したお気持ちは?
阿川:『D列車でいこう』(徳間文庫)もブックエキスプレスの方が熱心に推してくださいました。今回も書店員さんの実行力と熱意がよく伝わってきました。タイトルや装幀が駅ナカのロケーションにマッチしていたから、書店員さんも「うちの店ならいける」と思ったのかもしれません。この「うちの店ならいける」というのは大事で、「自分はこの本をこうやって売る」というイメージをそれぞれのお店の人が持てて、いろんな並べ方をしてくださった。出版業界の中にいて「本が売れない」「本屋さんが減っていく」と鬱々としていましたが、読んでもらえるんだと、晴れやかな気持ちになる機会をいただきました。
――今後、書いていきたいことを教えてください。
阿川:「思うばかりで実現できずにいること」を、物語で形にできたら、読む人が希望を持てるし、それが小説家のできることだと思います。選択肢はもっとあるんだと提示していきたい。あとは、他人には取るに足りないことでも、ある人にとってはすごく大切なことがたくさんあると思うので、拾い出していきたい。各人がいろんなものを大事にして追求できたら幸せで、充実した暮らしができるんじゃない? と言いたいですね。
(2017年8月 横浜市黄金町で)
あがわ・たいじゅ
1954年東京都生まれ。東京大学在学中に野田秀樹らと劇団「夢の遊眠社」を設立。企業のエンジニアを経て、シリコンバレーのベンチャー設立に参加。99年「天使の漂流」で第十六回サントリーミステリー大賞優秀作品賞受賞。2005年『覇権の標的』で第二回ダイヤモンド経済小説大賞優秀賞を受賞し、デビュー。主な著書に『D列車でいこう』『インバウンド』『横浜黄金町パフィー通り』など。