12月の文芸書 宮下奈都『緑の庭で寝ころんで』刊行記念インタビュー
本屋大賞受賞前後の4年の日々が たっぷり詰まったエッセイ集
『羊と鋼の森』で2016年本屋大賞を受賞し話題となった宮下奈都さんの、最新のエッセイ集が小社から刊行されました。小社からは『はじめからその話をすればよかった』(2013年刊) に続き2冊目のエッセイ集となります。その内容や、小説とエッセイの執筆の際の違いなどについて、お話をうかがいました。
聞き手・構成・撮影/fuプロダクション
――本書には、宮下さんが住んでいる地元の福井新聞社発行の月刊情報誌「fu」に連載されている「緑の庭の子どもたち」を中心に、日々の暮らしを綴ったもの、自作について書いたものなどのほか、掌編小説、歌詞、福井県立音楽堂で上演された音楽朗読劇の台本なども収められていますね。
宮下:わが家の子どもたちのことを題材にしたエッセイ「緑の庭の子どもたち」の連載が4年間を超え、長男が家を出て一人暮らしを始めたこともあり、一度まとめておきたいと思ったことが、まずありました。
その他の原稿は、『はじめからその話をすればよかった』に収録したもの以降に書いた中から選びました。エッセイ以外のものも、とても気に入っているので入れたかったんです。たとえば2017年のNHK全国学校音楽コンクール課題曲になった「いまだよ」の歌詞や、掌編「左オーライ」「椿」など、発表後の反響も大きかったので。
エッセイには本屋大賞を受賞した前後の時期の素直な気持ちもたくさん出てきます。私のこの4年間が、いろんな形で詰まっている感じですね。
――「自分の本業は小説を書くこと」だという宮下さんですが、エッセイと小説を書く時の違いはどこにありますか?
宮下:私の場合、右脳と左脳ぐらい脳の違う部分を使っている感覚があります。小説はほんとうに書きたいことを突きつめて突きつめて書くもの。だけどエッセイは、普段の言葉づかいで書けてしまう感じなんです。特別じゃないことでも「どこを選ぶか」「どう切るか」を決めるまでが迷いますけれど。それが決まれば、あとはわりと早いですね。「創る」ということをしていないので、ほぼ素の自分が出ているのがエッセイでしょうか。
あまりに身近な話を書いているので、何を書いたか忘れてしまうことも多いんですが、読み返してみると、「これは、この時の自分しか書けなかっただろうな」と思います。
この本に収めた「原稿用紙の上の花火」という文章の中に、高校生たちに「私の好きなこと」についての作文を書いてもらった時のことが出てきます。その際、彼らの作文を「今このときの彼らからドンと打ち上げられた花火みたいなものだ」と感じたのですが、私のエッセイも一回一回、花火を燃やしているようなものだと思います。
あらためて読んでみると、周りの人にいろいろ助けてもらったことなど、大事なことなのに忘れていたことを思い出したりします。この作為のない自然な感じが読む人にも伝わって、気持ちをほぐしてくれたらいいなと思います。
――小説を書く時は、エッセイ執筆時とは全然違うモードなんですね。
宮下:原稿は居間で書いていて、同じ部屋で子どもたちが宿題やゲームをしていることもよくあるのですが、小説は「一人で書く」感覚なので、自分が「小説モード」に入っている時は周りに家族がいてもまったく意識しません。その世界に深く入りこんでいる感じです。子どもたちに言われたのですが、「小説モード」の時の私は、食事の時もちょっと雰囲気が違うらしいです。少し不愛想や不機嫌に見えるというか。エッセイは家族と話しながら書いたりすることもあるので、全然違いますね。
周りに人がいると仕事にならないのがゲラを直す時ですね。意識して集中しないと出来ないので、これだけは一人になれる時間にやっています。
――本書の約半分を占める4年分の「緑の庭の子どもたち」は、地元の情報誌での連載ということで、いい意味でとてものんびりした雰囲気が出ていると思います。最初に連載の話があった時、どう思われましたか?
