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わたしのすみか
第5回 我が家改修迷走記  木内 昇

 どうも妙だな、と感じたのは、改修工事がはじまって半月ほど経った頃だった。二年前から住んでいる我が家の話である。築およそ半世紀という古家のため補修が必要だったこと、また、家で仕事しているので使い勝手をよくしようと、引っ越すにあたり少し直すことになったのだ。

 建築やインテリアには興味があり、以前住んでいた古家も折々に手を入れてきた。その都度お願いしていた工務店さんはしかし、あいにく職人さんの高齢化により店じまいしてしまった。はて、新規の工務店をどう探したものか……と困っていたところ、だったら建築家にお願いすれば? と知人が提案してくれた。工務店だとパーツまで打ち合わせが必要だが、建築家ならイメージを伝えるだけですべて形にしてくれるから、と。ちょうど連載が立て込んでいた時期だったから、そいつぁ名案、と舵を切った。

 大幅な改修ではなく、もとの家の造りを極力活かすつもりだったので、作家性の強い方より臨機応変に対応してくれる人に絞り、某氏に行き着いた。いい人そうだったので安堵したのだが、デザインとなるとこれといった案が出てこない。手を抜いているというより、なんというか脳味噌を通していないというか。やむなくこちらがイメージ写真など集め、時にはサイズや工法まで伝えて、やっと形になるような具合。この段階で仕切り直せばよかったのだが、でも悪い人じゃあないし、と私は心を鎮めた。「通いだと大工が疲れるので住みながら工事をさせてくれ」とのとんでもない要求も許可し、差し入れも欠かさなかった。

 が、現場に顔を出すたび、残すはずだった梁が取っ払われている、入れるはずの家具を発注し忘れている、といった問題が生じている。某氏は「僕が監理します」と工務店を入れなかったのだが、各職人に指示が通っていない模様。その上、なぜか自ら買って出た柱や家具の塗装は、はみ出しやら塗り残しのオンパレード。白い壁紙を汚した塗料を、某氏が修正ペンでごまかしているのを見付けたときは目眩がした。それでも、きっと予算を抑えるために頑張ってくれたのね、と気持ちをなだめていたのだが、プロに頼んだのと同料金をなぜか人数増しで請求されたのを見て、なんともいえない気分になった。

 増え続ける蔵書のために新たに造った書庫も例に漏れず。前の家の作り付け本棚がえらく使い勝手がよかったので、現場を見てもらい、色と素材を同じにし、四六判を出し入れするのにちょうどいい棚の高さを指定し、かつて泊まった宿の書庫を全体図として示し、と十二分に打ち合わせした……のだが、ここもまた、色も寸法も違えば、塗りむら多数、壁面と本棚の間に隙間まで生じているという無残な結果に。



 他にも不具合が多々出たので、やむなく某氏に問い合わせるも、把握していないのだろう、職人のせいにするばかり。挙げ句「自分は知らない。瑕疵(かし)ではない」とおぞましい開き直りを演じたのだった。

 詳細は書けないが、結局中立的立場の専門家が調査に来てくださって、数十箇所に及ぶ問題点のほとんどが瑕疵だと認められた。が、某氏はあくまで「ペンキって、はみ出すことがあるじゃないですか」といった抗弁で逃げる。はみ出すことがあるから、養生するのに。「彼は、これまで培ってきた低いレベルを守るのに必死なんです」との専門家の見立てを聞き、私は渋々撤退を決めた。

 幸い、このあと直しに入ってくれた工務店さんがすこぶる優秀だったので、「わたしのすみか」はただいま快適である。しかし親しい者からは揃って「なぜ某氏の本質を最初に見抜けなかった」と呆れられ、「いい人そうだから」との安直な判断に従った己を反省した。いい人だから、優しいから、お願いしやすいから──仕事の場では、そんな表面的基準で判断がなされる様をもっとも厭うているのに。いい仕事をする人は矜持を保って事に当たる分、細かかったり厄介だったりもする。それを面倒に思ってはいかんのだ、と改めて肝に銘じた出来事だった。




きうち・のぼり
1967年東京生まれ。出版社勤務を経て、編集者・ライターとして活動。2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。『茗荷谷の猫』が話題となり、09年早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。他の作品に『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』『光炎の人』『球道恋々』『火影に咲く』『化物蠟燭』『万波を翔る』など。最新刊は『占(うら)』。