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わたしのすみか
第3回 城  伊東 潤



「わたしのすみか」と言われ、すぐに思い浮かぶのは城だ。そもそも私が小説家になったのも、たまたま訪れた城がきっかけだった。
 42歳まで小説家になろうなどと考えたこともなかった私は、中世古城にインスピレーションを受けて小説を書き始めた。具体的に言うと、ある城を見て感激し、城めぐりのホームページを開設しようとしたのが発端だった。しかし文章を書き始めると歴史小説風になってしまう。それで調子に乗って小説を書き、紆余曲折を経てプロの小説家になった。
その「たまたま訪れた城」の名は山中城。箱根山の西南中腹、標高580メートルに広がる山城である。現在の行政区画では静岡県三島市に含まれる。
 この城には天守がない。それどころか建築物の一つもない。ところが最近、こうした土の城に対する理解者(=マニア)が急増し、晴天の土日になると、四季を通じて来城者が途絶えないのだ。
 一般的にイメージされやすい城というのは、城主や家族、またその家臣団が居住ないしは常駐し、地域の統治拠点としていた城だと思うが、この城は戦国時代、平時は関所、戦時は街道封鎖の役割を担わされていた。ところが戦国時代末期の小田原合戦の直前になって、戦闘用の城に改装されたという経緯がある。
 忘れもしない2002年5月1日、家族旅行で箱根に行き、三島まで足を延ばそうとなり、箱根峠から国道一号線を下っていくと、「山中城」という看板に出くわした。
それまで歴史といっても、司馬遼太郎氏や吉村昭氏の小説を読んできたくらいの私にとって、山中城の名は聞いたことはあっても、山中湖畔近くにある城だと思っていた。
 ちょうど昼時だったので、当時まだあった蕎麦屋で昼食を取り、その後、城内を散歩してみた。天守や建築物のない城があることくらいは知っていたので、その点について抵抗はなかったが、その城の堀の異様さには舌を巻いた。それが障子堀との出会いだった。
 障子堀とは堀の中に障壁を設けたもので、堀の中での敵兵の移動を妨げる目的で造られている。障子堀には単列と複列があるが、とくに複列のものが見事な造形美で、そこに芝生が貼られているので、さらに美しく見える(戦国当時は土が剥き出しなので、正確な復元ではないのだが)。
それから私は土の城の魅力に取りつかれ、城めぐりが趣味となった。かれこれ訪れた城は650余に及ぶが、1000城くらい軽くクリアしているマニアがいるので、たいした数ではない。
 白亜の天守を持たない土だけの城のどこに魅力があるのか。興味のない方はそう思うだろう。しかし平和な江戸時代、大名の威光を示すために築かれた城よりも、戦国時代、敵がいつ攻めてくるか分からない緊張状態の下で造られた城の方に魅力を感じるのは、私だけではないだろう。
つまり様々な制約の下、いかに堅固な城を築くか、知恵を絞って考えられているところに土の城の魅力はある。
まず城は地形に左右されるので、城取り(設計担当者)の自由度は低くなり、自然地形と折り合いをつけながら縄張り(全体構造)を考えていかねばならない。しかも造るのに要する人員の数、また資金面でも厳しい制約があるので、大半の城造りは思うようにはいかない。
そうした障害を乗り越えて造られた土の城には、人間の英知が結集されている。とくに埼玉県の杉山城、茨城県の小幡(おばた)城、東京都の滝山城、そして前出の静岡県の山中城といった名だたる土の城には、城取りの誇りと気概が感じ取れるほどだ。
私は城に行き、そこで戦国時代の城取りと会話する。
「なるほど、そういう意図があったんだね」
「でも、落城しちまったよ」
「あんたは、この城で死んだのかい」
「ああ、縄張りを描いた責任があるからね」
かくして戦国時代、全国で4万2000前後と言われる数の城が築かれてきた。しかし江戸幕府の一国一城令によって大半の中世古城が廃城とされ、草生(くさむ)した山奥で永遠の眠りに就くことになる。
今でも私は藪を漕ぐようにして中世古城に行き、城取りたちと会話する。その時、武骨な土の城こそ私のいるべき場所、すなわち「わたしのすみか」だと思うのだ。






いとう・じゅん
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『黒南風(くろはえ)の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』(PHP研究所)で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』(講談社)で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』(光文社)で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』(講談社)で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』(新潮社)で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)をそれぞれ受賞。『城を嚙ませた男』『国を蹴った男』『巨鯨の海』『王になろうとした男』『天下人の茶』で5度、直木賞候補に。最新刊に『潮待ちの宿』(文藝春秋)がある。