文庫『三人屋』刊行に寄せて
記憶の中の究極のご飯 原田ひ香
昔、虎ノ門の小道の奥に、白いご飯がめっぽううまい、と評判の小料理屋があった。
小料理屋の名前の通り、小さな木造のしもた屋風の造りだが(意図してしもた屋風にしたのか、それとも寄る年波でそうなってしまったのかは定かでない)、夜はなかなかの値段を取る料亭に近い店だ、と聞いたことがある。
聞いたことがある、というのは、残念ながら夜は訪れたことがないからだ。めっぽううまい白飯というのは、昼のランチメニューであった。きっかり千円で、ご飯と赤だしの味噌汁、鮭かたらこを選ぶ。ご飯だけはお代わり自由。千二百円出すと西京漬も選べた。そんなメニューで千円は高いと、皆、文句を言いながら通っていた。しかし、それだけの価値のある白飯を出す店だった。
私は当時、二十代。今より五キロ以上痩せていて、食も細かった。白いご飯というものも、そう好きではなかった。それでも、その店に行くと三杯はお代わりしてしまう。本当は四杯食べたいのをぐっと我慢した。
しばらく店から離れていると、「なんで白飯に千円も。そこらの定食屋だって十分美味しいのに」と思う。けれど、時々どうしようもなく食べたくなり、一口、ご飯を口に含むとはっとする。やはり、ここのご飯は特別なもので、他のどこにもないものだと。
だから、テーブル四席にカウンターという造りの店が、いつも行列だった。丸の内、新橋、霞が関界隈のおじさんたちが皆、集まってくるんじゃないか、と思うほど、サラリーマンであふれていた。
仕事をやめてからも、私は時々、そこに通った。自分自身に思い出させるために。美味しいご飯というのは、こういうものだ。これを目指して毎日ご飯を炊こうと。
けれど、事情があって、様々な場所に移住する生活を余儀なくされ、次第に店から足が遠のいた。
この本を書くに当たって、ぜひ、またあのご飯を食べたい、と調べたところ、残念ながら、数年前に閉店していた。
だから、作品の中に出てくる白飯は、記憶の中の、ここのご飯をじっと思い出して書いた。
店の名誉のために付け加えておくと、鮭もたらこも西京漬も味噌汁も、たぶん、最高級の品をそろえていたのだと思う。焼きたらこは、外側だけがカリッと焼けて、中は半生だった。その焼き加減がまたすばらしかった。
故ナンシー関さんのエッセイの中に、当時、超人気のティーンエイジャーアイドルグループの女の子が「引退したら、友達と一緒に地元で飲食店をやるのが夢」と言っているのはいかにも「ヤンキーらしい」、というような一文があった。
ヤンキーの夢かどうかわからないが、「お店屋さん」「飲食店」の物語を一度は書きたい、というのは、物書きの夢ではないだろうか。少なくとも、私の夢ではあった。
だから、とても嬉しい連載だった。
連載中、ふっと、「私、この商店街のことなら永遠に書き続けられそうな気がするんですよ」と担当編集者さんに口走ったりしたこともあった。
しかし、最後はそんなに甘いことはなく、やはり相応に苦しんだ。
それでも、物語の終わった今でも、登場人物が私の中に生き続けている。森野くんも三觜(みつはし)さんも、村田さんも彦一さんも大(だい)ちゃんも、皆、まだラプンツェル商店街にいて、毎日文句を言いながら商売を続けている。
こういう作品はめずらしい。私にとって特別な一冊になりそうだ。
※本インタビューは月刊ジェイ・ノベル2015年7月号掲載記事を転載したものです。
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