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9月の新刊『崩れる脳を抱きしめて』刊行記念ブックレビュー
知念実希人が描く恋愛ミステリー 青木千恵(フリーライター、書評家)

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作家デビュー5周年記念作品は「恋愛×ミステリー」

著者の知念実希人は2011年、第4回島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を『レゾン・デートル』で受賞、翌12年、同作を改題、『誰がための刃』で作家デビューを果たした。それからの活躍はめざましい。シリーズものでは「天久鷹央の推理カルテ」シリーズが累計で部数を伸ばし、2015年に『仮面病棟』(2014年)が啓文堂文庫大賞を受賞、ベストセラーに。単行本では『優しい死神の飼い方』『黒猫の小夜曲(セレナーデ)』、文庫書き下ろしも次々書き上げている。

さて、知念実希人といえば、やはりミステリー。知念実希人デビュー5周年、実業之日本社創業120周年記念作品である本書は「恋愛小説」だが、不可解な「謎」に引っ張られる、恋愛×ミステリーとなっている。

研修医の碓氷蒼馬は、神奈川県葉山町の海沿いに建つ「葉山の岬病院」で1ヶ月間の研修を行うことになり、2つ年上で28歳の入院患者、弓狩環(ゆがり・たまき)と出会う。「ユカリ」と呼ばれている彼女は膠芽腫(グリオブラストーマ)という悪性の脳腫瘍を患っている。〈グリオブラストーマは極めて脆い腫瘍だ。一部が壊死して脳出血を起こすことも多い。そうでなくてもこのまま増大し続け、近いうちに彼女の命を奪うだろう〉。莫大な遺産を相続している彼女だが、脳内の「爆弾」の破裂や彼女の死を待つ遠縁の相続人の魔の手を怖れて外に出られない。一方、父が作った借金に縛られ続け、健康で自由でも余裕のない生活を送っていた蒼馬は、ユカリと出会って父に対するわだかまりを解かれ、彼女といると胸が締め付けられるような幸せを感じ、初めて恋に落ちていく。

数ある難病もの、恋愛小説の中で、著者ならではの会心作

〈男女が惹かれ合うのは、子孫を残すために遺伝子にインプットされた本能にすぎないんですよ。それを『愛』なんて言葉で誤魔化していますけど、結局……〉と、愛だの恋だのをシニカルに見ていた蒼馬が、「生まれる前に引き裂かれた半身」のような運命の相手と出会う。目前の世界が輝いて見える。しかし、好きになった彼女は脳に「爆弾」を抱えていた。さらに思いもよらない展開が待ち受ける――。

難病を抱え、「別れ」が来ると知りながら恋をする物語は数々ある。がんに冒された恋人と死に別れた実話が書籍化されてベストセラーになった『愛と死をみつめて』(1963年)。映画なら夫と幼い娘たちのいる若い母親が余命2ヶ月と告知される「死ぬまでにしたい10のこと」(2003年)。最近作なら「きっと、星のせいじゃない。」(2014年)をイチオシで挙げたい。病に冒されたユカリに恋をする本書も“難病もの”である。また、そもそも「恋愛小説」なるものが膨大に存在する中で、本書は著者ならではの恋愛ミステリーだ。

「謎」に引っ張られ、意外な展開が連なり終盤になって解き明かされていく、緻密に仕込まれたミステリーであること。巧みな文章力によるリーダビリティの高さ。安定感、安心感、ユーモア、現役医師としての知識に裏づけられた医療のディテール。

本書は、デビューでゆかりのある広島県福山市を主人公の故郷にしており、広島、神奈川という主要舞台の描写も読みどころだ。個人的には、古今の映画好きが「あっ」と思う部分があって魅力的だったし、ゴールデンレトリバーや黒猫など、過去作の名キャラも姿を見せてファンには嬉しいところである。

運命がどうあろうとも、人は誰かを好きになる

そして、恋愛とミステリー、2つのテーマが収束するラストがいいのだ。

私が著者の小説を初めて読んだのは2作目の『ブラッドライン』(2013年、2017年『螺旋の手術室』と改題して文庫化)だった。がぜん注目して3作目『優しい死神の飼い方』(同年)の書評も書く機会に恵まれ、“この著者は、『死』や宿命にいかに向き合うかをテーマにしているのではないだろうか”と記した。まあ、私の憶測に過ぎない。著者の真意は分からない。ただ、医師として人の病、生死と向き合ってきた著者は、「死」というともすれば重いテーマをエンターテインメント小説の中に描き込む。本書もそのひとつ。

どうしてその人が好きなの? って、ほんとうに分からない。恋とは不思議なもので、する、のではなく、落ちる、もの。非論理的であるぶん、逆に言えば、こうだ。

運命がどうあろうとも、人は誰かを好きになる。

著者はちゃんとメッセージを持ち、小説を書く。デビュー5周年を迎えた著者は、これからさらにどんな小説に挑んでいくのか、目が離せない作家だ。

なお、本書の装画は人気イラストレーターのげみさん。見事なイラストが添えられた単行本ながら本体価格1200円と、入手しやすい価格なのも魅力。

いまも誰かが誰かを恋している。誰かにとってはなんでもない人が、誰かにとっては大切な人。解き難い「謎」だけれど、すてきな「謎」だ。

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