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わたしのすみか
第13回 アラウンド・ザ・ワールド・フリースタイル執筆  新川帆立

 私の特技はどこでも原稿を書けることだ。作家としてはこれ以上ない美点だと思う。

 知り合いの物書きたちに訊くと「家だと書けない」「外では書けない」「静かだと書けない」「雑音があると書けない」など、答えは様々であった。それぞれに集中できる「ゾーン」があるのだろう。

 昨年『このミステリーがすごい!』大賞を受賞したデビュー作『元彼の遺言状』は、自宅の小さいドレッサーの上で書いた。家にデスクはあったが、テレワークを始めた夫に取られてしまったのだ。

 ドレッサーでも集中はできた。原稿のクオリティに影響はない。だが腰が持たなかった。それで私はベッドの上で寝転んで書くようになる。うつ伏せのこともあれば、仰向けのこともある。オン・ザ・ベッド・フリースタイル執筆である。
腰が痛くならないし、そのまま寝られるのがよい。展開に悩んだときは、ぼんやり物語を考えながら寝ると、起きたときには思いついていることがある。だから私は、寝たり起きたりを繰り返しながら一日中原稿を書いている。

 今年の夏、大きな引っ越しをした。夫の仕事の都合で、東京の家を引き払い、米国に引っ越したのだ。ボストンに二カ月滞在し、先日シカゴに移った。

 ボストンの家は床が傾いていて、普通に座っていても三半規管がやられた。そのうえベッドルームが暗すぎて、オン・ザ・ベッド・フリースタイル執筆もできない。仕方ないから毎日ボストン公共図書館に通って、閲覧室で書いていた。

 シカゴではもう少しまともないい家を借りた。執筆環境も改善する……はずだった。だがいざ引っ越してみると、がらんとしたマンションが出迎えた。家具付きだと思っていたのに、家具がついていなかったのだ。慌てて家具のレンタルを申し込んだが、到着までに二週間以上かかる。手元にあるのはヨガマット一枚だ。

 修行のような日々が始まった。毛布を二枚買ってきて、毛布に挟まって寝起きしている。アメリカの家には洗面台やキッチンなどにしか備え付けの照明がない。リビングルームやベッドルームには自ら照明器具を揃える必要がある。その照明器具の到着にもしばらくかかる。家で一番明るい場所はウォークインクローゼットの中だ。
そこで私はクローゼットの中で執筆することにした。この原稿も実は、クローゼットの中で書いている。引っ越しに使ったダンボールを机にして、ブランケットを用意すれば結構居心地のよい空間ができあがった。やはり腰が痛くなるのは否めないが、充分に集中できる。



 ちなみに、原稿に必要な資料はすべてPDFで電子管理している。ゲラもiPadでやる。本当は紙の本が一番好きだが、今はトランク一つで暮らしているので仕方ない。

 こういった経験を経て、自分はどこでも書けるという確信を深めた。

 どこで書いても同じくらい集中できるし、原稿は良くも悪くもならない。ただ、身体が楽な環境と、疲れる環境があるのは確かだ。頭の動作に身体がついていかない。物語はあふれてくるのに、それを出力する身体が追い付かない。

 これから先、月日が経つにつれて体力が衰えてくるだろう。歯がゆさは増すはずだ。そして最終的には、書きたい物語を抱えながら寿命が尽きる。悔しいことだがそれでいい。
尊敬する先達、山崎豊子さんにこんなエピソードがある。『大地の子』を書き終えた六十七歳のころ、山崎さんは引退を考えた。だが、新潮社の斎藤十一さんから「芸能人には引退があるが、芸術家にはない、書きながら柩に入るのが作家だ」と言われ、八十九歳で没するまで執筆を続けた。遺稿となった『約束の海』は未完のままだ。

 私もそのように、書きながら生きて、死にたいと思っている。書くのは辛いこともあるが、なんといっても楽しいからだ。

 物づくりが好きだ。刺繍や編み物、ビーズ細工のような手芸や、オムライスや厚焼玉子、ハンバーグのような物づくり感のある料理も好き。小説を書くのもその延長線上にある。何かを構想し、無心で作って、思った通りにできると楽しい。

 プロ作家になってみて、苦しい側面も見えるようになった。アマチュアの頃は、書けば書くほど上手くなるから、ひたすら楽しかった。だが一度デビューしてしまうと、私の成長を読者は待ってくれない。作りたいものと作れるもののギャップに苦しんだ一年だった。

 デビュー作がヒットしたし、経歴が目立つからだろう。Amazonや読書メーターのレビューは荒れた。作者個人の悪口も色々と書かれていたが、そのうちの一つに「作者が自己中心的」という書き込みがあった。図星なので驚いた。

 何を隠そう、私は自己中だ。私は私のために書いている。書いているだけで幸せだ。常に孤独ではある。でもだからこそ、私の世界に読者がやってきて、足跡を残してくれると嬉しい。いつも原稿の中で待っている。世界中どこにいても、原稿こそが私のすみかだから。




しんかわ・ほたて
1991年生まれ。アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。現在アメリカ在住。東京大学法学部卒業後、弁護士に。『元彼の遺言状』で第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、21年1月、作家デビュー。同年10月6日、2作目の長編『倒産続きの彼女』を上梓。
Twitterアカウント @hotate_shinkawa