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池井戸 潤 新版『空飛ぶタイヤ』刊行記念インタビュー
泣き寝入りする現実より、単純で、純粋なエンタテインメントを

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〈これは喧嘩だ/敵は大ホープ。それでも買うしかない/だけどこれだけはいえる。正義は我にありだ〉
ある日突然起きた、大型トレーラーのタイヤ脱落事故。運送会社社長が奪われた人命への道義的責任と迫りくる経営危機に直面する中、トレーラーの製造元である財閥系自動車メーカーにリコール隠しの疑いが――。
さまざまな人々が真実に向かって立ち上がる、池井戸潤さんの社会派エンタテインメント大作『空飛ぶタイヤ』。6月15日の映画公開を前に、装いも新たに発売された単行本新版が好評発売中です。刊行から12年にわたりロングセラーを続ける本作品を、今、新たな形で世に問う意味を、映画の見どころとともに伺いました。
構成/大谷道子

――『空飛ぶタイヤ』は、「月刊ジェイ・ノベル」に2005年から翌2006年にかけて連載された作品。当時、相次いで発覚した巨大企業の不正や、内部告発による事実の発覚など、社会で関心の高かったテーマを扱った骨太な物語は、発表当初から大きな反響を呼びました。

池井戸:今では法令遵守と訳されるコンプライアンスという概念が、世の中に広まり始めた頃に書いた小説ですね。実際、世の中でいろんな事件が発覚して、大企業なら何をしても許されるのか? というような問題意識が、自分の中にもあった。社会問題と正面から向き合っているという点で、僕の作品の中ではテーマ性の高い小説といえるのではないでしょうか。
 とはいえ、小説としては、純粋なエンタテインメント。広義でのミステリー、サスペンスと位置づけてもいいと思っています。もともとは当時、エンタメを書いているつもりなのに本を出すたびに企業小説の棚に入れられるのを不満に思っていて、それならいっそ自分から企業小説らしいものを書いてやろうとして書いた作品。いわば開き直りの産物だったわけですが、そうしたら意外なことに直木賞の候補に挙げられたりして、文芸作品として認知されることにもなりました。

――ご自身としても、作家人生の転機になった作品だと。

池井戸:そうですね。僕の中で『空飛ぶタイヤ』は、同時期に発表した短編集『シャイロックの子供たち』の長編版的な位置づけなんですが、この2作を書いていた頃から小説の書き方が変わったと思います。それまで、ストーリーを先に組み立てて、そこに人物を合わせるような書き方をしていたんですが、それではどうしても無理が出てしまう。人をちゃんと書けていないと小説は面白くならないんだと気づいてから、プロットを捨て、登場人物を描くことに専念するようになりました。

――事故の原因を整備不良とされ、窮地に陥る運送会社の経営者・赤松徳郎の奮闘を軸に物語は展開しますが、対する財閥系大企業・ホープ自動車側も、関連企業を含めて実に多くの部署・ポジションの人物が登場。そのほか、家族たち、事件を追う記者、捜査を担当する警察官など、立場の異なる人々がそれぞれの立場で抱く思いや行動、葛藤がつぶさに描かれています。

池井戸:ちゃんと数えていないんですが、全部合わせると70人近くの人物が出てくるんじゃないかな。小説は、書いていてキャラクターがブレるのがいちばんよくない。だから、この作品を書いていたとき、はじめて登場人物一覧表を作ったんです。顔写真つきで。写真ですか? 経済誌などから、自分の想像にもっとも近いなと思った人の顔を切り抜いてストックして、その中から「悪役っぽいのは誰かな」と選んで貼ったりして(笑)。そんなことをしたのは、後にも先にもなくて、この作品だけですね。

――事件の裏側が明らかになっていく過程で、キャラクターたちの心情や行動が変化していく様子がリアルです。とくに、赤松と直接的に対立するホープ自動車の顧客サービス担当課長・沢田悠太は、自分の信念を貫いたかと思えば、ときには体制側におもねってもみせるという、複雑な動きを見せる人物ですね。

池井戸:彼は、むちゃくちゃ生々しいサラリーマン。正義感はあまりなくて、自分の得になることを常に考えている、自分に正直なタイプです。最初は鼻持ちならないなぁと感じられるかもしれませんが、彼が変わっていく過程を追うことで、読者も理解を深めていく。こういう、作品における変化球のようなキャラクターの存在はすごく大事で、物語を動かすのに大きな働きをしてくれます。

――彼の取った行動の中で印象に残るのは、社内での議論を常に書類として残し、自分の立場を明確に周囲に示しているところ。ちょうど現在、公文書の偽造や官僚の発言の不一致が、別の組織の議事録などから明らかにされたという出来事がニュースを賑わわせているだけに、賢く手強い人物なのだなと納得させられました。

池井戸:あれは、実に官僚的な発想ですね。あるいは、日本の財閥系大企業のやり方です。たとえば組織の中で何かをやりたいと発案して、どこかの部署に打診したのにダメだと言われたとする。そのやりとりを、あえて書面で行い、過程を残しておくんです。そうすると、後で別の方面から「なぜあの企画をやらなかったんだ」と問われたときに、書面を出せば、否定した側の判断が間違っていたという証拠になる。こちらには傷がつかないうえに、星が増える。だから、書面にしておいたほうが絶対にいいんです。

