わたしのすみか
第2回 グラウンドの土 逢坂 剛
一九九九年(平成十一年)の、日本推理作家協会の会報五月号に寄稿した、わたしの雑文『第一回ソフトボール大会顛末記』の、冒頭部分を紹介する。
『去る四月十六日(金)、神宮絵画館前野球場において、天皇皇后両陛下(注/現上皇ならびに上皇后)ご欠席のもと、推協主催の第一回ソフトボール大会が、にぎにぎしく開催された。河野治彦、真保裕一両会員と小生が発起人となり、協会員に積極的参加を呼びかけたところ、二十名を超える多数の協賛者を得たのは、望外の喜びであった…… 』
そう、推協のソフトボール分科会が発足して、すでに二十年が経過したのである!
その間、いろいろな怪我やアクシデントがあったのは事実だが、とにかく暴風雨と真夏日と真冬日を除いて、月に一度プレーし続けた会員諸氏の執念には、頭の下がる思いがする。
チーム名は、推協が〈酔狂ミステリーズ〉、編集者グループが〈偏執エディターズ〉。
中には、甲子園に出たとか出そこなったとかいう、元高校野球選手もいたような気がするが、野球とソフトボールは似て非なるもの。そうした選手が、タイミングを合わせそこねて、空振り三振は日常茶飯事。そこがソフトボールの、むずかしいところだ。
しかしながら、出場選手の年齢から考えても、怪我とアクシデントは、避けられぬ運命にあった。まずは、MK会員の鎖骨複雑骨折事件。剛爺こと、わたしのフェンス転落複雑挫傷事件と、同じく後方転倒脳震盪事件。HK会員の脳挫傷半死半生事件。M編集者の肩甲骨破砕ボルト挿入事件。YY女性編集者の盗塁失敗滑り込み擦過傷事件……等々、数え上げればきりがないほどだ。とにかく、死人が出ないのが不思議なくらいだった。
もっとも、そういう事態を恐れてあらかじめ、次のルールを決めてあった。
①オーバーランOK。
②盗塁厳禁。
③滑り込み厳禁。
④フォークボール厳禁。
⑤体当たり厳禁。
⑥刃物使用厳禁。ただし封殺、挟殺、捕殺はよし。
にもかかわらず、勝手に転んで負傷する選手が続出したのには、まいったです。
しかし、それも最初のうちだけで、だんだん怪我人が減っていったのは、さすがに学習したのであろう。
ちなみに、わたしは小学生のころから、野球少年だった。野球部にも、リトルリーグにも所属したことはないが、ピッチャーとキャッチャーを含めて、一度も守ったことのないポジションは、一つもない。野球もやればソフトもやるし、話変わって上手出し投げ、揺りもどしも得意わざだった。
試合はウィークデーに行なわれるが、会員はおおむね自由業なので、いつでもOK。編集者諸氏は、これも仕事のひとつなので、問題なし。ときどきそれを忘れて、真剣にファウルフライを取りに行く、不心得者もいますがね。
午後の時間を楽しく過ごして、そのあと打ち上げでビールなんぞ飲むと、これはもうわが家の縁側でくつろぐのと、ほとんど一緒。
球場は、神宮絵画館前野球場から始まり、あちこち転戦したものの、今年度から地下鉄外苑前駅徒歩三分環境良墓地至近日当抜群の青山運動場が、ホームグラウンドとして定着した(実業之日本社さまのおかげです)。これは、狭いながらも人工芝にダグアウトつきの、れっきとした野球場である!
〈ついのすみか〉として、これ以上の場所はない。来年度、東京五輪のために接収されないかぎり、またわたしがグラウンドの土とならぬかぎり、まさに終生のすみかとなるであろう。
おうさか・ごう
1943年、東京生まれ。中央大学法学部卒。66年博報堂に入社。80年「暗殺者グラナダに死す」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。87年『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。97年6月に博報堂を退職、作家業に専念する。2014年、日本ミステリー文学大賞、15年には『平蔵狩り』により吉川英治文学賞を受賞。最新刊は「百舌シリーズ」の完結編『百舌落とし』。他に「御茶ノ水警察署シリーズ」「禿鷹シリーズ」「重蔵始末シリーズ」「平蔵シリーズ」など、多数のシリーズ作品がある。