文庫『桜の下で待っている』刊行に寄せて
ここに樹を植える 彩瀬まる
新刊のテーマは「ふるさと」でどうでしょう。
そう打ち合わせの最中に言われたとき、「いいですね。色々と広げて書けそうで」とにこやかな相づちを打ちながら、私は内心で「どうしたものかな」と少し迷っていた。ふるさと、ふるさとかァ。これほど今までの人生で実感の無かった言葉も、あまりないんじゃないだろうか。
父親の仕事の関係で、引っ越しの多い子ども時代だった。幼稚園は三回ぐらい替わった気がする。海外に住んでいた時期もある。ふるさとと言われて思い当たる土地は浮かばず、地方上京組の知人が何気なく口にするジモトという言葉にほのかな憧憬すら持っていた。
ただ、自分が根無し草だという自覚があったのか、子どもの頃から妙な癖があった。行く先々で軒先に吊された洗濯物を眺めながら、自分がこの家の子どもだったら、と仮定する。縁側がぎしぎし鳴りそう。駅までは少し遠いから、たぶん自転車をたくさん使うことになる。あの大きな犬の散歩もしなければ。なついてくれるかな、いや、犬ってけっこういじわるなのもいるから、お父さんやお母さんには尻尾を振って、私にはフーンって感じかも。もちろんお父さんお母さんだって違う人になる。それは一体どんな生活だろう。そう、遠い岸辺を見るように思っていた。
依頼を受けてしばらくのあいだは、ふるさとという言葉をひたすら頭の中でこねくり回した。土地に対する愛着が薄いのだから、それ以外の要素から攻めていくしかない。私の中で、ふるさとという言葉に一番近づけそうなのは、味覚に由来する記憶だった。
五歳の頃にアフリカのスーダンで食べていた、バターなんて一かけらも入ってなさそうなこちこちの丸パン。(よく小さな虫が張り付いて一緒に焼かれていたので、そこだけナイフでこそげとった。味は素朴で、おいしかった。)父方の祖母が作ってくれた、里芋といかの煮っ転がし。母方の祖父母の家で年末年始に出された大鍋のおでん。なぜか死んだ母親の料理は一品たりとも思い出せない。毎日作ってくれていたのに、思春期の多感な時期に亡くしたせいか、記憶が理不尽なくらい真っ白に飛んでいる。あとは、父親がたまに作ってくれた甘ったるいフレンチトースト。こうしてずらずらと思い返せば、私にはふるさとはなかったけれど、家はあったのだな、とありがたく思う。
その辺りから、私がふるさとという言葉で想起するのは、土地の記憶に限ったものではないのかも知れない、と思い始めた。むしろ個人の起源という感覚に近い。目の前にいる一人の人間が、この人になるに至った道筋をゆっくりと遡る。そこには土地もあるだろうし、人もいるだろう。実在の場所よりも、かつて熱中した本やゲームなど、架空の世界に愛着を持つ人がいたっておかしくない。それなら血肉をくれた親の起源は、どのくらい子どもに影響を与えるのか。私はどのようにして私になったのか。
ふるさとに欠落を感じるならば、それをそのまま書いたっていいじゃないか。そんな思いが最終話につながった。生きていて、それを望むなら、いくらだって新しいふるさとを作ることはできる。好きな樹を一本植えて、ここにしようと決めるだけでいい。欠落をただ受け入れるしかなかった子どもも、やがて大人になっていく。ふるさとを愛する人にも憎む人にも、満ちた人にも欠けた人にも、素敵な春が訪れることを願っています。