10月の文庫新刊『夜明けのカノープス』刊行記念作品解説
珍しい星『カノープス』をモチーフにした物語 渡部潤一(天文学者・国立天文台副台長)
よく晴れた夜、街明かりを離れて星空を見渡してみてほしい。天の川の見えるような星空に恵まれれば、そこには数千もの星たちが輝いているはずだ。そして、よく眺めていると、そのひとつひとつが微妙に違っていることがわかるだろう。明るさも、色も、瞬き方も、そして動き方さえもみな違っている。オリオン座の星たちは東の地平線に現れたと思うと、ほぼまっすぐに上ってくる。もっと南にみえる星たち、たとえばさそり座などの星たちは南東の地平線に現れてからも、ぐずぐずと高く上らずに南の地平線に沿って動いていく。その動きは、オリオン座に比べると、なんだか重いように思える。
そんな重い動きの星の代表格が、本書のタイトルになっているカノープスである。りゅうこつ座という星座に属する一等星で、全天で二番目に明るい。日本のような北半球中緯度から見ると、南の地平線近くに現れることになり、特に北緯37度よりも北の地域では地平線の上から上ることが無く、原理的に見ることができない。東京では見えるのだが、それでも地平線から高く上がることはなく、その高度も最大で約2度である。これは、ちょうど満月の4個分の高さゆえ、地平線までよく晴れた夜、しかも南中する前後しか見ることができないという、とても珍しい星である。見えたとしても、南の地平線に沿って這うような動きとなる。さらには、もともと青白い星だが、地平線に近いために、激しく瞬き、そして夕日が赤く見えるのと同じ原理で真っ赤な星として見える。中国でも事情は同じだが、赤は中国ではおめでたい色ということで、古くから天下国家の安泰をもたらす吉瑞とされ、南極老人星あるいは南極寿星(じゅせい)という名前でとても大事にされていた。周の時代には寿星祠(じゅせいし)や寿星壇(じゅせいだん)が設けられ、日本でも平安時代には老人星祭が行われており、小説の中でも紹介されているように、この星が見えたことがひとつのきっかけとなって改元された例さえもある。
いずれにしろ、とても希にしか見えない星に、人間は限りなくロマンを感じるようで、カノープスは日本全国の天文ファンの人気の的である。カノープスを見られる北限競争が行われたり(山形の月山が現在の最北記録)、信州では木崎湖の上にカノープスが現れる「龍燈(りゅうとう)伝説」を追って、5年以上にわたって木崎湖に通い、実証した人が居るほどだ。実は、私自身もカノープスファンである。私の生まれ故郷の会津では見ることができなかったため、長い間憧れの的だった。上京してからも幾度となく挑戦してきたが、好きが高じて、自宅をカノープスが見える南側が見晴らしのよい武蔵野の高台に建てるに至ったほどである。ただ、地方によっては、カノープスは不吉な言い伝えも残されている。例えば房総半島の「布良(めら)星」伝説。布良は房総半島突端の漁村の名前で、かつてこの村の漁船がしけにあって行方不明になり、その魂が星になって海上に現れる、と伝えられている。そのため、この星が見えると暴風雨の前兆とされていた。奈良や大和地方では「源助星(げんすけぼし)」「源五郎星」などと呼び、これも悪天候の前兆とされている。高度が低いまま、地平線を這うようにして、すぐに沈んでしまう様子から、その動きが怠け者に見えるので、瀬戸内地方では「横着星」、小豆島では「無精星」、淡路島では「道楽星」などとも呼ばれていた。
穂高明は、このようなカノープスの様々な特徴を、ひとつのモチーフにして、実に見事に文学へと昇華させている。そもそも導入部からして、すでに重い。物語がすっと明るく立ち上がっていくのではなく、重苦しい雰囲気でのろのろと這うように展開していくのは、まさにカノープスが現れてから、南の地平線を這うように動く様子そのものだ。出版社に契約社員として勤務する主人公・映子には、なにか明るい希望の光が見えているわけではない。両親の離婚、実家の火事、成就どころか、自ら言い出せない恋愛感情、そして教師への夢の断念といったマイナスの事象が物語の中で語られる様子は、カノープスが激しく瞬く様子そのものでもある。
そんな中、偶然にも歴史物の出版企画で、両親の離婚以来会ったことがなかった父に出会う機会を得る。ほとんど同時に昔から憧れだった先輩に出会う機会を得る。それぞれの人生が交錯しながらも、特に劇的に発展していくわけではない。発展して欲しいと思いつつも、一歩を踏み出せない様子に、やはり地平線から劇的に高く上るわけではないカノープスが暗喩として使われている、といってもよいかもしれない。恋愛感情のやるせなさ、自分自身への情けなさ、そういうもやもやした、はっきりしない状態こそ、映子にとってのカノープスそのものなのだ。
明確な方向が定まらないまま、穂高は後半で実際のカノープスを登場させている。父との間で進む歴史企画の中で、この星を登場させ、それが父と娘を結びつけていく絆になっていく。星について明るくない主人公は、いささか変人として描かれる天文ファンの同僚から、様々なヒントを得て、この星の情報を父との企画に取り入れていくのだ。もともとが企画そのものに関われないような立場であった契約社員としては、明るい兆しとして描かれている。そして、最終場面で、父娘はついにプラネタリウムに一緒に向かう。普通に何事も無ければ、かつて幼い頃に共にしたであろう、父と娘の関係へと戻るのだ。それがとても長い歳月を経てのことゆえ、なおさらに重い情景だ。ただ重いながらも、どこか明るい兆しが差して来つつある。カノープスは寿星であり、みれば長寿が叶うという伝説から、主人公の映子は、再会以来、ずっと言い出せなかった言葉を口にするのだ。「お父さん、長生きしてください」と。完全に明るく展開させることはなくとも、地に足がついた明るさを持たせて終わらせるあたりが、穂高明の作品の真髄だろう。おそらく、この作家は自らも似たような経験を経た上で、それらを想像力という触媒を介して、豊かな文学へと昇華させているのだろう。
本作品のためにカノープスを選び出したのは成功である。なにしろ、ちなみに西洋名のカノープス(Canopus)というのは、もともとギリシア語で、トロヤ戦争の時の人物の名前で軍艦の水先案内人であった。見えない、作品後の物語がカノープスの導きで、明るく展開していくことを予感させる。夜空に輝く星々にも、それぞれ個性的な一面があるように、穂高明が次にどのような人生を取り上げ、どのような物語を紡ぎ出し、文学へと昇華させていくのか、今後が楽しみである。
*本記事は『夜明けのカノープス』巻末の「解説」を転載したものです。