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わたしのすみか
第11回 小さな図書室 藤岡陽子

 いまから三十年以上前、十二歳の私は、中学受験を目指して進学塾に通っていた。とはいえ、もとから準備して臨んだ受験ではなかった。

 私が中学受験をするに至った背景には、三歳上の姉の存在がある。姉はとにかく勉強ができる人で、高校受験を前に、母親が担任の先生から「この子ならどの高校でも入れます。地元の公立高校に進ませるのはもったいない」と言われたそうなのだ。うちの両親はといえば、父母ともに貧しい家庭で育ち、やっとの思いで高校を卒業したような人たちだった。二人そろって教育には無関心で、父なんかは「女が大学に行ったら結婚ができなくなる」と本気で言っていたのだ。

 それが、担任のその一言で、両親はがぜんやる気になった。賢い長女を、女子が入学できる、京都で一番偏差値の高い高校に入れようと色気を出してしまった。そして姉は中学三年生の途中から進学塾に通い出したわけだが、なぜかその時に私まで同じ塾の小学部に押し込まれた。あわよくば、長女と同じ難関校の中学部に、次女も入れたらラッキーだと考えたようだった。

 このようにして私の塾通いは、小学六年生の六月から突如始まった。

 いまから考えれば、そんな時期から難関中学校を目指すなんて無理に決まっている。でも受験に関しての知識がない両親は、そんなことにまるで気づかなかった。そしてその結果、私は塾の落ちこぼれ、劣等生になったのである。

 受験勉強が苦痛でたまらなかった私は、いつからか、塾の教室に入る前に、塾内にある図書室に寄るのが日課になった。図書室といっても十畳ほどのスペースに、書架が五連並んでいるだけの小さな部屋だ。でもあの時代はいろいろな意味で豊かだったのだろう。そんな小さな図書室にも、司書のおばさんが常駐していた。

 六年生のそんな時期に、毎回のように図書室に寄る生徒など、私しかいなかった。本を借りていく受験生も私だけ。けれど私には、そこしかなかったのだ。塾の授業がさっぱりわからないので、図書室へ行って本を読むことだけが、当時の私の楽しみだったのだ。

 図書室には、受験国語では出題されない外国の童話なども置いてあった。もちろんそれらを借りているのは私だけ。当時は、本を借りる時は、裏表紙の見返しに貼り付けられたポケットに入っている貸し出しカードに氏名を記すのだが、本の裏には「藤岡陽子」の名前だけが増えていった。

 いま思えば私の本好きは、ここからスタートしたような気がする。受験勉強についていけない私は本を読んで現実から逃避し、でも本から力をもらって、塾の教室に向かったのだ。ちんぷんかんぷんの授業に挑んだのだ。本から「苦しみを乗りきる力」を得る経験をしたのは、あれが初めてのことだった。




 姉妹そろっての入塾から八か月後、姉は見事に難関高校への合格を決め、妹の私は不合格となった。入試当日も、試験問題がさっぱりわからず時間が余ったのだから、当然の結果である。でもこの苦しいことだらけだった中学受験は、私に「本の力」を教えてくれた。

 それから十年後、二十二歳の時に私はもう一度、この小さな図書室を訪れた。就職活動がうまくいかず、途方に暮れていた時にふと、あの図書室を訪れてみたいと思ったのだ。

 その頃はまだ塾も同じ場所にあって、図書室も十年前のまま、ほとんどなにも変わらなかった。司書のおばさんだけはいなくなっていたけれど、「この塾の卒業生です」と告げると、塾の先生は、図書室を見て回ることを許可してくれた。

 大学四年生になっていた私は、書架の本を片っ端から手にとって、裏表紙の貸し出しカードを確認した。驚くことに「藤岡陽子」の名前がまだあった。「藤岡陽子」しか借りていない本が、何冊もそこに残っていた。

 私は十二歳の自分が書いた文字に力をもらい、その後も就職活動を続け、新聞社への内定をもらった。優秀だった姉は司法試験を目指していたのだが、勉強に飽きてふらっと受けたテレビ局に合格し、そのまま就職した。

 最後に訪れてから二十年以上の時を経て、塾があった場所はバイク屋さんになっている。  

 小さな図書室も消えてしまった。

 でも自宅で小説を書いていると、どうしてか時々、いまも塾の小さな図書室に座っているような気がすることがある。ここにしか自分の居場所はないと思っていた、あの時の気持ちに繋がるのだ。

 もしタイムマシンがあれば、十二歳の自分に言ってあげたい言葉がある。
「きみの未来は、ここに続いているよ。負けずに頑張れ」

 私のすみかは本に囲まれたあの場所で、これからもずっと、そうだと思う。
 



ふじおか・ようこ
1971年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。報知新聞社を経て、タンザニア・ダルエスサラーム大学に留学。帰国後、慈恵看護専門学校を卒業し、看護師に。同時に小説を書き始め、2006年「結い言」が宮本輝氏選考の北日本文学賞の選奨を受ける。09年、看護学校を舞台にした青春小説『いつまでも白い羽根』でデビュー。著書に『むかえびと』『トライアウト』『手のひらの音符』『満天のゴール』『跳べ、暁!』『きのうのオレンジ』などがある。