私の○○ベスト3
Vol.54 蝉谷めぐ実 私の江戸弁の悪口ベスト3
第1位 「すっとこどっこい」
第2位 「頓珍漢」
第3位 「月夜の蟹」
新天地・東京へ向かう新幹線の中で、大学生の私はたこ焼きを頬張りながら、心に強く誓ったことがある。今日より大阪弁は一切封印し、標準語を使うべし。そのおかげで今では大阪出身と告げると驚かれるようになった。中には、え〜、大阪弁ってかわいいのに勿体無いよ、と言ってくるシティガールもいたが、その愛らしいお耳に、我が家の姉妹喧嘩を聞かせてやりたい。悪口のバラエティの豊かさに驚かれること間違いない。そうやって封印したはずの悪口を現在積極的に収集しているのは、私が江戸の歌舞伎を舞台にした小説でデビューしたからである。歌舞伎では悪口を悪態というが、これが大阪弁の比にならないほど多いのだ。そういうわけで私が集めてきた江戸弁の悪口の中から現時点でのベスト3をお披露目させていただきたい。
第3位 「月夜の蟹」
お洒落な一品である。蟹は月光を嫌がる習性があるらしく、月の出ている夜に捕まえた蟹は身が詰まっていない。つまりは中身がないことを揶揄するときに使う。蟹の知識がないと、この悪口は通じないわけで、知性を感じさせるところが技アリなのだ。
すっきりしゃんとした若旦那にちょっとため息を吐かれながら、「中身がねえことをつらつらと。まるで月夜の蟹だねえ」なんて言われてみたい。
第2位 「頓珍漢」
字画が多くて格好いいが、漢字は当て字だそうである。鉄を打つ際、腕のいい鍛冶屋であれば「とんてんかん」と槌が鳴るところ、弟子が相槌を入れると「とんちんかん」になることから、物事の辻褄が合わない際や頓馬な言動へと使われる。音がそのまま悪口になっているところが、おもしろい。人を冷やかす際の「こんこんちき」も似た成り立ちで、こんこんとの狐の鳴き声に、畜生の畜がくっついた形だ。
こちらは、腕っ節の強そうな岡っ引に真っ正面から、「頓珍漢なことを言ってんじゃねえや」と叱られたい。
第1位 「すっとこどっこい」
悪口の中でもオーソドックスな一品であるが、このリズムの良さは他の追随を許さない。すっとこは裸の男を指し、どっこいは何処へ行くが縮められたものとのこと。裸同然の格好でどこかへ行こうとするくらい間抜けな人を揶揄する悪口だが、平仮名の字面と語感の柔らかさから、言った人間と言われた人間の関係性が見えてくる気がして、好きなのである。
「簪の一本貰ったからってほだされやしないよ、このすっとこどっこい」なんて、耳を赤くした長屋住まいの女房が夫に言っている絵が浮かんでくるのは、私が悪口に夢中になりすぎているせいかもしれません。
せみたに・めぐみ
1992年大阪府生まれ。早稲田大学文学部で演劇映像コースを専攻、化政期の歌舞伎をテーマに卒論を書く。広告代理店勤務を経て、現在は大学職員。2020年、『化け物心中』で第11回小説野性時代新人賞を受賞し、デビュー。21年に同作で第10回日本歴史時代作家協会賞新人賞、第27回中山義秀文学賞を受賞。最新作に『おんなの女房』。