宮下:「子どもたちをテーマに」と依頼されたので、「それならいくらでも書ける!」と思いました。ずっと育児日記をつけているんですが、それでは物足りなくて、もっとちゃんと子どもたちのこと、暮らしのことを書いてみたいという気持ちもありました。
当時、長男が中学2年、次男が小学6年、むすめが小学3年でした。まず、彼らに「君たちを題材にするけど、いい?」と聞いたところ、返ってきた反応は「いいよ。書かれたものと自分は違うし」「気にしないよ」という感じでした。
長男と次男は本当に全然興味ないみたいで、連載が始まってからも読んでいないようです。男の子ってホント、母親のことなんか興味ないんですよ!(笑) 一番下のむすめだけはずっと読んでいて、「ママ、面白かったよ」なんて言ってくれます。
連載の最初の頃は、私という作家を知らない人に自分のことをわかってもらおうと、構えて書いていたようなところがありました。だけど福井県内に住んでいると、直接会った方から「『fu』の連載、読んでますよ」と声をかけてもらうことがとても多くて、読んでもらっていることが直に伝わってくるんです。だから、私と家族のことを知ってくれている方が読者だという信頼感が芽生えてきて。そうなると、カッコつけようと思ったりしないし、説明しすぎなくてもわかってもらえるし、リラックスして書けていると思います。
――「fu」の読者アンケートでは、「ほのぼのとした大河ドラマを見ているみたい」という感想がありました。子どもたちの成長を読者も一緒に見守っているような感じでしょうか。
宮下:その感想はすごくうれしいですね。家族と一緒にいる時に読者の方に出会うと、「子どもさんたち大きくなりましたね」なんて言っていただくこともあります。
ただ、子どもたちもそれぞれ性格が違うので、慎重になる部分もあります。例えば受験のことに関しても、大らかな長男の場合は「受かっても落ちても題材として書けるな」と思っていましたが、次男の場合はどうだろうかと思ったり、子どもによって書き分けているところは当然あります。
それに、子どもを題材に書きながらも、そこだけにとどまらず、もうちょっと深く掘り下げて敷衍(ふえん)したい、という気持ちもあります。そこがうまくいって初めて、多くの人におもしろいと思ってもらえるエッセイになるんじゃないでしょうか。
――「緑の庭の子どもたち」に限らず、宮下さんのエッセイには家族のことがよく出てきますね。
宮下:家族の存在は大きいですね。素の自分について書くと、どうしても出てきます。家族について書くのは自然なことなんです。でも、次男が高校を卒業して家を出ていった後には、書く題材が「緑の庭」に一人残るむすめに集中してしまうので、それも辛かろう……と。次男の高校卒業が「緑の庭の子どもたち」の連載を終える一つのタイミングになるかなと思っています。
でもね、家族のこと以外の話もいーっぱい入ってます。好きな本の話や、自作解説なども、じっくり楽しんでいただけたらうれしいです。
――2018年はどんな年になりそうですか?
宮下:2月に『羊と鋼の森』が文庫化され、6月に映画が公開になります。そのあたりでまた楽しいことが起きそうでわくわくしています。
それと、出したいと思っている小説があって、この一年はそのための準備をしたり、書き始めたりということをしていました。これが実を結ぶようにしたいと思っています。本屋大賞を受賞した後、とても楽しかったけれど、それで小説がうまくなったわけじゃないし、小説を書くときの気持ちは変わってない気がします。自分でも、「また新しい小説を書く」ということが楽しみでしかたがないんです。
(2017年12月 福井市内にて)
みやした・なつ
1967年福井県生まれ。2004年「静かな雨」で文學界新人賞佳作に入選、デビュー。07年に刊行された書き下ろし長編『スコーレ No.4』が絶賛される。15年刊行の『羊と鋼の森』が本屋大賞2016を受賞。他の著書に『よろこびの歌』『終わらない歌』『誰かが足りない』『窓の向こうのガーシュウィン』『ふたつのしるし』『つぼみ』、エッセイ集『はじめからその話をすればよかった』『神さまたちの遊ぶ庭』などがある。