――そして物語中、沢田ともうひとりの人物が内部告発を行います

池井戸:内部告発をした人物は、本当はちゃんと保護されなければならないはずですよね。とはいえ実際にはどうかというと……という、難しいところです。

――さらに現在は、内部告発をした人が、ネットでさらに不特定多数に叩かれる時代です。

池井戸:ネットは、何でも叩きますよね。たとえば、ある事件が報道されると、犯人を非難する声が上がるのと同時に、被害者の側を批判する人間が出てきたりする。それが、変にエンタメ化しているのが今でしょう。
 たとえば政治家のプライベートについてガンガン叩く。でも、その人の仕事ぶりはどうだったのかという本質的なことについては、誰も検証しない。で、盛りが過ぎたら、すぐ忘れる。皆がある意味楽しんでいるだけなのに、それを正義だと思ってやっているというのは、タチが悪いなと思います。

――そういう世の中の体質は、変わらないんでしょうか。

池井戸:変わらないでしょうね。日々、ニュースを見ていても、「何だよ、これ」と思うようなことばっかり。だから、いちいち反応しないで真面目に小説を書いていたほうがいいと思います(笑)。
 ただ、実際には、世の中には賢い人はちゃんといて、冷静に世の中を見て、自分の考えを持って動いている人は、実はたくさんいるんじゃないかと。

――たとえば、『空飛ぶタイヤ』の中でなら、ホープ自動車をグループ企業として支援する立場にあるホープ銀行の担当者・井崎一亮は、情実や忖度にとらわれずに冷静に状況を見ている。彼とその上司などは、「上質な人物」といえるのではないでしょうか。

池井戸:彼は、そちら側の人でしょうね。そういう人たちは、SNSに変な書き込みをしたりしないからなかなか表には出てこない(笑)。けれど、どこかにはいるんだろうなと思います。

――そして、『空飛ぶタイヤ』は、池井戸作品としてこのたび初の映画化が実現しました。6月15日の公開が待たれますが、すでに作品をご覧になられたそうですね。

池井戸:はい。原作を読んだ人なら、誰もが「あれ、2時間で収まるのか?」と思われるでしょうが、原作のエッセンスを抽出して、一本の映像作品としてうまく仕立ててあった。骨格をちゃんと残して構成すれば面白いものができるという、いい例なのではないかと思いました。  主演の長瀬さんは、いつもあんなに熱いのかな?(笑)。小さな運送会社の社長をまったく違和感なく、迫力たっぷりに演じてくださった。ディーンさん演じる沢田の、クールなエリート像も、まさに小説のイメージ通りで、はまっていたと思います。赤松と沢田、二人の男が分かり合っていく過程が繊細に描かれていて、かつベッタリしていない、サラリとした関係なのも好ましいと感じました。

――原作と異なっているのは、どんなところでしょうか。

池井戸:主人公・赤松の息子が通う学校の、PTAで起こる問題について、原作ではかなりのページ数が割かれていますが、映画ではその部分が削られています。あそこは、連載を単行本化するときにも、削るか残すか議論した部分でしたが、映画では削ったことで、より筋運びが明快になったと思います。
 そのほか、沢田の家族構成なども、原作とは少し異なっていますが、それもいいアレンジだと思います。

――主人公が窮地に立たされる前半が辛く厳しいぶん、ラストの大逆転が効いてくる。小説同様、その痛快な展開を、映画館でも多くの人が期待して足を運ぶと思います。

池井戸:原作を読んだり、映画を見たりして、「現実はこんなふうにうまくはいかない」と思う、そういう現実原理主義者もいますよね。小説を書くのは、日々、その人たちとの戦いといってもいい(笑)。でも、僕が書いているのはフィクションであり、エンタテインメント。大企業に対して、中小企業や個人が泣き寝入りするような結末は、文学的かもしれないけど、エンタテインメントとしては成立しないし、そもそも、僕はそういうものは好きじゃないんです
 「いつも同じ展開」という声もありますが、だからといって、それを裏切って変えるのも間違いだと思っています。同じだと言われても、また同じものを書くのは正しいんじゃないかと。だって、それを期待して読んでくれる人がいるわけで、そこを裏切ったら多くの読者を失うことになるんですから。

――痛快な面白さを担保しつつ、新しい物語を提供していくと。

池井戸:そう。エンタテインメントは複雑にしちゃいけない。ビジネス上での難しいやりとりなどは、取材すれば書けるし、リアリティーを増すことはできるんだけど、感動するポイントにはなり得ないんです。
 感動を呼ぶには、やっぱり喜怒哀楽にダイレクトに訴えかけるしかない。かといって、お涙頂戴という描き方ではなく、単純に、でも純粋に楽しめる作品にすること。映画もまさに、そういう作品として成立していると思いますね。

(2018年4月 東京都内にて)

池井戸潤(いけいど じゅん)
1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒。『果つる底なき』で江戸川乱歩賞、『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、『下町ロケット』で直木賞を受賞。他の作品に、半沢直樹シリーズ(①『オレたちバブル入行組』②『オレたち花のバブル組』③『ロスジェネの逆襲』④『銀翼のイカロス』)、花咲舞シリーズ(『不祥事』『花咲舞が黙ってない』)、『シャイロックの子供たち』、『ルーズヴェルト・ゲーム』、『民王』、『ようこそ、わが家へ』、『七つの会議』、『下町ロケット2 ガウディ計画』、『陸王』、『アキラとあきら』などがある。

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